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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りVS俄かなる不安感。

僕はときたま、なんでもない行動や、発した一言がとてつもなく不安になることがある。

「あの案件、あの報告の仕方で良かったか?」

「家のカギ、ちゃんと閉めたか?」

「さっきの説明よりわかりやすい言い方思いついたけど、訂正した方がいいか?」

「あの人は人に言えない理由で休むと言っていたが、一体なんだ?」

「アイツ、辞めないよな?」

などなど。

時も場所も場合も選ばず、不安という名の怪物は突如として現れ、僕の心を支配する。

分類は一見不可能なくらい種類は豊富だし、可能だとしてもするのがめんどくさい。

そして大抵は即座に修正するのが無理だったり、元来の気弱さや物ぐささが発動して、再度確認したりトライしたりする勇気が湧かなかったりするので、最悪強めの不安感を抱いたままその日が終わることもある。

 

ネットに腐るほど落ちている、やたら判定がアバウトで項目がたくさんある診断にかければ、よくわからない漢字がいっぱい並んだ病名が僕に付くのではと思う。しかし、付いたらどうしようと思い悩むほど心が弱くはなくなった。成長したな、俺。

 

しかし、この俄かにやってくる不安感は正直かなり厄介だ。生きていく上でとても疲れるし、めんどくさい。

 

ということで今日もまた人見知りからズレ気味だが、少なくも無い頻度で俄かにやってくる不安感の正体について、該当する人他におるんかなと思いつつ、色々と考えてみようと思う。

  

不安感観察。

 

先述に挙げた例の他にも、不安に感じるパターンは実のところ山ほどある。そのいちいちを書いていたらざっと数千字になるので、今回は大まかな分類に留めておく。

自分で思い返しながら気付いたのだが、大体以下の4項目に僕の不安感は分類できる。

 

・別れへの不安

・怒られることへの不安

・大事件になりそうなことへの不安

・人に関わる不安

 

順に言うと、別れへの不安とは、「転職・退職・引っ越し・引退」とかその辺だ。「この人がいなくてやっていけるのかな」とか、「あの人が去ったら、俺もうやってけねえよ」とか、そういう思考である。実際は噂の段階でも、別れの兆候のようなものを察知すると、こういった不安感が心を支配して、どうにも落ち着かない。

 

次に、怒られることへの不安とは、読んで字の如しである。「説教・鉄拳・懲罰・怒号」とかだろうか。怒られることが好きな人はドM以外ほぼいないと思うが、それは僕も同じだ。怒られるだろうなっていう雰囲気を察知するだけで、僕はもう不安でたまらなくなる。実際杞憂で終わることもあるのだけれど、ガチで怒られることもあるので、この自己暗示は効果的ではなかった。

 

続いて、大事件になりそうなことへの不安とは、正直先の2つと被っている。「謝罪・後始末」とかだろうか。僕のポカで損害が起きそうになったときは、極めて不安になる。当たり前だよと思うかもしれないが、解決しても5日くらいは不安で仕方なくなるのだ。僕自身にとってはこのパターンが起きることはそうそうないのだけれど、全てが全てトラウマになりかけるくらい強く心に残ってしまった。

 

最後に、人に関わる不安とは、心が弱っている時に主にやってくる。「疑心暗鬼」という言葉に近く、「この人は口では優しく振る舞っていても、心の内ではどうなんだろう」とか、そういう目に見えない気持ちに関する不安である。これは病名が付くヤツな気がするが、元気な時は全然やってこないので、割とセーフだろうと僕は勝手に思っている。

 

以上が、僕がときたま見舞われる不安感の大まかな分類である。

さて、こうやってまとめていく内に、あることに僕は気付いた。

 

過去のトラウマ。

 

それが過去のトラウマである。上記の不安感は、過去の僕自身のトラウマに極めて似ているのだ。

 

