人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

めんどくさがりを極めたい。

めんどくさがりという言葉を聞いて、良い意味だと思う人は少ないと思う。

物事を先延ばしにしたり、下手すれば取り組んだりしないことへの言い訳に、「(自分の身体や頭を使うのが)めんどくさいから」という言葉を多用するタイプが、僕の思うめんどくさがりのイメージである。

得てしてこの問答の末には、めんどくさいから「やらない」という結果がセットでついてくる。

この手の人間は、古来から物ぐさだの穀潰しだのと蔑まれてきたように感じる。

 

そして僕も実はこのタイプだと強く自覚している。

とある事柄をしないことで被害を被るのが自分一人であるなら、大抵は面倒であることを理由に取り組まない。下手すれば無かったことにすらしてしまう。

この性質を幾度となく指摘されてきたが、直らないものは仕方ないと最近は諦め気味だ。

 

むしろ、この性質を極めた方が、なんか得なんじゃね?と思うようになってきた。

どういうことかを、以下に記す。

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人見知りと演技。

最近、演技の勉強を始めた。そういうテキストを一冊買って、近所迷惑にならない程度にボイストレーニングまがいのことや、稽古の真似ごとをこそこそとやっている。

 

何故か?

眠っていた真の自分に目覚め、トチ狂って役者として生きていく為ではもちろんない。

いきなり演劇を趣味に取り入れようと考えたわけでもない。

理由というか言い訳は2つあるので、まずはそれを述べさせていただく。

 

1つは、演技という技術が仕事で必要だから。

もう1つは、繊細で弱いと自負している素の自分をなるべく守りたいから。

 

えらい中二病チックではあるが、真剣に我流拳法を練習するとか、独自の暗号を開発するとか、そういった目に見えて重篤なものでないのなら、罹患している方が人生楽しいというのが僕の持論である。自分は中二病かもと、言行全てをセルフチェックして、小さく目立たない人生は、正直息苦しいしつまらないのではなかろうか。ま、詭弁だけれども。

 

話は逸れたが、今日はこの2つの理由を軸に、僕が何故演技の勉強を始めたかについて書こうと思う。

そしてこれが結構、人見知りには有効なのではとも感じるのである。

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節目の50記事目。 人見知りからみた一流の人間。

「うわ、この人超すげぇ!」という人にたまに出会うことがある。

天上界の住人と出会ったような心持になり、自分と比べる気にすらならないくらいすごい人たちだ。

この人みたいになりたいと思うけれど、いつか超えたいとは思えない、そんなレベルの人達。

 

そういう人たちは得てして人望が篤い。恐怖や自身の地位なんかで支配したそれではないので、仮にその人が肩書きか何かを失ったとしても、人がついてくる。

かくいう僕も、その人についていく、カモのヒナの一羽みたいなもんなんだけど。

 

そんな風にして一流な人たちの後ろをついていく中で、そういう人たちに共通することが多々あるというのに気付いた。

その中にはとっさには出来ないモノもあるけれど、そうじゃないものも混ざっているわけで。

 

ということで、今日は人見知りからみた一流の所作について、簡単に3つほど紹介していこうと思う。

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正しく頑張らない方法を知る。「がんばることに疲れてしまったとき読む本」。

今日は久方ぶりの更新にして、久方ぶりの書評もどきを書いてみようと思う。

というのも最近、僕が求めていたものがズバリ書かれた本を発見し、これはシェアした方が良いのでは?と思った為である。

 

それがこれ。

がんばることに疲れてしまったとき読む本 がんばることに疲れてしまったとき読む本
下園 壮太

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タイトルがシンプルにして無回転だが、内容は極めて実用的であった。例えば、「前向きにいれば神様が助けてくれる」「悩むのは頑張りが足りないから」といった、言い換えれば自分を追いつめる系の言葉はほぼなく、むしろそれは危険だと言い切っている。

 

そういった言葉を使わず、ついつい頑張ってしまう、つまり追い込みクセがある人はどう思考を変えていけばいいのか?ということに絞って書かれてあり、正直そのケがある僕には大変ありがたかった。

 

