人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りと失敗。

最近はとても忙しかった。正直自分のキャパシティを超えかける場面もあった。

このキャパシティは生まれ持ったものというより、経験値の少なさによるものだと信じたいが。

 

それはさておき、やっぱりというか、ミスをする場面もあった。

幸い致命的なものには至らなかったが、それなりに怒られたし、それなりに凹んだし、尻拭いもそれなりに大変だった。

 

一旦話を変えると、正直僕は怒られたときの正しい行動がよくわからなかった。

とことん落ち込む方が良いのか。それとも「しゃーねーよなぁー」と鷹揚に笑うのが良いのか。

これについては10年以上悩んできたが、最近は自分なりに答えが出たので、失敗後の気持ちとか対応の仕方に波が出ることが無くなってきた。

2015年最後は割と良い話がしたいと思っていたので、丁度いい。

今日のテーマは失敗した時の気持ちの整理とか対応の仕方にする。

  

昔の僕。

 

最初に、昔の僕は失敗したときにどうしていたか。例えば、部活の練習でエラーして、連帯責任とかいう名のもとに全部員をランニングさせちゃったときとか。

そういう時は、徹底的に落ち込むことにしていた。

死中に活を見出すとかなんとかいう言葉を14歳のときから知っているというマセた子どもだったからというのもあるが、失敗してもしゃーねーとかなんとかで大笑いとか、生粋の人見知りかつネガティブに心の針が吹っ切れてる人間はできないからである。

3日くらい落ち込んどけば、とりあえず「ま、俺も普通の人間ひとりということで」とかいうよくわからない落としどころを見つけて、立ち直ることができていた。だから比較的義務教育の間はどーにでもなった。

 

問題は、高校進学後。

少しずつ責任というかプレッシャーというかが圧し掛かるようになってくる年頃の話になる。

最たるものが、大学進学だろう。模試の結果に一喜一憂するなと言われても、するものはする。国公立に行かないと学費がどうとかでプレッシャーは来る。そんな状況では、模試でA判定が取れないことも、ある程度の点数が取れないこともまた失敗であった。周りもそんな感じでピリついており、他愛無い冗談の中にも爆弾があってドッカンからのプチ喧嘩ってことも何回かあった。その度僕の方から謝って関係は修復してきたのだけど。

 

こうなれば、トコトン落ち込むスタイルだと体と心が持たない。そこで僕は一気にベクトルを真逆へ向けた。

「気にしない!」と頑なに決めて、無理してでも笑って流すことにした。

有無を言わせないよう、周りにも気にするな!とか気にしてないよ!と豪語していた。こうして高校生の間は割と精神衛生上は良い感じで終えることができた。

 

大学進学後はまた環境が変わった。サークルに入ったのを機に、資料作成とか各種渉外とか、いわゆる「仕事らしい仕事」を担当することが増えたのだ。

仕事をポイして大迷惑からの雷ドッカンって光景を何度も見てきたので、僕自身は遅延とか仕事忘れは一度も無いよう努め、結果なんとかすることはできた。

ということで大学4年間はバイトのそれを除いたら割と失敗は無かったので、平穏に過ごせた。

 

社会に放り出された後。

 

ここからは苦労した。極端に振れては駄目なのだ。

落ち込み抜いたらそれはそれで怒られる。かといって笑ってたら雷が落ちる。僕自身の責任の名のもとに、ケジメまでしっかりつけて終わりである。終わったら終わったでもう一度怒られてたけど。

報告は怖いし、連絡も相談も怖い。この時の僕のやり方は、とにかく無になること。ミスしたことに対して、しなきゃいけんことはするけど、そこに感情は持ち込まない。とにかくロボットみたいに淡々と処理する。じゃないと、心をぶっ壊すから。ということでこの時期を境に、失敗した時の対応について見つめ直すことになった。

 

最近の僕。

 

では、最近はどうか。

とりあえず、どこまでも落ち込むことも、笑って流すことも、無になることもやめた。もっと有益で、これら以上に精神に良いやり方を見つけたからである。

では、どういうパターンで僕は失敗したときに対応するのか。以下に述べる。

 

まずは全速力で上に報告。

 

やらかした!と気付いたら、とにかく上に報告である。上司がどんなに怖かろうと、ミスの程度がどうだろうと関係ない。

何故なら、失敗というのは大抵ほっかむりしても、隠しきれない大火事へと進化し、結局はバレるから。そうなったら信用とかを全て失う上に、下手したら色んな意味で未来も失う。そっちの方が比べるまでもなく怖いので、僕は全速力で上に報告する。

無論、水こぼしたとか、ペン折ったとかしょうもないことは言わないけれど。

その時に気を付けないといけないのは、「謝りつつ、自分の案を示すこと。」

僕も曲がりなりにも後輩とかが出来たことがあり、失敗した時のケツを持つこともあった。その時一番ムカっとした報告の仕方が、「やらかしちゃいました。」みたく、ただ事実を言うパターン。謝罪も無し、自分の考えも無し。「どうせお前がなんとかしてくれるんだろ」みたいな甘えを感じることがあった。ちなみにこれを言われた時に僕がどうしていたかは、皆さんの想像にお任せする。

ホトケと言われたこともある僕がムカっとするんだから、多種多様なストレスにさらされている上役の人たちはもっとイラッとするに違いない。ということで僕は、「申し訳ありません」と、「日程を調整して」とか「休日に出て」とかなんとかで自分なりの尻拭いの仕方も言うようにしている。怒られるのはもちろん怒られるが、とりあえず烈火のごとくというのは一度も無い。

 

そして案を示した後は、トラブル解決まではネガティブの底に思考を置くようにしている。周りからは気にしなくてもいいとか励ましの言葉を受けるものの、そうしないようにしている。

何故かというと、それくらい卑屈に考えた方が、結局は上手いことトラブルが解決できるからである。

ネガティブに思考を置いておけば言葉遣いもネガティブ相まって丁寧になるし、傲慢になることもない。そして些細な綻びもすぐに見つけられるので、修正も容易である。解決までは、僕は卑屈に近い位置に感情を置く。

 

で、だ。

無事トラブルが解決し、先方からも上司からもOKって言われたら、今回の失敗で得た教訓を手帳か何かに認めた後、残りは全部忘れるようにする。

「ミスするとか俺はもう・・・」っていう感情から、「あー、クビになるほどのミスじゃなくてよかった!」とか、「失敗こそしたけど、解決するとか俺やるじゃん」っていう風に、松岡修造チックなポジティブさに思考を持ってくるようにしている。

じゃないと、いつまでもネガティブだと精神衛生上極めて良くないし、何よりまたミスをする可能性も高いから。失敗を真摯に受け止めたら、教訓だけ残し、あとは忘れる。これが、精神の波と運を持続させるコツということは、僕の好きな本に書いてあったし、その通りだと思う。

 

まとめ。

 

僕のようなネガティブ型の人間は、失敗したら解決まで悩み抜き、解決したらポジティブになるっていうのが結構しっくりくる型だと思う。

大抵の失敗は社長とか、とにかく長が付くクラスにならない限りは致命的なことは少ないように感じる。というか致命的な失敗になる予感がするなら、僕らみたいな弱卒に振るなよという話にもなる。

 

ということで、2015年最後ギリギリに認めた記事はこれにて閉幕。

 

2016年もこういった淡々とした感じで人見知りなりの情報を発信できればという次第である。

来年の目標はアクセス数15000ってところだろうか。いけるかな。

では皆さま、良いお年を。

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