何度も言っていることだが、僕は一時期本気で人見知りを治そうとしていた。
10代後半~20代前半にかけては、まさに悪戦苦闘の日々。
意見を言えない自分。
一歩引いてしまう自分。
堂々と出来ない自分。
全てが嫌いだった。現状に満足なんて出来るわけがない。
理想の僕は、物怖じせず、堂々と意見を述べて、誰の前でも胸を張れているはずなのだ。
・・・という日々を数年過ごし、今はどうなっているのか。
これまた何度も言っているが、そのような努力は徒労だと感じている。
人見知りを治すのではなく、長所と捉え、押引きの仕方を考えるほうが健全である、と。
実際、受け入れて、考え方を変えてというプロセスを経た今、それなりに満足して生きられている。
だから僕は、人見知りを治したいという意見には、あんまり賛成できない。それよりも、自分を受け入れなよ、と思ってしまう。
そうはいっても、人見知りである己が不満で不安で仕方がないのであれば、改善する方法を試してみるのはアリだ。
今日は、僕が思う人見知りを治すためのプロセスを、メンタル面の話に絞って述べていく。
『人見知り』を理解しよう。
僕の感覚だと、人見知りとは、
『他者に嘲笑されることが異常に怖いがゆえに、目立つような行動を全力で避けること』
とか、
『社会から爪はじきにされることを恐れるがために、自己主張を可能な限り隠し、他者の意見は可能な限り肯定する』
とか、そんな感じではないかと思う。
友達は欲しい。でも、話しかけてウザがられるのは辛い。
彼女は欲しい。でも、話しかけてキモがられるのは辛い。
こういった恐怖が欲に勝つ限り、僕らは永久に一歩を踏み出せない。
僕は超絶な人見知りなので、この気持ち・感覚は身に染みて分かる。
・・・となれば、まず何から始めるべきかなんて明白だ。
この人見知りマインドをぶち壊すこと。
それに尽きる。
『周囲は敵』『自分の一挙手一投足は、みんな見てる』『周りの顔色を窺うのがタダシイ』
こういった人見知りの確固たる信念を転換しない限り、人見知りは人見知りの狭い世界の中で果てるのみだ。
以下、それを踏まえ、具体的な方法を紹介する。
マインドを作ろう。
必読書と言っても言い。これまた何度もここで紹介している『嫌われる勇気』を読み込むところから始めよう。
正直、もっと早く世に出ていてくれれば、高校生の僕は救われたのでは?とさえ感じる。
『周囲は敵』『自分の一挙手一投足は、みんな見てる』『周りの顔色を窺うのがタダシイ』
という先に述べた事柄が、ものの見事に論破されていく。そして、そういう感覚を持っている限り、『幸せにはなれない』とも書かれている。
この本を読んで、狭すぎる価値観を矯正しよう。
その後は、自分の意見をガンガン通す人の心の内を学ぶのがオススメである。
例えば、最近出たこの本は良著であった。
また、自分の意見が言えたら楽しいだろうなと感じさせてくれる、対談の本も面白い。
ということで、自分の価値観を良い方に転換し、ノー人見知りの考え方などを吸収。メンタル面は、まずここから始めてみよう。
チャチャを入れてくる人の気持ちを知っておこう。
しかし、そういった知識を入れても、やはり『他者』が怖いという人は多いと思う。
怖いと感じるものは、得てして『不明な点』が多いということ。分からないものは、確かに怖い。
・・ということで、チャチャを入れてくる人の思考は、実際のところ大体こうだというのを解説していく。
まず、『ぶってる(笑)』『今日はかっこつけてるじゃん(笑)』といったことを吐いてくる奴。
暇なんだろう。暇だからこそ、他者のことを観察して、揚げ足を取ろうと身構えているのだろう。
そういう軽すぎる思考にビクビクするのはバカバカしい。こう気付いてから、僕はこういったコメントに取り合わなくなった。
中身のない話に貸す耳は無い。という話である。
『常識として~』『一般的に~』とかで絡んでくる奴。
2パターンある。一般論を隠れ蓑に、とりあえず他者より優位に立ちたいか。それか、何も考えていないか。
『あんたのために』という気持ちがありそうなのが厄介なのだが・・。
例えばこちらから『他の理由は?』と突っ込んでみて、返事に窮していれば、相手も深く考えていない証拠なので気にする価値はない。
そもそもとして、こういう絡みをしてくる奴はあまり多くない。
脳内の他者はこういうことを言ってくるかもしれないが、現実にそこまでの暇人はそうもいない。
例えば、あなたも日ごろ変わり者を目にすることは多々あると思う。奇抜な頭、格好、言動・・・。
しかし、そういった人を見た場所、その容姿を細かくあなたは言えるだろうか。
奇抜な人でそうなのだから、僕らのような一般人が、雑多な誰かの記憶に残るワケないじゃないか。(残ったとしても不都合ないし)
ということで、他者からの怖い(と錯覚しているだけ)のコメントの解説はこんな具合である。
ここまでのことを読んだら、最後の項は実践編である。
恥をかこう。
以前これをテーマに記事も書いたが、再度紹介する。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
恥をかいて、恥ずかしい思いをする。そしてそれが全然誰にも相手にされない、記憶にも残らないという経験を積む。
僕は、自分の人見知りが改善した契機は、ここにあると強く感じる。
無論、女装して出歩け!とか、交差点でライブしろ!とは言わない。
もっと簡単なところから始めれば良いのだ。
家のすぐそばであれば、意識の高いトレーニングを行ってみよう。
ランニング。階段ダッシュ。素振り。シャドウピッチング。何でもいい。
『うわ、ぶってる(笑)』と脳内のクソが言ってきそうな何かをしてみよう。
間違いなく、誰も注目しない。でも、されないことが大切。早速、夕方にでもやってみよう。
或いは、カフェに一人で行くのも良い。そこで、とことん『ぶって』みるのもアリだ。
明治の文豪の作品や洋書など、意識が高いと揶揄される本を、カフェにて独りで読む。
これを1時間もやってみると、チンケなプライドは消えているのではと思う。
ということで、自分の中では大恥の何かを、実際にやってみることが大切。頭で理解しても、経験しないと分からないことはある。
『他者は自分に全然興味がない』という考え方を心の底から理解したとき、人見知り打破の最初の一歩が踏み出せる。
先述の本を読んで、チャチャを入れてくる奴らの思考を知ったら、あとは恥をかく!
ここが人見知り打破に必要な事柄だと僕は感じる。
あとがき。
僕は人見知りを、治すのではなく活かす方向に考えている。
と述べた。とはいえ、精神が未熟だった時期よりは、遥かに人見知りが緩和しているという実感もまた、ある。
本気で人見知りを治したいと感じているのであれば、ここに述べた方法は、シンプルながら効果が期待できるものだ。
次回の記事では、フィジカル(=もとい見た目)について書いた。ぜひ併せて読んでみてほしい。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com