読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

自己紹介とか。

はじめまして。

ブログの筆者の、中元俊矢(なかはじめとしや)です。

自己紹介というタイトルなので、己のイントロデュースをば。

 

僕は、ブログのタイトルの通りの「人見知り」だ。

人見知り本来の言葉の意味って、「人」を「見知る」って考えるとよくわからないけど、世間一般のイメージだと「人付き合いが苦手」とか、「他人に対して恐怖心を抱く」とかその辺になると思う。

実際はもっとふわっとしてて、その時その時で変わるのだろうけど。要は「人付き合いが苦手と言える出来事とか経験とか態度とかを包括して人見知り」ってことだろう。

「お前それ人見知りじゃん!」と言われれば、とりあえず言われた人は人見知りなのだろう。

これ以上厳格に定義づけするのは不毛なので、この辺にしておく。

 

さて。

この定義を見るたび、僕は人見知りそのものズバリだなぁとつくづく思ってしまう。

僕から人見知り成分を除いたら、心空っぽになるんじゃないか、と思うほど。

 

僕が人見知りを自覚したのは中学生の頃だが、両親曰く4歳くらいからもう人見知ってたそうで。

現在の年齢が大体24歳なので、もはやこの道20年のベテラン!

野球選手だったら名球会入りも見える歴の長さである。

我ながらよくもまぁって感じである。

 

こういう性質の為、人生では割と苦労してきた。苦労というか、どうにも生きにくかった感じがあった。

 

バカみたいにはしゃげる人たちは見てて羨ましかったが、僕自身がはしゃげるかというと恥ずかしくて絶対無理。「お前がはしゃげる身分かよ」とか思われるかと考えると怖かった。誰にも会いたいわけじゃなかったけど震えた。

 

電話も嫌いだし、知らない人と同席となると途端に地獄絵図となる。

女子となんて喋れません。恥ずかしすぎる。

僕はどこまでもコミュニティ重視の社会に馴染めてないようだ。

出来ることなら終日家に引きこもって、ゲームとかの仮想空間に逃げ込みたいくらいである。すいません。ちょっと言い過ぎました。

 

ぐだぐだと僕という人間について述べてきたが、このブログで僕は何を伝えたいのか。

それは、「同じように人見知りの性質を持つ人々に、同じく人見知りである僕の、人見知り故に苦労した場面と、それを乗り切った経験を伝えたい」と思ったためである。

 

僕は自他ともに認める人見知りだが、何故か結構なコミュニケーション能力を問われる場面に連れ出されることが多い。

 

学年全員の前で太極拳をしたり、円陣の中心に入れられたり。

体育委員に選抜されたり、全校生徒の前で生徒会長選挙の説明をしたり。

会ったこともないOBの先輩方に、コンパの幹事として片っ端から電話したり。

人前に出ないからと連れてかれた日雇いバイトで、思いっきり人前に出されたり。

最近では、合コンやガールズバーに連れて行ってもらって、思いっきり人見知りして店員さんを困らせてしまうということもあった。

どこまで行っても変わらない僕である。

 

ただ、こういう経験を多々積んだからこそ、僕なりの人生訓みたいなのもストックされてくるわけで。

「こういくと落とし穴に落ちますよ」というのを、同じ性質の方に伝えていくことはできる。「こういうことしとくと楽ですよ」というのも、伝えることができる。

せっかく人見知りに生まれたんだ。これを活かしたことがしてみたい。というのがでかい。口で伝えられないから文章にしたというのもあるんですけどね。

 

最後にもう一度まとめると、僕は人見知りだ。人見知りに加えて、正直異性との付き合いも苦手だ。苦手だらけだが、おかげさまで24年間割と平穏無事に生きてこれている。

 

人付き合い抜きに過ごせない社会において、僕は色んな落とし穴に落ちた。その度に、いっそ地中で暮らすミミズとかになったろかと思いながらも、結局這い出てきてまたこうして地上を歩いているわけである。

年はまだまだ若造のペーペーのピーピーだが、人見知り歴では20年のベテランだ。

きっとアナタにも共感とか、使えるとか、そう思ってもらえることを伝えられると思う。

 

長くなっちゃったが、自己紹介はここまで。

次回以降、僕の経験を通じて、僕が得た気付きを伝えていこうと思う。

それでは!