僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

僕は『めんどくさがり』を極めたい。

めんどくさがりという言葉を聞いて、良い意味だと思う人は少ないと思う。

 

僕の思うめんどくさがりのイメージは、以下の通り。

 

物事を先延ばしにしたり、取り組んだりしないことへの言い訳に、「めんどくさいから」という言葉を多用するタイプ

 

得てしてこの問答の末には、めんどくさいから「やらない」という結果がセットでついてくる。

 

この手の人間は、古来から物ぐさだの穀潰しだのと蔑まれてきたように感じる。

 

そして僕も実はこのタイプだと強く自覚している。

 

とある事柄をしないことで被害を被るのが自分一人であるなら、大抵は面倒であることを理由に取り組まない。

 

下手すれば無かったことにすらしてしまう。

 

この性質を幾度となく指摘されてきたが、直らないものは仕方ないと最近は諦め気味だ。

 

むしろ、この性質を極めた方が、なんか得なんじゃね?と思うようになってきた。

 

どういうことかを、以下に記す。

  

 

めんどくさいから。

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世の中にはめんどくさいことが山ほどある。

 

具体例なんて挙げればキリがないので今回は割愛するが、めんどくさいという一面を一切含まない事なんて無いのではとすら感じてしまう。

 

そして少しでもそう思ったら、己を律することができるタイプではない限り、取り組むことなく放り出してしまう人が大半だと思ってしまう。

 

つまり、めんどくさい「から」やらないのである。

 

ただ、ここを逆手に取れば、考え方とかを転換する良いきっかけになるのでは、と最近僕は考えるようになった。

 

めんどくさいから「やめる」パターン。

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それは主に思考に使う。

 

この間、僕はリアルに酒席で失態を犯した。

 

あの時の自分をひたすら責めて、人間関係に悪い影響を与えた(であろう)ことをひたすら悔やみ、何時間も落ち込んでいた。

 

しかしそこである考えが、突如として湧いてきたのだ。

 

それは、「ごちゃごちゃ考えるの、めんどくさっ」である。

 

自己啓発書には、「この苦しみが自分の将来を輝かせてくれる」とか、「プラスに考えるように意識すること」とか書いてあるが・・・。

 

そういう高尚な思考は僕には不向きらしい。

 

目の前の苦しみは僕を奈落に突き落とす穴にしか見えない。

 

プラスに考えようとしても、どうにもプラスに考えようがない点が油汚れみたいにこびりついて、どうにも落ちない。

 

しかし、この「考えるのがめんどくさい」という考え方は、結構僕にあっていた。

 

実際めんどくさいと思ってからは直ぐに悩むことを止められたし、普通に寝ることもできた。至って健康的で生産的な「めんどくさがり」である。

 

ごちゃごちゃと要らんことが浮かぶとき。

 

問題が山積しているように感じるとき。

 

そういう時には、一度「考えるのめんどくさっ」と割り切ってみては如何だろうか。

 

一回問題からクラッチを切って離れてみることで、意外と代替案とか解決策が閃くこともある。

 

答えが出ないことを何時間も悩むなんて、めんどくさいのである。

 

めんどくさいから「する」パターン。

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これは逆の場合。

 

僕は電話が嫌いだ。知らない人に話しかけるのも嫌いだ。

 

指示を出すのも嫌いだし、仕事を誰かに振るのも嫌いだ。

 

もっとも、これらは抱え込みタイプというよりかは、元来の人見知り気質によるものが大きい。

 

ということで割と人生損してきているが、最近はこれらのことへ取り掛かれるようになったり、そもそもとしてできたりすることが増えた。

 

それは、「これをやらなかったらもっとめんどくさいからやる」という思考のおかげである。

 

例えば、業務連絡をなかなかハードな相手にしなければならないとする。怖いから電話なんてしたくない。

 

でもしなければならない。その場合、しなかった場合を想像するようにしている。

 

「なんで電話せんかったんかと怒られるし、評価も落とす。結局は怖い目に遭うんなら、ほったらかした方がめんどくさいな」

 

といった風に、なるべくネガティブな将来を考え、そっちのがめんどくさいと相対的に感じることで、結果取り掛かることができるのである。

 

出来る人にとってはこの回りくどい思考の方がめんどくさいと感じられるかもしれないが、

 

僕からすれば直で物事に取り掛かると、結局めんどくさいからと思って全然しないので、長期的に見ればもっとめんどくさいのである。

 

ということで、より面倒な未来を敢えて想定することで、今やらない方がめんどくさいと思うことができ、物事に取り掛かることができる。

 

ある種究極の物ぐさ・めんどくさがりシンキングであるとも言える・・かもしれない。

 

終わりに

 

僕はポジティブ思考でも何でもないが、世の中のマイナスなイメージの事柄の大体は、使い方次第で上手く活きると感じている。

 

この思考法も然りである。

 

さて、明日もまた仕事である。まだ準備が出来ていないが、準備をしなかった時のことを思うと極めてめんどくさいので、今から取り掛かろうと思う。

 

めんどくさがりであることをめんどくさいと思うことが、結局一番めんどくさいんだ。

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