僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

『好きなことだと饒舌だな(笑)』でいいじゃん。好きなものにはトコトンハマろう!

いわゆるコミュ障の定義を改めて読んでいると、気になる一文があった。

 

・好きなことだと、周囲を気にせず饒舌になる。

 

―これは是なのか非なのか。というか、これって割と普通のことじゃねえの?

 

周囲が見えなくなるほど熱く語れる何かがあるなんて、むしろすごいことだと僕は思うのだが・・。

 

こういうことを考えていると、世間には『ウケ』の良い趣味悪い趣味ランキングなんてのが存在するのを思い出した。

 

上位は、スノボ、アウトドア、フットサル、料理、お菓子作りとかで、下位は、マンガ、アニメ、鉄道とかだった。

 

空想世界における理想の彼氏・彼女のステレオタイプが見え隠れして、辟易する。

 

かつて病的に人目を気にしていた時期、自分の趣味を顧みて、『俺の趣味、世間的にクソだな・・』と落ち込んだことが実はある

 

堂々と趣味を語れるのは、世間のニーズに合致した方々の特権とさえ考えていた。

 

今は逆。

『こういうアンケートがクソだな』としか思わない。

 

周りがどういうリアクションを取ろうと、場面次第で、僕は饒舌になる

 

『好きなことだと饒舌だな(笑)』という冷やかしを受けたことは、実際ある。

 

でも、その時は酒席。

 

僕も割と酔っていたので、臆せず言い返した。

『お前にはハマってる何か、ねえの?』

 

そいつは黙った。

 

同時に、こういう冷やかしを入れたり、コメントをネットに書いたりする人の心理が分かった気がした

 

今日は、好きなことだと饒舌になることは悪くない!むしろ、胸を張って語れ!というメッセージを、なるべく根拠も添えて、ロジカルに伝えたいと思う。

 

 

 

 

僕は何に入れ込んでいるのか。

 

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※この項目はただの思い出話。興味がない方は、読み飛ばしていただいて構わない。

 

 

(上記の目次をクリックすると、素早く進めます)

 

 

僕は人見知りでネガティブのくせに、好奇心だけは一丁前だ。今まで色々なことに手を出し、あるものはハマり、あるものは飽きてきた。

 

幼少期は、とにかく生き物にハマった。

 

昆虫。植物。動物。古代生物。ありとあらゆる図鑑が何故か家にあり、そのすべてを数えきれないくらいに読み漁った。

 

特にハマったのは魚。これは理屈ではない何かにドハマりして、今の今までとにかく大好きである。

 

5歳くらいの時に魚図鑑をもらって、それを破るまで読んだのを思い出す。

 

だからか、今でも居酒屋で出てくる魚や、水族館のそれらの名前は、7~8割は当たる。自慢としては微妙なのは否めないけど。

 

その流れで、魚釣りが大好きだ。好き過ぎるあまり、一時期釣具屋でアルバイトもしていた。

 

そんな僕だが、小学生になると、ゲームが家庭に普及し始めたのもあり、ゲームに超ハマった。

 

好きだったのは、自分なりに制限を付けてクリアする『縛りプレイ』というヤツだ。

 

一切の殺生なくクリア。

特定のアイテムは使わない。

○時間以内にゴール。

 

そういう課題を自分で作り、乗り越える。楽しい。だからまたやる

 

僕はこの辺で、人生に通じる何かを勝手に学んでいた気がする。

 

小学校高学年になると、友達に誘われて野球を始めた。

 

練習はきつかったけれど、漸次的に進歩していく自分が嬉しくて、これまた入れ込んだ。

 

自主練も積極的に行った。

ちなみに、このとき始めたウェイトトレーニングは、今でも日課になっている

 

さて。

 

中学生になると、これまたゲームに入れ込んだ。青春の5割くらいはモンスターハンター。嘘偽りのない僕の中学生活である。

 

受験を終えて高校生になると、丁度『電車男』やらの影響でアニメが流行っていた。

 

