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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りリア充に学ぶ。

人見知り的人生訓

人見知りとリア充

相反するという意味では、水と油の類義語になるし、全然の別物という意味では、月とスッポンの類義語になる。

そういう見方でも、ちょっと面白いフレーズである。

 

もちろん、このブログでこんな国語の授業チックなことをするつもりはない。

この一見すると、矛盾してるかのように見える2つの要素を両方持つ人物が、実は僕の周りに存在していた。

 

口数は僕とトントンくらいなのに、毎日女子とフランクに話してるヤツとか。

ファッションのファの字も知らないだろうなって風貌なのに、それを女子がイジってお互いにケタケタ笑っているヤツとか。

 

極めて不可思議である。彼らは非常に運が良かったのだろうか?

と思ったが、ある意味成功者たる彼らには、ちょっとした共通項があった。

知ったからといって僕たちも人見知りリア充になれるとは限らないが、知ってて損ではないはずだ。

ということで今日は、この人見知りリア充の共通項について述べていく。

  

幼馴染の女子がいる。

 

これはほぼ運だけども。

物心つく前、男も女も無かった頃からの付き合いだと、女性としてではなく慣れ親しんだ友達という感覚になる。

僕も実のところ、普段は同級生であろうと敬語+さん付けで喋ってしまうが、幼馴染相手だと、呼び捨てのタメ口になる。ある種心許せる存在ともいえる。

 

人見知りリア充には、往々にして幼馴染の女子がいた。その女子を入り口にして、色んな女子とのコネクションを築いていったという印象だ。

「あの人、ちゃんと女子と喋れるんだ」とか、「○○ちゃんと仲良いんだ」っていうイメージを作ることで、自分から行かずとも話しかけてもらいやすくなる、と。非常に理に適っている論理だ。女性は割と日常会話の中でこういう情報を共有するらしいので、知らん間に多くの女性から話しかけやすいというイメージを持たれているという寸法だ。すごい。

 

ちなみに僕は一度だけ、女子の会話の中に自分が登場しているのをこっそり聞いてしまったことがある。

「付き合うなら○○タイプ、結婚するなら中元タイプだよね~」というセリフだった気がする。

結構な浪費家チックの女子だったので、将来ATMにされないよう気を付けようと思った。

 

話が脱線してしまったが、幼馴染が同校に居なくても悲観することはない。

とりあえず幼馴染が居なければ人見知りリア充になれないなんて、そんなワケないからだ。

僕も実は幼馴染女子が3人くらい居たが、この様である。

要素としては、後述のものの方が大切な気がする。

 

可愛げがある行動を取る。

 

字面だけではよくわからないが、要するに過去何回か書いたギャップの法則に似た話である。

人見知りの男のイメージは、実際数名の女子に頑張って聞いてみたことがあるのだが、キモいとかではなく、怖いとか何話したらいいか分からないが全てだった。

口数少ないし、自分を開けっ広げにしないしで、素性が分からないということなのだろう。確かに僕も、情報が一切ない人に話しかけるのはとても怖い。

 

しかし人見知りリア充は往々にして、天然か計算か分からないが、たまに可愛げがある行動、つまり人見知りのイメージと真逆のことをしていた。

 

授業の休憩中にプリン食ってたり。

ピンク色が微笑ましいいちごオレを飲んでたり。

校則違反だけど、昼休みに遊戯王のカードゲームにいそしんだり。

どこで覚えてきたのか知らないが、手品を披露して遊んだり。

いきなりパウンドケーキ焼いてきたり。

黒板に超上手にアナゴさんの絵を描いたり。

内輪ネタがひどいが、例はそれこそ枚挙に暇がない。

 

こういう一面を見せることは、どうやら「あれ?アイツって意外と悪い奴じゃないんじゃない?怖くないんじゃない?」という評価に繋がるそうで。

結構この行動から、「それ美味しい?」とか、「それ何?」とか、「それどうやって描くの?」という会話が始まる場面を僕は見てきた。作為にしろ無作為にしろ、したたかなヤツだなぁと思っていたが、今振り返ればなかなかの策士である。

