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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

人見知りがかつて恐れていたモノと、現在の認識。

ネガティブ論 人見知り的人生訓

過去の自分がどういうことを考えて、どういう行動をしていたかを思い出すのは意外と難しい。

今より身長が10㎝低かったころは、どういう世界が見えていたかを思い出すのと同じくらい難しいのではなかろうか。

 

しかし、最近過去を知ることができる材料が色々と出てくる場面があった。

数年ぶりに会う友人の中の僕とか、昔学校で書いていた日記の中の僕とか。

聞いたり読んだりしている内に、毛穴という毛穴から汗が噴き出すかのような恥ずかしさであった。

 

でもよく考えると、汗顔になるということは、恥ずかしいと思えてる(気付けている)ということだから、自分は人間として器が大きくなったのだと信じて良い気がする。

というより、信じたい。

 

そこで今日は、前回の記事の流れをトン切り、上記の材料から色々と思い出した、かつて僕が恐れていたことと、その実―今はどう捉えているか―について述べていく。

  

周囲の目が怖い。

 

昔、僕は集団の規範から外れた(と考えられることを含めた)行動をすることが極めて嫌であった。

理由はただ一つで、そうすることで団体から爪弾きに合うと考えていたからだ。

僕らの先祖は農耕民族。

集団から弾かれれば、食い扶持は無い。僕はこの恐れを色濃くDNAに刻み付けられたと見える。

 

だから、見た目もファンキーとは真逆の目立たない格好に終始したし、授業中に挙手したことも一度も無い。体育の時間が自分の得意なスポーツであっても、活き活きとしたことなど皆無。冗談抜きで、当時の僕を覚えている人は学年の何%だろうか。指折り式で数えきれる気がする。

 

では、現状どう考えているか。

僕は割とフリーダムに、マイペースに人生を送っている。

理由は、友達に一度言われたセリフが無茶苦茶腑に落ちたから。

それは、「全人口の99.999%はお前に興味が無い」というものだった。

 

確かに。

 

皆が僕を視ているなど、今思えば被害妄想甚だしい。

僕が髪型を変えたから何だ。交通機関でも止まるのか?

僕が挙手したから何だ。誰か心臓麻痺でも起こすのか?

こう悟ってから、人の目を気にするのが極めてバカバカしくなってしまった。

 

とはいっても元来僕はステージでスポットライトを浴びたい人間でもないので、

結局は丁度いい位置に落ち着いているような気がしている。

 

周囲の目が怖いのは、言い換えればただの被害妄想である。

実を言うと、髪にワックス塗ってみた時とか、思い切った服を着てみた時とか、ちょっとドキリとするコメントを貰ったことはある。

しかし割合にすれば10回そういうことをして1回あるかどうかだし、攻撃性のあるコメントは0であった。

統計的に見てもアホくさい。

 

人に嫌われるのが怖い。

 

上記の話に通じるのだが、僕は誰かに嫌われることがとても怖かった。

八方美人に徹し、頼み事は受け、聞こえの良い言葉を選んで。

自分らしさを心底に押し込め、色々と行動を律して・・。

今思えばうつ病になりそうな思考と言動である。

 

が、ある出来事を境に、僕はキッパリこれが怖くなくなった。

それは、自他ともに「あ、コイツ俺のことが嫌いだな」と思う奴が現れたことである。

僕を見ただけで不愉快な顔をし、言動は明らかにキツい。愛や他意があるかと言えばそんなことも無く。

 

で、僕はどう感じたか。

自分でも驚きだが、全くのノーダメージだった。

寧ろ、「あっそ」程度の無関心であった。今でも誰かが面と向かって僕に「お前嫌い」と言ってこようとも、多分死ぬほど興味が無い。

 

理由はよく分からないが、自分には慕ってくれる後輩もいるし、可愛がってくれる先輩もいるし、10年以上付き合いのある友達もいるしと考えていたら、どこかの誰かに嫌われようともどうでもよいという結論になった。

多分ここが理由じゃないかな。

 

八方美人になろうとも、八方美人という性格を毛嫌いする人もいる。

穴を掘っては埋め続けるような無駄な努力だったと今は自覚している。

 

積極的に人に嫌われる行動は流石にしていないけど、人の顔色伺って必要以上に引っ込めるということもしなくなった。

例えば悪口は言うのも嫌いだし、聞くのも不快である。不毛な時間極まりない。

 

すると、気苦労が滅茶苦茶減った。

これまた先のテーマに通じるのだが、僕一人が好きに生きたって、誰かに嫌われたって、別に地球が滅びたりはするワケがない。

 

僕は70億人いる内のただの一人であり、ただの固有名詞のあるホモサピエンスである。

自分を愛するのは大事と聞くが、無意識に神格化するのもどうかしている。

 

訪れていない未来が怖い。

 

進学、就職、発表、告白、結婚、死別などなど。

考えるだけで恐怖を感じ、心拍数が上がりそうな事柄は腐るほどある。

でも、細分化すれば更にキリがない。

「今日明日にでも実家のペットが死んだらどうしよう」とか。

「事故って免停食らったら仕事いけないなぁ」とか。

思い出すのも疲れるのでこのくらいにするが、訪れていない未来を不安に考えるのは、正直100マス計算より遥かに簡単だと思う。

 

過去の僕は、少しでも兆しがあれば、こういうのを不安視するクセがあった。

精神衛生上極めて悪い状態である。風邪を引きながら水風呂に浸かるようなものだ。

友人にも「それは疲れるからヤメロ」と言われながらも、「ここで思考巡らして対処法考えとかないと、起こったらどうしようってなるから」と駄々をこねていた気がする。

 

で、今。

そんなもん杞憂である。僕は本気でこの過去の気質に関しては自分を軽蔑している。

一度じっくり過去を振り返ってみたら、99%くらいの想定したことは起こっていないし、残りの1%も、全然全く大したことのない結果だったからだ。

想定外のことが起きたらそれで人生が終わるなら、僕は生まれて数秒で天に召されている。

 

今の僕の思考回路は、「起こると99%くらい分かるまでは」動かないというものである。

具体的には、仕事の締め切りとかそういうのである。

それ以外の「どうしよう系」の疑問は、湧いた時点で脳内から葬り去っている。

だって、労力も時間も、使うブドウ糖も無駄だから。

 

起こってもいない未来をネガティブに解釈し、下手に疲れるくらいなら、今日の晩飯に何を食べるかでも考えた方がずっと実りがある。

前者は不幸しか生まないが、後者は幸福を生む。

 

今日は肉を食べよう。何か幸せになってきた。

 

終わりに。

 

結局恐れていたことの化けの皮を剥がせば、実に何でもないことであった。

あと7年くらい早く気付けていたらと後悔する気持ちが無くも無いが、それより晩ご飯のメニューを決める方が大切なので無視するとする。

 

どうにも色々なものが恐いなと思う時は、別の角度から見てみることをオススメする。

断言するが、恐いもののほとんどは、ただの思い込みである。

 

ということで今の僕が本気で恐れているのは、おばけくらいである。

あれは、化けの皮を剥がそうとも、恐い。

 

仕方がない。

 

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_,松谷 みよ子,怪談レストラン編集委員会,たかい よしかず

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