すさまじい熱量を持った友達に気圧され、いくつかのアニメを観たのち、僕も見事にハマった。

 

気付けば12時間アニメを観ていたこともある。どこにこんな集中力があったのだろう。

 

世代がバレるが、ハルヒだのローゼンメイデンだのらきすただのAirだのCLANNADだのは観まくった。

 

特にCLANNAD。ファンブックまで買うくらいハマった。たぶんそろそろ、ブルーレイのセットも買う。

 

他には、何故かお菓子作りにも半年くらいハマった。今でも多分、プディングなら焼ける。

 

一時期、ゲーセンに制服のまま入り浸り、格闘ゲームをしまくっていた時期もある。

 

また、たまたま情報(PCスキル系の授業)の成績が良かったのもあり、先生のススメでとある資格を取ったのも高校の時だ。

 

大学受験を機として大体の趣味を一旦止めたものの、結果として再開したものが大半だ。

 

大学に無事合格し県外に出てからは、世界が広くなったのが印象的である。

 

得意だった英語をさらに伸ばすべく、TOEICの勉強に精を出した。これは今の仕事にめちゃ活きている。

 

車を入手してからは、小旅行にハマった。

 

サークルがあちこち行く系のそれなので、行ったことが無い場所に行く楽しさを学んだためだ。

 

その先々で、ご当地のお酒を飲んでみると、僕にとって日本酒が至高だと分かった。

 

ただ酒は、やり過ぎると健康を害するので、歓迎シーズンでやらかしたのもあり最近は控えめにしている。

 

そして、読書に熱狂し始めたのは大学3年から。元々好きではあったが、改めてハマったのはここからだったりする。

 

余談だが、このとき一瞬将棋に手を出し、ゲームのCPU最弱に勝てず嫌になって止めた。

 

その後、就活を乗り切ってからはキャンプだとかそういうのに夢中になった。約30000円を投じて、一通りのグッズは揃えている。

 

社会人になって小金を得ると、趣味の広域化は加速した。

 

家を磨き倒したいからと、洗剤を買い集めたり。

家を映画館にしたくて、プロジェクターを買ったり。

月に買う本の冊数を5冊くらいに増やしたり。

 

そして今に至る。

 

現在は、釣りと読書にほとんど振り分けているものの、家庭菜園だとか料理だとかも、空き時間にチョコチョコ勉強している。

 

・・・というワケで、僕はあらゆることにハマって、飽きて、でもいくつかは終生のそれになってというのを繰り返している。

 

見返してみると、世間的にウケの良いそれがほぼないのにはお気づきだろうか

 

しかし、僕は滅茶苦茶人生が楽しい。今がピークで楽しい

 

『別に好きじゃないけどウケのよい趣味』を追いかけていては得られない昂奮だ

 

そもそも、『ウケのよい趣味』には、罠がたくさんある。それについては次項で述べる。

 

『ウケのよい趣味』の罠。

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世間一般でのウケの良い趣味とは、『誰に向けた』それなのかを考えたことはあるだろうか

 

僕は以下のように感じている。

 

「私の彼、スノボが趣味なんだ!」

「俺の彼女、お菓子作り超上手なんよ!」

 

みたいに、『”誰かに自慢する際に”ウケがよい趣味』というのが真意ではなかろうか。

 

となれば、捻くれた見方をすると、結局『こんな趣味を持つ人を彼(女)に持つ私(俺)、すごくね?』という気持ちがどこかにあるのだろう。

 

こういった考え方の人に合わせるため、己に好きでも無い趣味を足すのはクソ無駄だ

 

そういう方は、もっと高尚なステータスを持つ人間が現れると、簡単に心移りすることが多い。

 

人柄ではなく肩書で見るというのは、哀しいけれどそういうことである。

 

そして、罠は続く。

 

ちょいとかじって、ウケの良い趣味を覚えたとしよう。

 

しかし、それはガチ勢からすると、ニワカも良いところである。

 

少しの聞きかじりとか読書で『○○が好きなんすよ~』とかと吹聴すると、多分今度はガチ勢から『ぶってるな~(笑)』という評価が下される

 

僕も、釣りが好きという人間の中でも、『やたら専門用語を使って釣りを語るヤツ』と、『ブランド名と製品名だけ記憶して通ぶるヤツ』が好きではない。

 

ニワカとか、ぶってるとか思う前に、純粋にめんどくさい。

 

つまるところ、他者評価を追い求め過ぎると、結局何だかんだでけなされるのだ

 

好きでもないことを覚えても、リターンはほぼ無い。

 

強いて挙げれば、やってみれば本当に楽しくて、趣味が増えることもある、くらいでは?

