僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

感情をコントロールする大切さが、身に染みて分かる。『決断力』

 

最近、感情が荒れている。

 

原因は、コンプライアンスの関係で細かく明かせないものの、要するに3,4方向から同時に雑事を振られまくっているためとお考えいただければ。

 

僕が影分身の術を使えると勘違いしているのでは?というくらい、降ってくる量が多い。

 

Noと言えない日本人の典型例である自分が憎い。

早く末端の社員から卒業したいものである。

 

今はまだ『怒り』がメインだから良いものの、どこかでゴソっと『鬱』に転じる可能性があると思うと、ヒヤヒヤする。

 

無論、『怒り』の段階であれば、コントロールして上手に使うことも可能である

 

例えば、『怒り』をエネルギーとして憤然と業務に取り掛かれば、多分数倍の速度で仕事が目の前から消えていく。

 

だが、残念ながら僕はネガティブなのだ。

 

一区切りついたあとのブレイクタイムで、そいつはぬたりと忍び寄る。

 

『終わったけど、クオリティ雑じゃない?』

『結構独断でやったけど、いいのかな?』

『ちゃんと要望通りのテンプレかな?』

 

「あーうるさい」と一蹴できれば良いものの、できないのがネガティブの性。

 

結局アグレッシブな僕がやった作業を、ネガティブな僕がダブルチェックというクソ不毛なことをすることも多い。

 

不健全極まりない。このままでは僕のGWは鉛色だ。

 

こういう乱れに乱れた精神状態を正常に戻すには、どうすれば良いのか。

 

そういえば、そんなのをテーマにした本を持っていることを思い出した。今日はそれの紹介である。

 

  

それがこちら。『決断力』

『最善の決断を下すためにはどうしたら良いか?』といった事柄を、将棋になぞらえて述べている本である。

 

驚くべきは、とにかく内容が『論理的』なこと。綺麗に言葉が並んでいて、極めて読みやすいという印象だ。

 

将棋になぞらえているとはいえ、難解な比喩は無いし、少しあっても文体が分かりやすいため、理解するのが楽である。

 

正直、これくらい論理がすっきりした文章は、いつか書けるようになりたいと強く思うくらいだ。

 

実際、山口県の某私立中学では、入試問題として引用されていた本でもある。

 

さて。

 

この中で繰り返し述べられているのが、『知識は必ず使ってみる』『直感を信じる』『難しく考えない』といった心構えだ。

 

他にも最善の決断を下すための要素が数多く登場するが、僕の中で一番心に響いたものは、以下のフレーズである。

 

楽観はしない。

ましてや悲観もしない。

ひたすら平常心で。

 

 

感情に揺さぶられると、決断のタイミングも質も誤る。僕はそう解釈した。

 

楽観も悲観も、平常心からかけ離れた状態である。

 

楽観であれば、普段は取らない珍奇な行動に、深い考えも無く出てしまうかもしれない。

 

悲観であれば、多少大胆でも必要な手を、ネガティブが邪魔して打てなくなるかもしれない。

 

必要なのは、冷静さ。

 

つまり、平常心

 

今の僕に、欠けているものである。

 

それに気付けてからは、自覚して意識を変えるだけなので、こちらの得意技である。

 

どれだけプリプリしようとも、仕事は消えない。ましてや、『なんとかなるやろ』でもどうにもならない。

 

優先順位はどうか?何から手を付けるべきか?これは人に振れないか?クオリティはここまで必要か?そもそもこれはやる必要があるのか?ボトルネックは何なんだ?・・・

 

冷静になって、落ち着いて分析していくと、頭を支配していたどす黒い霧も、どこにぶつけるでもない怒りも、だんだんと消えていった。

 

結果、GW前には全ての仕事を完遂するところまでいった。

 

僕は今、ちまちまとGWに計画しているキャンプの内容を、楽しく詰めているところである。

 

楽観はしない。

ましてや悲観もしない。

ひたすら平常心で。

 

最近の自分において、喜怒哀楽のいずれかが極端に強いという認識があるとき。

 

多分、あなたの思考は良くも悪くも正常ではない。平常心でないと、決断を見誤る。

 

『では、どうやってニュートラルな思考に戻していくべきなのか?』

 

この『決断力』は、その問いの答えになる名著である。