僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

人見知りであることを言い訳にすると、後で恐ろしいことになる。

今まで4つほど記事を書いたが、ちょっと大事なことを説明し忘れていたことに気付いた。

それは、「人見知りであることはある意味仕方ないことでもあるが、それを言い訳にし始めるとマズい。」ということである。

 

僕は人見知りであることは別にマイナスでもなんでもないし、負い目を感じることもないと考えている。しかし、人見知りであることを言い訳、もっと言えば免罪符のように使うのは非常によろしくないと思う。

 

僕も自分から「俺人見知りなんだよね」とカミングアウトするのは、あまり喋らない僕に、誰かが「悩みでもあるの?」と聞いてくれたときと、ネタとして使うときと、自分の体験を元に誰かに助言をするときに限っている。あまり自称人見知りを多発すると、後々非常にやっかいなことになると思っているためだ。

 

このことに至ったきっかけは、大学3年生の頃、サークルの執行部になった際、外部との窓口役である渉外という役職についたことである。

僕のいたサークルは、活動する際に結構あちこちに連絡を入れないといけないという特性?があった。その相手先は、土地の地主、管理者、研究施設、場合によっては警察や消防、あとは公共交通機関の窓口やレンタカーの店にも至る。

何を連絡するかというと、「この日に、こうこうこういうメンツで、こういう活動をしますので、ご了承ください。いつも活動に使わせて頂いてありがとうございます。」みたいなものと思ってくれると有難し。「この日に車貸してください。」とか、「フェリーの2等室のマットを15人分予約します。」とかもあった。レンタカーの料金の値引きを交渉したこともある。

 

もし、僕が「俺人見知りだから電話とか交渉なんて無理っす」とか言って駄々をこねれば、活動の頓挫に繋がることになる。連絡を取るのが苦手だからと後手後手に回り、致命的なミス(書類の不備があったりだとか、どうしても土地を使えない日だったりとか)が発覚しても、時間がないので修正も無理とかなった時には、もちろん活動を行うことはできない。

 

結果どうなるかというと、まず部員全体が大迷惑を被ることになる。そして、一生懸命計画を立ててくれた計画者の努力を水の泡にしてしまう。ひいては、部の信用問題にも繋がり、「そんないい加減なことするなら、活動にウチの土地は使わせないよ」なんていう恐ろしいことにも繋がりかねない。自分一人だけが迷惑を被るならつゆ知らず、多くの人が関わってくると、人見知りだからなんて考えていられないのである。というか、言い訳になんか使えるわけがない。

 

仮に言い訳に使えて、「じゃあええわ」という具合に義務から逃れられたとしても、それに払うリスクはあまりにも大きい。

まず、自分自身に対する信頼を大きく損ねることになる

 

「コイツに仕事回しても、人見知りだなんだと理由つけてやらないよな」というレッテルを貼られれば、もう仕事は回してもらえなくなる。これをラッキーと思うと、非常にマズい。信頼を失えば、次第に人も離れていく。人が離れていけば、次第に孤立していく。もうこの時点で僕には耐えがたい世界である。僕は人見知りだが、同時に結構な寂しがりやでもあるからだ。独りが好きな人もいると思うが、味方が一人もいないとなると、そのマズさは伝わるのではないだろうか。両親親族しか頼れないなんてことになれば、全くもって笑えない。

 

払うリスクはもう1つある。自分自身を甘やかすクセがついてしまうことだ。人見知りであると言っておけば、めんどくさいことは全部パスできるという考えになると、当然、会話の仕方とか電話の掛け方といった勉強をしなくなる。勉強をしなくなると、当然一切の成長がないので、とても低いレベルのまま、ただ年を食ってキャリアを重ねるだけになる。

人見知りな上、取り立てて能力も、まして意欲もないとなれば、この世の中を生きていくことは非常に厳しくなる。会社に入ることも難しいだろうし、入ったとしても追い出される可能性も高い。だからといって起業しても、たぶんポシャって終わると思う。

 

以上の2つの例は、非常に極端なものだし、何より人見知りに限った話ではない。

だが、もしかしたら僕のブログを読んだ人の中には、「人見知りなんだから、俺がうまいことコミュニケーション取れないのは仕方ないことなんだ!配慮すべきは相手の方なんだ!」みたいに考えられた人がいるかもしれないと急に危機感を覚えたので、ちょっと釘を刺すことにした。

 

生意気なことを言うけれど、「人見知りだから仕方ない」ではなく、「人見知りだけど、どうすればいいかな」と考えることがとても大切だ。後者の方が圧倒的に建設的で、未来がある。

 

第一、人見知りであれば、もう仕事もなんもできないのであれば、圧倒的な労働者不足で日本社会はとっくに終わっていると思う。というか世界経済も成り立っていないハズだ。世の中を回しているのは、才能ある天性のコミュ力を持った人だけではない。人見知りには人見知りの戦い方があるのだ。

 

前に書いたことの繰り返しになるけれど、このブログでは、僕自身が今まで出くわしたシチュエーションに対し、「人見知りだけど、どうすればいいかな」と考えて、出た答えと行動した結果を紹介していくつもりだ。ある種僕自身の備忘録も兼ねているが、何よりやり方はいくらでもあることを伝えたい為である。

 

今回はかなりカタい文章になってしまったが、これからはなるだけポップに記事を書いて、経験談とか僕の考えとかを述べていこうと思う。

もっとも、はっちゃけた文章は苦手なので、こんな感じの淡々とした文体にはなるけれども。

 

ということで、僕は「人見知りだから言い訳しても許されるよ」なんてことを伝えたいなんて、決して思っていないと念を押して、この記事を終わろうと思う。

 

用量・用法を守ってこのブログを読んでくれたら、一管理人として幸甚である。

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