 

ということで、ウケのよい趣味には、こういうしょうもない裏があると僕は考えているワケで。

 

では次に、人見知りにとっては恐ろしい、あのセリフの裏側を考察する。

 

『好きなことだと饒舌だな(笑)』の裏側。

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こう言われないために、僕は昔、自分を出さないようにしていたのだが・・・。

 

今はこう言われたら、ソイツを『あぁ、哀しいヤツだな』と思う。どうしても思ってしまう。

 

この手のヤツのパターンは、乱暴に分ければ2つ。

 

まずは、『自分にちょっと後ろめたい趣味がある』という場合だ。

 

例えば、フェチ系写真集を眺めるのが好きとか、お腐れ様とか、コスプレ大好きとか、家でタランチュラ飼ってますとか、そういうのだろうか。

 

市民権を得たかどうかはまだまだ微妙なので、晒されたら人生詰むと考えるのもまぁ分かる。

 

それはさておき、何故こういうのが上記のセリフに通じるのか。

 

簡単な話である。

『イジる側に回れば、イジられないから』だ。

 

自分のプライベート(秘密)を守るためには、誰かを茶化す側に回るのが一番簡単である。

 

だからこそ、僕にそう言ってきたヤツに『お前にはハマってる何か、ねえの?』と返した時、相手は黙ったのだろう

 

別に堂々としてればいいのにな。趣味が何だろうと、僕は熱を持った人間が好きである。

 

さて、2点目。

それは、『入れ込んでいるものがないことをコンプレックスと捉えている場合』

 

自分には、打ち込めるものがない。

打ち込めるものがあり、輝いている人が羨ましい。

 

ここまでならまだ健全なのだが・・・。

 

悔しい。畜生。

あ、あいつアニメとか鉄道とかにハマってる(笑)ダセー(笑)

 

という『斜に構えた俺イケてね?』モードまで行くと、なんか胃袋が酸っぱくなってくる。

 

そもそも、自己肯定が出来ている人は、いちいち他者を評論したりしない。どうでもいいからだ。

 

でも、他者を評論しているヤツを見ると、そういうことなのだろうと思ってしまう。どうしても思ってしまう。

 

僕も一時期他者評価を病的に気にした時期があるから言えるのだが、あの時の気疲れや意識程不毛なものは無いと思う。

 

他者を評論するヤツは、ただのコンプレックスの裏返しが多いと、当時の僕に教えてやりたいくらいだ。

 

好きなものは好き。それでいいから、評論するヤツも、趣味をひた隠すヤツも、堂々とふるまえば良いのにな。

 

偉そうな物言いではあるが、今は率直にそう思う。

 

ハマることのメリット。

何かに熱狂し、集中し、入れ込む。これには、計り知れないメリットがある。

 

まず浮かぶものとしては、自分の将来に活きる、というものだろうか。

 

『好きなことを仕事にしよう!』と言われる。好きなものがなければ、そもそも考えることすら不可能だ。

 

実のところ『好き過ぎること』を仕事にするのを僕はオススメしないものの、『得意なもの』『やってて楽しいもの』をヒントに就活をするのはアリだと思う。

 

周りにいる活き活きと働く人たちは、『人生で一番好きというワケではないけど、トップ3くらいで好き』くらいのところで仕事を選んでいる方が多い。

 

仕事とは別に没頭できる趣味を持っているのだ。こういう人は、確かに強い。

 

