僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

意味不明と言わないで。実は人見知りが大の苦手とするモノたちとは?

今までの人生を振り返ると、僕はどうやら器用貧乏のケがあるらしく、極端に苦手なものはあまりないような気がしている。

 

人見知りではあるが、友達が居ないわけではないし。運動は得意ではないが、新体力テストは平均くらいの点はあったし。

 

大体のものは割とそこそこ、大学の成績で言えば「可」くらいで凌いできたという自覚はある。

 

だが、そんな中でも、「これは心の底から苦手だわ」というのが、いくつかあった。

 

そして面白いことに、それを人見知りズ同志で喋っていると、結構共通するということも分かった。

 

同じ性分の人は、どうやら天敵も同じらしい。今回は、その人見知りの天敵についてのお話。

 

 

  サッカー

 

ずば抜けて苦手である。勿論、観るのではなく、する方の話だ。野球はそこそこできるけど、サッカーは全く駄目である。

 

あのスポーツは、好戦的な性格と、ずば抜けた運動能力を要求しているように思えて、僕たちとは次元が異なる人たちがするものだと思っている。

 

僕たちに欠けているもの全てを余すことなく求められても、船で陸を走れというようなものだ。需要錯誤も甚だしい。出来るわけがないじゃないっすか。

 

だが、義務教育というものは非常に面倒なもので、体育の授業には必ずサッカーが盛り込まれている。選択制にしてくれれば良いのに。こればかりは、僕は学校を恨む。

 

冬場などは、体育の授業は大体サッカーになる。

 

その時間になると、僕の真逆の性分の人がものすごく活き活きとする。

 

何故か女子が普通にアイドルに向けるそれみたくキャーキャー言ってるし、それを受けてイケてる人たちの集中度も極大する。

 

そうなってくると、飛び交うサッカーの球は凶器に見えるし、ドリブルで走り抜けていく人たちは騎馬武者のような迫力だ。

 

そしてそこかしこで「オラ」とか「はよボール回せや」という怒号が飛ぶ。そんなもみくちゃになってる輪に入るのは、僕にとっては自殺行為だ。

 

かといって、距離をとってたら、必然的にフリーになる為、たまーにパスが飛んできて、これまたグラウンドは公開処刑の舞台と化す。

 

その為、僕にとってのサッカーとは、「授業に参加してないと思われない上、パスが来そうにない絶妙なポジションに居続ける時間」という認識であった。

 

そしてこれは、大抵の人見知りズの共通項であった。僕の仲間内でサッカーが好きな人間は、多分良く見積もって4割くらいしかいないと思う。まさに天敵だ。

 

今もしサッカーをしないといけないシチュエーションに陥ったら、わざと骨を折ってでも参加しないという行為に出る自信がある。

 

フォークダンス

 

大体の人には至福の時間かもしれないが、僕にとっては恐ろしい時間であった。

 

あの距離で、手を取り合って、女子とダンスをするとか。そんな高尚なこと、俗物である僕がして良いワケがないじゃないか。

 

女子も、僕なんかとダンスしたくはないだろう。手を取りたくはないだろう。下手すれば学校ぐるみのセクハラだぜ。

 

と当時は心の底から思っていた。

 

勿論、手をしっかりと握られることは基本無かったし、僕もそんなことをするつもりも無かった。

 

なるべく目を見ず、手も握らず、会話も交わさず、ただ淡々とステップを踏み、時間が過ぎ去るのを待つ。

 

僕にとってのフォークダンスはそんな感じであった。

 

後日聞いた話によると、当日の僕は目が死に切っていたらしく、ペアになった女子の人がことごとく困っていたという。これはちょっと申し訳ない。

 

だが、僕の周りにはさらに上のヤツがいた。

 

フォークダンスが嫌過ぎて、練習はおろか、体育祭本番まで全て不参加したのだ。

 

みんなはちょっと軽蔑気味だったが、僕はその勇気に少し感服し、そして心の底から同情した。

 

大人になった今では、こういう機会は二度とないと思うので、ものすごくほっとしている。

 

無茶振り

 

昔、一発芸関係の記事を書いたが、それに通じるテーマである。

 

はっきり言うと、僕みたいなタイプに、ギャグで笑いを取ることを求める人は、人を見る目が無いのだなと思う。

 

どうみても日本人なのに、「ドイツ語を喋れ」というくらい、錯誤甚だしいことをしていると正直僕は思う。

 

「できないっすよ」と言おうものなら、コミュ障だなお前というめんどくさいレッテルが貼られる。

 

でも、やったらやったで苦笑いだけ浮かべて、どっちにしろ面白くないヤツだなお前という迷惑なレッテルが貼られる。

 

僕らにとって無茶振りは、「今からお前を傷付けるけど、火傷と打撲、どっちがいい?」と訊かれているようなものである。どっちもヤだよ。

 

得てして、同年代の人間でいきなり「物まねしてよ」とか、「なんか面白い話して」とかを平気で言う人は、大体その後の空気を拾わない傾向がある。

 

いじめた方は忘れても、いじめられた方は忘れないのと同じだ。僕は矢面に立たされたあの日々を、なかなか忘れることはできない。

 

だが、こういうことに限って、僕も人にやっていたりするもので。

 

振り返ってみれば、あれは無茶振りだったよなという場面はいくつかある。申し訳ないことをしたものだ。

 

だが、振られた側は、こっちの想定をはるかに超えるクオリティで返してくれた。僕は彼らを心の底から尊敬する。

 

終わりに。

 

人見知りの天敵。結構僕の負の言葉が出てしまったが、苦手なものは苦手なので仕方がない。

 

あまりにも苦手なので、対策法みたいなのを何も書けていないが、これは正直申し訳ない。

 

ちなみに、意外と思われるかもしれないが、僕は割と面接とか、ちょっとした発表とかには別に苦手意識はない。

 

いつかこれに関する僕の心構えのようなことを紹介できたらなと思う。

 

人見知りを拗らせすぎて、なんかはらわたが黒ずんできた気がするが、まあいいか。

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