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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りと闇。

人見知り的人生訓

先日、僕は2人の友人と一緒に、とある居酒屋で一緒に酒を飲んだ。

親しい間柄の友人同士の為、居心地はとても良く、ついつい酒も進んでしまう。

気付けば結構全員酔いが回り、それぞれの突っ込んだ話タイムとなった。

 

突っ込んだ話タイムとは、簡単に言えば、己の価値観とか、秘密にしておきたいこととかを暴露する時間と言える。

例えば、俺の好みの女性はこんな人だとか。

実は昔、こんなやんちゃしててねとか。

そういえば俺、一時期○○さんと付き合ってたんだよ、とか。

時たま、あの人とあの人はもう結婚してて、子どもおるけんね!とか、意外な名前が登場することもある。

披露される場が限られる分、出てくる情報は面白く、また貴重である。

 

そんな流れになり、僕も何かしらの暴露をすることになった。

といっても、いわゆるゴシップなことは全くないので、僕自身の拗らせた価値観とか、拗らせた理想の女性像とか、その辺を滔々と喋ってみた。

 

すると、彼らの反応は意外なものだった。

  

「それはお前、いくらなんでも拗らせすぎだわ」

と口を揃えて驚かれた。驚きというか、呆れに近かったかもしれない。

てっきり、同意を得ると思っていたのだが・・・。

そこでどんなことを言ったのか、正直もう忘れたので書けないが、何となく理想の女性像を語ったあたりでこのことを言われた気がする。

 

正直、僕、いや僕のいる界隈では割とまかり通ってきた価値観なので、結構意外だった。

客観的にみれば社会に適応してる度合でいうと、彼らの方が高いので、きっと異端なのは僕ら側なのだろうけど。

 

ここで自覚したのは、人見知り故に発散せずむくむくと肥えさせてきた価値観は、思った以上に黒くなるということである。

人によっては黒歴史と形容するし、僕の場合は別に恥ずかしいという思いはないけど、うっすらヤバイとは思うので、せいぜい「闇」と言ったところか。

 

この闇を自覚した時には、もう相当自分の価値観が拗れていることを覚悟した方が良い。

他者との関わりが少ない中で育まれた価値観は、言わば妄想や空想に近い。

現実社会のエッセンスがほとんど入ってないので、拗らせて当然である。

別に気にしないというのなら、構わないと思うけど。現に、面白い小説やマンガを描く人は、世間一般とは全然違う価値観や考え方を持っていることが多い。

 

だが、社会の中で色んな人と付き合っていくにおいては、正直心の底に沈殿した闇は邪魔である。とりあえず僕はそう思っている。

冗談っぽく「女の人紹介してよ」と頼んでも、「お前の理想のタイプは、多分この世にいないよ」と返されたり。

世間は自分の想像よりも打算的じゃない人が多いとわかって、戸惑ったり。

会話の節々でも、些細な引っ掛かりからその人の真意を気にしてしまったり。実際は真意もクソも、口に出してることが全てなんだと思う。

 

このように、人見知り故に拗らせた価値観、つまり闇は、円滑な人付き合いを邪魔する。

ということで、自分に少しでも闇があると自覚している人、または別に自覚してないという人も、一度腹の底に溜まった思いを、場を選んで吐き出してみることをオススメする。

言う相手がいないのなら、メモ帳か何かに書き散らすだけでもOKである。

 

自分の価値観を自覚しておくのは大切である。

その中でも、クソと思ったら打ち捨てればいいし、大事と思ったらそうすればいい。

クソだけど捨てられないと思うのなら、折り合いのつけどころを探ればいい。

場合によっては、その闇から何か作品が生まれるかもしれない。

 

ということで、吐き出される相手には少し申し訳ないが、僕は人見知りであるのなら、頃合いを見て一度闇を吐き出すことをオススメする。

 

ちなみに僕の闇は、細かく文字に起こすと、自分でも胃袋が酸っぱくなってくる代物なので、省略させていただく。

この闇を払うのは、多分5年以上はかかる。もう半ば諦め気味である。

 

あまりむくむくと闇を育まなくて済むのなら、それに尽きる。

身に染みて実感する次第である。

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