あとは、1つ何かにハマるだけでも、それに関連する知識をまとめて入れられるのもデカい

 

メタルギアソリッド3というゲームにハマった友人がいる。結果、メインのストーリー、キャラクターに詳しくなるのはまだ分かる。

 

しかしそいつは、舞台となった時代背景、銃の名前、地名等々、それに関連する情報まで異常に詳しくなっていった。

 

それは僕にも心当たりがある。

 

幕末を舞台としたゲームにハマった時期があるのだが、当時それのイメージは、『大政奉還』『龍馬すげー』くらいの浅すぎるものであった。

 

今はそこから派生して派生して、明治維新の流れだとか、新選組だとか、松下村塾とそこに関連する人々だとかの知識を読み漁った自分がいる。

 

まだまだニワカの範疇だが、かつての自分より遥かに幕末の知識はある。

 

1つにハマるだけで、オプションの知識が得られるのは、とても強い。

  

そもそも、『ハマること』は、『成功』に必須なのかもしれない。

 

 

ビジネス書などを読んでいると、色々な成功者(起業家・社長・個人事業主)が推薦することに、ある共通点があることに気付いた。

 

それこそが、『好きなものにトコトンハマる』ことだ。

 

ある人は、『好きなことに入れ込まないと、理想の仕事に出会えるわけがない』と言う。

 

また、ある人は、『徹底的にハマったその先に、ビジネスのチャンスが転がっていたりするものだ』と言う。

 

そして、『何か突き抜けたものを持たない人に、僕は魅力を感じません。』と語る人もいた。

 

彼らは、『画一化を推奨する日本の教育』と、『子どもの好きな物を強制する保護者』に警鐘を鳴らしている。

 

こういうセリフに出会い、僕は自分が間違っているのではないと分かり、嬉しかった。

 

そういえば、両親からは特に『あれをしろ!』『それをするな!』と強制された記憶はない。

 

だからこそ僕は、自分の好きなことを追いかけられたし、結果として色々な知識を付けられた。

 

今さらだが、超感謝である。

 

ここまでくると、何かに没頭することは、これからガンガン成功するためには必須で必修なのだとさえ思う。

 

そしてそれは今後も続くとみて間違いないのだろうと、強く感じている。

 

終わりに。

 

思いがけず熱くなったため、いつぞやの旅行記の次に長い記事となった。

 

人見知りを長いこと続けてきて、ようやく頭では『他者評価ばかり気にすることの無意味さ』が分かってきている。

 

これが無意識のところまで落とし込めれば、僕は人間としてやっと人並みになれる気がする。

 

その足掛かりとして、『好きな物を好きと言えるか』は大きい。

 

シニカルに考えれば、他者の趣味に注文を付ける奴は、自分の器が小さいことを公言している様なものだ。

 

不寛容であると周囲にがなり散らして、何か得をするのだろうか。

 

昨今、夫の趣味のジオラマ・フィギュア・漫画を”気持ち悪いから”捨てましたという話も聞く。その中に、夫の気持ちは微塵もない。

 

生き辛い。生き辛くて仕方がない。自分の世界すら持たせてもらえないとか、息苦しさが時代を逆行している気がする。

 

仮に僕が趣味のグッズを処分されたら、冗談抜きで生きる希望を無くしてしまう。

 

そういう悲しいことを防ぐためにも、好きなことを好きと周囲に言えること、そしてそれを『そうなんだ!』『いいね!』とかで肯定してあげることは大事だと思う。

 

超思う

 

もし、人目を気にして公言できていないものがあるのなら。

 

もし、他者にやんや言われるのが嫌で始められていない何かがあるのなら。

 

もし、過去に何らかの事情で、好きだったのに止めてしまったことがあるなら。

 

今すぐ始めてみよう。再開してみよう。

 

他者の目も評価もクソどうでもいい。それらの言葉には、考慮すべき意味などない。

 

気にしすぎて閉じこもるか。

それとも、楽しそうな世界に飛び込むか。

 

答えは自明だと思うが、是非考えてみてほしい。

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