例えば、最初の別れへの不安。これは人見知りならわかると思うが、クラス替えや進学に感じるモノは恐怖がほとんど全てである。0からの人間関係の構築、攻撃的な人間とクラスを共にするハメになった時の絶望、挙げればそれこそキリがない。

僕自身、小学校中学校高校大学社会と、5回以上はこういう見ず知らずの人達の中に飛び込まざるを得ない場面にあったのだが、やはりその度にもう2度と経験したくないほどの恐怖を感じてきた。

これらの出来事の前に必ず起こるのが、「別れ」である。

「出会い」と「別れ」は1セットであるが故、僕は無意識に別れに対しても言いようのない恐怖を覚え、それが不安となって些細なきっかけであっても表に出てきているのではと思う。

 

次に、怒られることへの不安。これは色々な場面で食らってきた。少年野球団にありがちな熱血指導然り、部活動での鬼のコーチングしかりと、僕にとって怒りは、大抵暴力とセットになっているものだという認識だった。或いは連帯責任の名のもとに、訳の分からないトレーニングを全員で積んだり、詳しくは書けないが、怒りが発端となって殴り合いの喧嘩に発展したりと、怒られたり怒ったりには、痛みとか超絶なめんどくささとかが絡んできた。これを無意識に恐れるからこそ、僕は怒りの兆候でさえ怖がっているのだと感じる。

 

続いて、大事件になりそうなことへの不安であるが、これは僕がしたというより、やらかした人の一部始終を見たからトラウマになったという具合である。期日に間に合わないと詰む書類を何度も遅延させ、後輩先輩同期全てが敵になってしまった人とか、同行者を怪我させてしまい、一生消えない傷と確執を残してしまった人とか、悲惨なことになってしまった人は何度か目の当たりにしてきた。

こういう状況には陥りたくない、死んでも、絶対。

というのが僕の強い潜在意識である。失敗を未然に防ぐということは良いことかもしれないが、結局はダイナミックな施策は全然採用したくないし、結局は小さく纏まって終わるだけなので、僕は絶対に社長や起業家には向いてないのだろう。

 

最後に、人に関わる不安である。これに説明は要るだろうか?

今考えれば当たり前のことなのだが、人が何を考えているかなんてわからない。だからこそ、気にしたら気にするだけめんどくさいだけだし、どう振る舞っても嫌われるときは嫌われるものである。無駄に敵を作らない身の振り方とか言葉遣いさえキチっとしとけば、それで良いよなと僕は納得してはいる。

しかしだ。どうしても人の考えが気になることがある。特に、人の悪口を口走ってしまう人を見ていると、「俺のことも言ってるのかな?」と不安になるし、急に会話やメールの反応が悪くなると、「あれ、なんか嫌われてる?」と不安になる。もはや病気なのだが、これまた別れとか怒りとかに分岐していくので、根幹に当たる不安なのではと感じる次第である。

原因は、人間関係が劇的に悪化する瞬間を多々目撃してきたからだろうか。人気者が一転して憎むべき敵となったり、仲良しコンビが一瞬で絶交してたり、ラブラブな二人が気付いたら罵詈雑言を吐き出し合う間柄になっていたり、もう山盛りである。こういうのに自分が巻きこまれたらと思うと、極めて怖いしめんどくさい。

 

こういった具合に、僕の不安感には大抵過去のトラウマが密に結びついていることがわかった。

では、一体どうすればこれを改善できるのだろうか?それを考えてみたい。

 

しかし。

 

しかし、字数がわやになったので、今回は分析までで終わっておこうと思う。

次の記事では、こういう疲れる思考に悩む人に効く本を見つけたので、それを紹介しようと考えている。

僕自身まだ脱出出来てはいない身だが、紹介するつもりの本に書いてある内容はすごく腑に落ちたし、無理なく実践もできている。ここまでハマった本は久しぶりだ。

 

ということで、なるだけ早く次の記事は挙げられるに頑張りやす。

そろそろポップな記事も書きたいんだけれどね。いやはや。