 

ちなみに人見知りが人見知りのイメージ通りのことをするとどうなるか。

 

例えば、休憩時間に夏目漱石とか太宰治を読んでみたり。

参考書を広げて予習したり。

緑茶やコーヒーを愛飲したり。

最低限の時間しか教室に居ないだけでなく、目撃情報も少なかったり。

しれっとテストで良い点取ってみたり。

 

結果、ただ淡々と時間が流れていくだけであった。

話しかけられる兆しすら感じられなかった。無論、こっちから話しかける根性など無いので、次第に色恋沙汰などお伽噺にしか思えなくなる。

ま、50%くらい僕の実体験なんだけど。

話しかけられたいのなら、イメージを敢えて壊すべし。

ってところだろうか。

 

卑屈なことを言わない。

 

例えば、だ。

上記2つの段落を読んで、あなたはどう思っただろうか。

 

「グダグダ言っても、どうせ顔が良いから人見知りでもリア充になれたんだろ!」とか。

「はいはい、運が良ければなれる、悪ければなれない、それだけそれだけ。」とか。

「俺がギャップをうんぬんしたって、キモがられて終わりだよ。」とか。

 

もしこんなことを思ったのなら要注意である。口に出さずとも、こういうことをハラワタに抱えていると、周りの人は割と気付く。

たまに話しかけてもネガティブな返しに終始し、仲間内ではよくわからない空想の女性像を賞賛したり批判したりする人は要注意である。

 

「仲間内でネガティブなことを喋る分にはいいっしょ!」とか思うかもしれないが、どこに耳があるかもわからないし、誰がゲロってしまうかもわからない。色々と慎重になった方が吉である。

 

白状すると、僕も高校の時はこういうフシがあった。詳しくは省くが、高校2年の時に文系クラスに行ったばっかりに、動物園状態の女子達によって男子全員が割と苦しめられた記憶があるが故、女子という人たちを心の底からは信頼できなくなっていた為である。

今でも当時のことを思い出すと殺意に近い何かが込み上げてくるが、まあいい。

 

こういう捻くれた感情は、女子そのものへの苦手意識、酷ければ嫌悪感に密接にリンクする。「コイツ私のこと嫌ってるな」と少しでも察されれば、話しかけてくれる可能性は0に向かって急降下だ。僕に置き換えても、コイツは僕のことを嫌っているなと察したら、波風を立たせたくないのでなるだけ接触を減らすようにする。そんな具合である。

 

人見知りリア充たちは、良くも悪くも女子に対してニュートラルだった。

素晴らしい女性像を聞いても、悪女の話を聞いても、いつも答えは同じ。「ま、そういう人もいるよね。」であった。一部の捻くれた人たちみたく、素晴らしい女性像を必要以上に持ち上げたり、悪女をやたらめったら批判したりなんて絶対にしなかった。何というか、これくらいニュートラルになれれば、無敵じゃないかとすら思ってしまう。

 

こういった飾りっけのなさというか、人を安心させる思考ないし話し方は、女子側の警戒心を解くのに一役買うらしい。卑屈な物言いを止めるだけでいいなら、割とめっけもんだと僕は思うのだが、如何だろうか。

 

まとめ。

 

人見知りリア充という稀有な人たちは、幼馴染の女子が学校にいて、可愛げのある行動を取り、卑屈な物言いをしない。

まとめればこうなる。勿論これ以外にも要素はたくさんあるかもしれないが、ベースのベースは抑えたつもりである。

あとは自分に合わせて、趣味を充実させるとか、オシャレを勉強してみるとか、そういったオプションを増やせばよいと思う。

尚、中学~高校の体裁で書いたが、別に大学以降でも応用は効くと思う。幼馴染は難しいだろうけど。

 

だらだら偉そうなこと言ってきたが僕もまだ修行中の身なんだよね。

とりあえず今年のクリスマスはクリぼっちしようと思う。

 

意味も無く高いシャンパン、買ったろうかな。

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