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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知り座談会。 哀しいあるある披露につき。

こないだ、我が同志の人見知り友達と一緒に、楽しい酒を飲んだ。

彼らはそこまで酒に強くないのだが、サワーとかウィスキーソーダ割りとかを気分良く飲むうちに、ちゃんと酔っ払っていた。

僕は言わずもがな、さっさと日本酒にシフトしていた為、簡単に酔っ払っていた。

 

そんな場で始まるのが、今まで歩んできた人生の共通項の確認。

言い換えればあるあるネタの披露である。共有できる感覚は、何故だか笑いに繋がる。

 

ということで今回は、僕が脳内に残したおぼろげな議事録を元に、多くの人見知りの方々に共通するかもしれない事柄を紹介していく。

尚、今回はちょっと哀しいエピソードがいっぱい出てくるので、ご留意をば。

  

文化祭や体育祭は出歩かない。

 

これは非常に僕も同意した。

「文化祭はあれでしょ?友達が来て、一緒に回って、良いとこ紹介して回って!人によっては彼氏とか彼女とか呼んだりするよね!楽しいよね!」という意見があるかもしれない。

 

が、だ。

友達を呼んだわけでもないし、更にはテンプレな青春と無縁だった僕たちは、そもそも文化祭を回る必要性が無かった。

出し物にかける情熱とか、準備の大変さも分かっていたけど、それは内情を知る僕らにではなく、一般のお客さんに楽しんでもらうべきだよねという適当な大義名分を掲げ、僕ら一行は基本教室や日陰から出なかった。

高校1年生の頃は誰もいない教室に数人でたむろし、弁当を食ったり寝たりして時間を潰した。

高校2年生の頃はお化け屋敷という少し面倒な出し物だった為、楽な仕事(ロッカー叩くだけとか)に従事し、これまた教室から出なかった。

高校3年生の頃は軟骨の唐揚げを作る仕事に就き、奥の方でこそこそ唐揚げを作っていた。シフトが無い時間は何をしていたかというと、教室で寝たりジュース飲んだりと、ウンコみたいなことをしていた。

体育祭も然り。自分の出番の時間だけ記憶しておき、あとはずっと日陰でぐうたらしていた。僕は体育祭のような、運動の出来る人間出来ない人間を十把一絡げに白日の下に晒すイベントに懐疑的だった為、心の底から乗り気ではなかった。これはもはや、我がままというか協調性の欠如って話になるけど…。

 

ということで、この座談会は、まさかの日陰から出ないネタからスタートした。

 

女子と相対する時とか、距離が近くなる時って、息止めるよね。

 

この話題になった時、全員がうつむいた。うつむいたのか、うなずいたのか、傍目には分からなかったが、とりあえず皆等しく首を垂れた。ちなみに言うと、僕もこういうフシはある。

 

僕みたいな人間でも、週に1回くらいは女子と物理的な距離が近くなる場面はあった。

と言っても、ただ横を通るとか、フォークダンスの練習で強制的にとか、席が隣になったとかそんなだけど。極稀に、勉強法うんぬんの質問で近くなることもあった。

 

その時々に思っていたことが、何とも言えない気まずさである。

歯は毎朝磨いてるけど、臭ったらどうしようとか。俺なんかが側に居ていいのだろうかとか。

あとは、タイトルにも書いたけど、そういう場面では極力呼吸を減らすとか。

公にしてきた人間は少ないが、改めて聞くと結構うなずく人は居た。2ちゃんかどっかのまとめでも、女子が横を通る時は無意識に息を止めてしまうってコメントを結構見た。

嫌っている訳では決してなく、なんというか、言葉に出来ない申し訳なさと言った感覚に近い。正直自分と女子とは、色々と対等ではないと思っていた。相手の方がずっと高尚な人々だと考えていた。今もだけど。

非常に捻くれているが、超オーバーに言葉にすると、「僕らみたいなのが物理的に近づいちゃってすいません。なるだけ接点というか、そういうのは減らすよう心がけますので、許してください。」って感じだろうか。こう言えば気まずさとかの説明がつく気がするが、正直言って正確ではない。

 

この意味不明な申し訳なさの理由なり原因なりはまだ適当に説明できないし、できる気もしない。

ちなみにこの症状を克服した友達が1人だけ居る。彼は女子が多い環境に進学した結果、華やかな幻想を見事に打ち砕かれる場面に遭遇しまくったおかげで、良い意味で対等な生き物と見られるようになったのだとか。

もしかしたら僕はまだ、女性の良い面だけしか見たことが無いのかもしれない。だからといって、悪い面を見たいとも思わないけど。

 

恋愛小説が理解できない。

 

僕らが高校生の頃、丁度携帯小説がブレイクした。ということで、クラスメイトはこぞって本を買い、みんなで読書感想を言い合うという現象が頻発した。

が、その表情は、その人がどういう性格かでハッキリと分かれていた。

いわゆるリア充寄りの人々は、感情移入が強いのか、目を真っ赤にして感動する一方、そうでもない人々は、無表情のまま最後まで読み切り、首を傾げていた。

尚、僕はそのどちらでもなく、興味が無かったので読んですらいない人間であった。

 

この対極的な感想は周りの友達も気付いていたらしく、「何故奴らは泣けるんだ?」をテーマに座談会を開いたこともある。

2回くらい開いたが結局よく分からず、遂に泣いてた側の人間を招聘することで理由が分かった。

 

僕らは小説に登場する場面の一切に共感が出来なかったからであった。

 

常日頃から女子と親しく話す場面とか。 

僕らは週1で良い方だし。

下校まで女子と一緒だとか。 

帰る方向が同じだけで、ストーカーと思われたらどうしようと心配していたし。

なんかよくわからないけどお前を守るためにケンカうんぬんとか。

僕なら一目散に女性を連れて逃げるし。

最終的にはよく分からないけど、別れとかなんとかで強く生きていくうんぬんとか。

こればっかりがガチでピンと来なかったし。

 

といった具合に、僕らが歩んできた人生にかすりもしなかったという訳で、感動する理由がないということだった。なーんだ。

そしてそれから6年くらい経つが、未だに僕は恋愛小説に共感することができない。ついでに言えば、憧れとかいう気持ちを持つこともない。もっと言えば、失恋ソングとか恋愛ソングも、好き好んで聞くことがない。どこまでも性根が黒い人間に思えてきた。

だが、この傾向は人見知り友達にも共通しているきらいがあった。18年間甘酸っぱい何かに無縁だったのなら、その先もそういうのに無縁なのだろうか。別にそれでもいいかという悟りのような気持ちが僕にはあるが、周りの友達はそうであってほしくないな、何となく。

 

人見知りの人生経験は、ある種世間一般からズレてんだなと再認識した瞬間であった。

 

終わりに。

 

枝葉末節を省かなければ、正直もっとテーマは出た。ここで書けないレベルに哀しいお話もあった。

だがそれは、TPOということで割愛。

自分では気付かなかった人見知りの人生訓に気付くことができる、そういう仲間を集めた座談会。たまには良いと思うけれど、何となく自分の価値観が闇に落ちていく危惧もある。

 

今度はリア充友達ばっか集めた座談会もやってみよう。そう思った。

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若林正恭

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