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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

自己分析が意外と楽しかった件。

自分ってどういう人間なのか。

例えば僕が僕を評するなら、人見知りでネガティブな、目立ちたがらない頑張り屋さんとなる。的を射ているハズだ。

しかし、こんな風に表現するのはたやすいものの、自己の本質とか、隠された気質とかまで把握している人はどれくらい居るのだろうか。

 

別に就活をリスタートしたわけではないが、研修の一環で最近こういうことを突き詰める機会があった。

そしてそれが、極めて面白かったのを覚えている。

ということで今日は、人見知りという濃すぎる霧に隠された気質を探る方法を、手頃なヤツとガッツリなヤツで紹介していこうと思う。

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暇が恐いんです病。

こういうとワーカホリックな意識高い系男子に聞こえるが、僕は暇とか手持無沙汰という状況がすごく苦手だ。

のんびり~とか、まったり~という言葉がどうにもスバラシイものに聞こえず、あの時間がマイルドな無間地獄のように感じられて仕方がない。

どうしてこういう思考回路になったのかを考えてみたが、体育会系の風土に長いこといたことが原因のように思う。

仕事は自分で探せと、強迫観念と共に刷り込まれた結果、いつの間にか対極の暇が悪のように思うに至ったのではなかろうか。どうでもいいところではあるが。

 

無論、これは非常に精神衛生に悪い。神経をヤる人の典型的な思考であり、行動である。常にアワアワと構えるのは、一聴すると美談に思えるが、つまりは遅行する自爆のように僕は思う。

 

ネットでこういう思考の改善方法を調べたことがあるが、ポップな解決策はどこにもなかった。

むしろ、結構人生相談の様相を呈していたフォーラムが多いことにビックリした。

 

ということで去年くらいから実は、僕はこういう自分の性質と向き合い、健康的で建設的な解決策は何か無いものかと色々と試してみた。

そしてここに記すに値するのもちらほら出てきたので、備忘録を兼ねてのっけておくこととする。

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人見知りを隠す術について考察したい。 中身編

前回はあくまでも見た目の話であった。

 

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

しかし、ここで隠せることはたかが知れており、状況によっては一瞬で化けの皮が剥がされることもしばしば。

そういうオプションを全て取り去ると、残るのは人見知り気質の己のみ。

となれば、素の自分全開だと、あ、コイツはそういう奴なんだなぁ~と刹那に値踏みされるのは、皆様の周知の通りである。

 

では、心構えをしては何を用意しておけばいいのか。

どう振る舞えば人見知りっぽく見えないのか。

そんな都合のいい手段はそもそもあるのだろうか。

 

今日はその辺を、熱い精神論をなるべく絡めずに、僕の体験を踏まえつつ考察していきたい。

狡猾というなかれ。僕たちは必死なのだ。

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人見知りがかつて恐れていたモノと、現在の認識。

過去の自分がどういうことを考えて、どういう行動をしていたかを思い出すのは意外と難しい。

今より身長が10㎝低かったころは、どういう世界が見えていたかを思い出すのと同じくらい難しいのではなかろうか。

 

しかし、最近過去を知ることができる材料が色々と出てくる場面があった。

数年ぶりに会う友人の中の僕とか、昔学校で書いていた日記の中の僕とか。

聞いたり読んだりしている内に、毛穴という毛穴から汗が噴き出すかのような恥ずかしさであった。

 

でもよく考えると、汗顔になるということは、恥ずかしいと思えてる(気付けている)ということだから、自分は人間として器が大きくなったのだと信じて良い気がする。

というより、信じたい。

 

そこで今日は、前回の記事の流れをトン切り、上記の材料から色々と思い出した、かつて僕が恐れていたことと、その実―今はどう捉えているか―について述べていく。

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人見知りを隠す術について考察したい。 見た目編

「あ、コイツ人見知りかも」

「あぁ、コイツ人見知りだ」

というのは、僕は実のところ出会ってからの数刻で見破ることができてしまう。

多分これは僕が同種だからであり、野生の勘に近いものが働いているからだと思う。

ただ逆に言えば、僕も同種の方には出会って数刻で見破られてしまっているということになるのだが。

 

それはさておき、第一印象が人見知りとレッテル貼りをされてしまうことを是とするか非とするか。

最近僕はもうどうでもよくなってしまったのだが、誰かに助言するとしたら絶対に非とすべきであると言う。

理由は、人見知りだと認知されると、そのままお人よしというレッテルまで貼られ、ゆくゆくは、会話とか仕事とか、色々なものの主導権を取られがちになるからである。

つまるところ、極めてめんどくさいのだ。

 

ということで今日は、僕なりのカモフラージュ方法についてを述べてみたい。

尚、これは隠し通すことが目的ではなく、バレるまでの時間稼ぎの意味合いが強いことを承知いただきたい。

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人見知りが抱く淡い希望とそれを打ち砕く現実、からのそれに代わる何か。

僕は自信というものがよく分からない。

自分を信じることというのは、どちらかというと足元掬われるから駄目だよとかいう理由を付けて、否定される側の思想だと長いこと思っていたからだ。

また、どこまで行っても、どんなジャンルでも、世の中には確実に自分より上がいるから、俺強えぇだとかなんとかいう自信を持つだけ、鼻で笑われるだけの恥ずかしいことだと勝手に妄信していたというのもある。

今思えばこの2つの僕自身の考え方は、どちらも超くだらない、みみっちいものだと思うのだが。

 

だから、矛盾するようだが、僕が唯一自分に自信を持っていることは、誰よりも謙虚であるということくらいであった。

自分勝手なことはしない。人の意見は素直に聞く。そうすることがある種成功への道だと信じていた。

人見知り気質があれば、自己主張が極めて苦手故、こういう思想に落ち着く人も多いのではなかろうか。

本棚を見ても、僕のこの考え方を支持する本ばっか並んでいる。それはそういうのを選んで買ったからというだけなんだけどね。

 

そういうわけで僕は、謙虚ささえ貫けば、いつか報われる日がくるだろう、という淡い希望を抱いていた。

割とこないだまで。

 

現実はそうではないというのを知って以来、この希望は消えた。

でも、それに代わるものも同時に見つけた。

 

今日はこの辺をうだうだと述べようと思う。

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拗らせた価値観ができあがるまで。

僕は今年、割とそこそこな年齢になる。

青年でばっちり通るのだが、子どもたちから見ればうっすらおじさんに片足を突っ込む年齢だ。

といってもまだ20代なんだけど。

 

人生を振り返るにしても、年齢的に早すぎることは承知済みなのだが、時折ふと考えることがある。

自他ともに認めるひねくれ切ったこの価値観は、一体どこを境に、どういう流れで構築されてしまったのかと。

人間関係もそう。女性に対して考えることもそう。

同意を求めようと誰かに吐き出してみても、困惑した笑顔でスルーされていく。

 

なかなかに暗く重い記事になる予感がすごくするが、何かの参考になればということで、人生を振り返ってみようと思う。

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