とまぁ、駄文はここまでにして、特に僕が確かに!と感じたいくつかの点を抜粋して紹介していこうと思う。

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人見知りVS俄かなる不安感。

僕はときたま、なんでもない行動や、発した一言がとてつもなく不安になることがある。

「あの案件、あの報告の仕方で良かったか?」

「家のカギ、ちゃんと閉めたか?」

「さっきの説明よりわかりやすい言い方思いついたけど、訂正した方がいいか?」

「あの人は人に言えない理由で休むと言っていたが、一体なんだ?」

「アイツ、辞めないよな?」

などなど。

時も場所も場合も選ばず、不安という名の怪物は突如として現れ、僕の心を支配する。

分類は一見不可能なくらい種類は豊富だし、可能だとしてもするのがめんどくさい。

そして大抵は即座に修正するのが無理だったり、元来の気弱さや物ぐささが発動して、再度確認したりトライしたりする勇気が湧かなかったりするので、最悪強めの不安感を抱いたままその日が終わることもある。

 

ネットに腐るほど落ちている、やたら判定がアバウトで項目がたくさんある診断にかければ、よくわからない漢字がいっぱい並んだ病名が僕に付くのではと思う。しかし、付いたらどうしようと思い悩むほど心が弱くはなくなった。成長したな、俺。

 

しかし、この俄かにやってくる不安感は正直かなり厄介だ。生きていく上でとても疲れるし、めんどくさい。

 

ということで今日もまた人見知りからズレ気味だが、少なくも無い頻度で俄かにやってくる不安感の正体について、該当する人他におるんかなと思いつつ、色々と考えてみようと思う。

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脱人見知りの為にも。 読書のススメ

本を結構読むようになった。

話がごちゃつくので、この記事においては、本の中にマンガは含まないとする。

 

小学生や中学生の頃は、教科書に載っている文章以外は読まないほど、活字に親しみが無い子どもだった。数少ない例外は、読書感想文を書くために読んだ「老人と海」くらいのものである。親から坂本龍馬の伝記や、13歳のハローワークを買い与えられたが、開くことなく終わってしまった。

 

高校生の頃はややマシになった。流行りのラノベや、太宰治人間失格も読んだ。といっても、後者は40ページくらい読んだところで気が沈みまくり、読むのを挫折するくらい、活字が得意になったわけでもなかった。

ちなみに、この人間失格も読書感想文の課題図書だったのだが、この本の40ページ弱の概略と、ラスト3ページの要約を適当にまとめただけのものを僕は提出した。

それがたまたまクラス代表の作文になりかけたことがある。他の奴らはどんだけ手を抜いたんだ!と思ったが、読書感想文を全力で書ける高校生の方が少数派か。尚、僕は代表の座を全力で固辞した。

 

その一方で、友人に何人も1年に50冊以上読むヤツとか、村上春樹西尾維新とかよく知らない人が書いた本を語れるヤツとかが居たので、活字苦手な僕はきっと、類は友を呼ぶの例外パターンか、と思った。

 

しかし最近は様子が変わった。

Amazonで中古本を買いまくり、冗談抜きで1年に50冊くらい、そしてそのそれぞれを3~5回読むようになったのだ。時たま本屋に行っては、一目ぼれして本を買ってしまうこともある。思春期真っ只中の僕からは想像できない姿である。

14歳の僕に五木寛之の「大河の一滴」を渡しても、10ページくらいで飽きるのではと思う。今は喜々として2日で読み切ってしまう自分とは大違いだ。

 

そしてこの習慣になって数年経つわけだが、僕自身に色々な変化が起きてきたのを感じる。主に内面の話で。

 

ということで今日は、大層なタイトルだけど、僕が読書好きになった経緯とか、それによって得た恩恵について、徒然なるままに書いていこうと思う。

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人見知りの情報網。

人見知りが仕入れてくる情報は、結構訳の分からないものが多い。

昼寝し過ぎて眠れない今日この頃、布団でぼんやり昔のことを考えていて、このことを閃いた。

 

特にこれは高校時代に遡る。

世間で恋空という映画が流行っていた頃、僕の属するコミュニティではシュワちゃんコマンドーというガチムチアクション映画が流行った。

ちなみにコマンドーの方が20年近く古い。

また、世間でマカロンという甘いものが流行っていた頃は、仲間内で何故かカルメ焼き(カルメラだっけ)という砂糖で作る素朴なお菓子が流行った。

世間が右を向いている時、僕たちは逆の左ですらない、完全に明後日の方向を向いていたことになる。

 

そしてその火種は大抵人見知り仲間が探してくるのだ。

この辺を紐解けば、また一つ人見知りの生態が分かるかもしれない。

淡い期待を込めて、今日はコラムとして僕の思い出を述べていく。

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