僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

タイトルをマイナーチェンジしました。

 

僕のスペックは、いわゆる『生き辛い』とされる要素で構成されている。

 

例えば、人見知り、ヘタレ、心配性、責任感が強すぎるetc…

希望溢れる幼少期の自分に、絶対伝えてはならない現状だ。

 

人見知りだから、他者とのコミュニケ―ションに呻吟して。

ヘタレだから、理不尽をぐっと飲みこむことしかできなくて。

 

心配性だから、行動が遅れを取りがちで。

責任感が強すぎるから、ありのままの自分を否定しがちで。

 

ひっくるめて僕はネガティブなのだ。

そしてそのネガティブは、日々底なし沼の如く深くなり続けている。

 

目立たないことこそ至高だと考えていた。

スポットライトの下、楽しそうにしている人を、微笑みながら見ているくらいが丁度いいと思っていた。

 

僕に主役は似合わないし、求めもしない。

小さくまとまって、小さくまとまって、ひっそりするのが理想形。

 

大学卒業までは本気でこう思っていた。

 

また、暑苦しいメッセージも嫌いだった。

 

『夢をもって、でかく生きよう!』

『戦い続ければ、敗者になることは無い!』

『自分の可能性にフタをするな!』

 

「そう言われましても、僕には分不相応極まりないです。」

心の中に、顔の前で申し訳なさそうに掌をヒラヒラさせる自分がいた。

 

諦めてきた夢も随分多かった。

 

自分に魅力を感じる異性がいたら、どこかがおかしい。

だから僕は恋愛も結婚も求めないと決めた。

 

僕がチームを胸張って率いている絵図なんて、気色悪い。

だから僕は、リーダーを目指さないと決めた。

 

お金は消費をコントロールすれば、いくらでもやりくりできる。

だから僕は、お金を求めないと決めた。

 

自己否定を繰り返し続けることで、何とか自我を保っているかのような。

自分を傷つけながら、僕は自分を肯定していた。

 

  

―ただ、それらは全て過去の話。

 

今、僕は割と自分を肯定できているし、割とネガティブを飼い馴らして、割とポジティブに楽しく暮らせている。

 

今までウダウダ書いてきた過去の自分の思考全てを、今は鼻で笑ってあしらえる。

僕は成長している。

 

その軌跡は、決して一直線な道ではなく、逆効果なこと、無駄なことも数多くあった。

 

契機が偶発的なものだったことも多い。

 

まだまだ超若造なので、ここからどう転ぶのかも分からない。

しかし、以前よりマシなのは事実だ。

 

今は、理不尽に対し、顔で笑って心でキレることもできるようになった。

僕は機械じゃなくて人間なのだ。無下にされたら、そりゃ怒る。

 

今は、普通の欲として伴侶を求める気持ちも出てきた。

僕には案外セールスポイントがある。女性はたくさんこの世にいる。出来ないわけないじゃんという余裕があったりもする。

 

自分の気質と向き合う機会があったこともあり、僕は意外と野心家だということも分かっている。

 

未だに表舞台で大活躍というビジョンは魅力を感じないものの、何かしらの組織を率いてみたいという意欲は湧いている。

 

人間、何が起こるか分からない。

 

ここまで書いておいて変な話だが、実のところ、僕は性根の気質そのものは全く変わっていない。

 

僕は今でもネガティブだし、ヘタレだし、人見知りなのだ。

変わったのは、それの捉え方と扱い方だけ。

 

『自分を変える!』ことに、性格の破壊や再構築は、正直なところ不要だ。

 

大切なのは、『認識』を変えることと、その『使い方』だと思う。

 

そういうヒントになることを、このブログで纏めていきたいなと最近は考えている。

 

となれば、今までのタイトルのように、『人見知り』だと、限定し過ぎなのでは?と感じるようになった。

 

だから、タイトルを変えた。

 

『僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。』というのには、色々な想いとかその辺がこめられている。

 

仕事。プライベート。まだ書けないけど、恋愛。家族。

 

それぞれの状況に応じて、自分のネガティブをどう押引きすれば良いのか?

 

僕が体験して、試行錯誤して、それなりに上手くいったことを、今後は(今後とも)書き散らせればと思う。

 

今日はとりとめのない文章ではあったが、取り急ぎの挨拶として、ここまでにしようと思う。

 

150記事をまずは目標に、チマチマと頑張ります。

読んでいただき、ありがとうございました。