皆様は天才に憧れるだろうか。
僕は、かつて憧れていた。だが、今は諦めている。僕は競争に心底疲れているのだ。
いわば、僕のそれは世間でいうところの『敗北者』の人生である。どう頑張っても、光り輝く(ように見える)あっちの世界に、僕は行けない。
大人しく小さく生きていればいい。多分10年前くらいであれば、そういう風にいじけていたと思う。
・・・だが最近は違う。日々の仕事なりなんなりで、『あれ?負け続けた経験って、結構使えるぞ!』という気付きを覚えている程だ。
それこそ、勝ち続けた天才が持ち得ない気づきも含んでいる。『敗北者』の人生は、立派な強みなのだ。
今日は、『ウソつけ!』とか、『なんじゃそら?』と、何らかのリアクションをされた方に向けて、僕が得た気付きを3000字程度のエントリに書いてみる。
『努力』の重要性やモチベーションを誰よりも強く感じられる!
努力しないでもなんとかなる人がいる。でも、そんな人たちはぶっちゃけどうでもいい。
適切な努力は、やはり重ねた方がベター。あらゆる情報が即時で得られる今、誰もが能力を高められるからだ。
逆に言えば、今の自分に無いものも、ツールさえ使えばローコストで身に着けることができると言うことだ。何なら、例えば翻訳などはアプリ等に任せてしまっても良い。
さて。ここが肝心だが、僕みたく『負け続けた人生』を歩んだものには、基本変なプライドが無い。
言い換えると、自分を変えることに抵抗が無いという才能があるのだ。
例えば、僕に強く響いたダーウィンの名言に、こんなのがある。
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。
―この言葉を胸に、無いプライドを武器として、自分を高める努力を続けるようにしよう。
考え方次第で、『リスク』を取れるようになる!
いつも堅実に勉強でも仕事でもなんでもできればいいが、時折勝負どころというものはやってくる。要は、五分五分の勝負、いうなれば博打だ。
こういうのを『リスク』というのだが、それをガンガン取れる人もいれば、全力で避ける人もいる。その身の処し方に、器が出てしまうのだ。
さて。才能で勝ち続けた人は、その華やかな成功体験が邪魔をして、そういう勝負に出れない人も多いと聞く。
勝ち続けたからこそ、負けるのが怖いと言った具合だろうか。
―となれば、僕らはどうだろうか。僕らは、今さら人生の黒星が増えたところで、全く関係ないとは思わないだろうか。
今さらリスクに負けて新たなそれがついたところで、ものすごくどうでもいい話ではないか。既に傷だらけのガラスに、また傷を足すようなものだ。
僕らは負けるのに慣れている。負けることによるダメージを受け流す方法も知っている。
負けるのに慣れているからこそ、逆にリスクへ突っ込める。僕らの気質は、かくもポジティブに使えるのだ。
『オリジナリティ』を見つめ直せる!
競技人口が多いフィールドで勝つのは困難だ。学歴、名のある企業、卓抜した運動神経等々・・・。
どこもかしこも才能がひしめき合う世界で、それらに勝ち続けてのし上がるなんて、一切現実的ではない話である。
だからこそ僕らは、『自分が勝てるフィールドを創るのが大切』なのだ。
変な話だが、競争相手のいないレースを走れば、どんだけ遅くても一番だ。情報化社会が浸透しまくったおかげで、隙間は大量にできている。
もし大多数のレースに勝てないと悟ったなら、己と真剣に向き合い、自分が好きで、割と得意なものを合算し、オリジナルの世界が無いか試してみよう。
僕の地元のローカル番組では、芸人がキャンプをするだけの番組さえある。これが結構面白いし評価されているので、時代は確実に変わっている。
ナンバーワンよりオンリーワンを目指せば、案外新天地でナンバーワンになれるかもしれない。逆説的だが深い話である。
終わりに。
最近、世間でいうところの『負の気質』を良いように解釈するのが得意になってきた。
僕は元々の性格を一切変えていない。と言うか、変えられるわけがない。だから変えたのは、その『解釈』である。
負け続けることさえも、立派な経験値で、尊い才能である。あとはその活かし方を考えるべき。
そんな熱いのか暗いのかよくわからない話を持って、今日はここまでとする。