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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りと演技。

人見知りコラム

最近、演技の勉強を始めた。そういうテキストを一冊買って、近所迷惑にならない程度にボイストレーニングまがいのことや、稽古の真似ごとをこそこそとやっている。

 

何故か?

眠っていた真の自分に目覚め、トチ狂って役者として生きていく為ではもちろんない。

いきなり演劇を趣味に取り入れようと考えたわけでもない。

理由というか言い訳は2つあるので、まずはそれを述べさせていただく。

 

1つは、演技という技術が仕事で必要だから。

もう1つは、繊細で弱いと自負している素の自分をなるべく守りたいから。

 

えらい中二病チックではあるが、真剣に我流拳法を練習するとか、独自の暗号を開発するとか、そういった目に見えて重篤なものでないのなら、罹患している方が人生楽しいというのが僕の持論である。自分は中二病かもと、言行全てをセルフチェックして、小さく目立たない人生は、正直息苦しいしつまらないのではなかろうか。ま、詭弁だけれども。

 

話は逸れたが、今日はこの2つの理由を軸に、僕が何故演技の勉強を始めたかについて書こうと思う。

そしてこれが結構、人見知りには有効なのではとも感じるのである。

  

対外的な自分を作るススメ

 

自分の素の姿と、他者が求める姿が食い違っているとき、アナタはどうするだろうか。

例えば、社会という世界においては、愛想が悪いより良い方が良いに決まっている。

また、弁が立ち、話術に長けている人の方が、人生楽しく生きられるハズだ。

そういう「良いモノ」像が意外とハッキリしている世界において、愛想が悪い(笑顔が下手含む)とか、口下手で本当に不器用だとかいう人はどうすれば良いのか。

淘汰されて社会から弾かれ、山奥で仙人暮らしという選択肢も否定しないけれど、僕は出来れば社会というコミュニティの中で暮らしたい。

 

そこで必要になるのが、「理想の自分像を演じる」ということなのかなと感じる。

愛想が良いのが求められるなら、そういう自分を作って演じれば良い。

話術が長けている方が良いのなら、本を読んで知識を得たり、スピーチの練習をしたりすれば良い。

求められている時にだけその姿になり切るというのは、多分長い人生で固めまくってきた生き様とか価値観をガラリと変えるよりかは、遥かに楽なハズだ。

 

昔ペルソナがどうこういうくだりでこの話に似たことを話した気がするが、まぁいっか。

 

素の自分のスケープゴート

 

僕はとても気にしいである。

叱責されたり説教されたりすると、自分そのものを否定された気がして、どんなに短くてもその日1日は凹む。

それ故に、たまに褒められることがあっても、その裏に負の何かが隠れていないかが気になって、素直に喜びを感じることができない。

我ながらクソみたいな考え方である。

これを少しでも緩和する為に、どうすれば良いのだろうか。

 

今から言うことは、重篤化すれば解離性どうこういう心理的な病名が付いた気がする話なので、依存しないように気を付けたし。

 

それは、「今叩きのめされた自分は、素の自分ではなく、作られた自分なんだ」という考え方である。

僕が自分で勝手に演じてる一面が叩かれても、別に本体たる僕の人格は特に何ともない。

「まだ演技がヌルいってことだな。ま、もうちょっとしっかりやっか」程度で終わる。

素の自分が弱いと強く自覚している人ほど、演技で作ったその人の落差が激しいことは常々思う。

この辺りの心理が強く働いているのかもしれない。

TPOに応じて自らの処し方を意識的に変えるというのは、自分を守るという意味でも健全な方法とも言えるだろう。

 

おわりに

 

久しぶりの更新にしては、テーマが少し拗れているが、最近どうにも連勤が続いて精神が休まらない状態なのでやむなし。

陽気な季節にはなってきたが、僕そのものは通常運転割と年中曇天模様である。

そんな感じでこのブログもマイペースに続けていこうと思うので、たま~に覗いてみる程度によろしくです。

 

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