女性との接し方がわからない。
わからないものは、怖い。
つまり僕は、女性が怖い。
20年ちょい生きてきたが、得意だった時期なんてない。
得意ではないものの、普通の友達とかに対する僕の意思疎通能力を10とすれば、女性に対するそれは、最近だと6とか7とかくらいにはなってきたと思う。
ちなみに一番苦手だった高校時代は、2とか3でも良い方だった。
この記事では、意志疎通能力2とか3の頃の、つまり高校生の頃の自分を分析して、今の自分の目線から見て、あの頃の僕は一体どうすれば良かったのかってのを考えてみたいと思う。
呼び方がわからない。
苦手意識を強く意識したのは、高校1年の頃。
周りは大体同じ小学校からの顔見知りという状況から、いきなり9割が知らない人という未知の世界に放り出された僕は、早速元来の人見知りが覚醒していた。
んで、とある用事で女子に話しかけないといけない場面があったのだが、そこで僕は凍り付いてしまった。
「なんていって声をかけたらいいんだ?」
・・・わからない。てかいつもどうやって声かけてたっけ?
考えてもどうにもならない。僕は脳内会議を開いた。
- 「おう」
僕はこんなDQN感のあるヤツじゃない。却下。
2 「すいません」
クラスメイトだろう。よそよそしすぎる。却下。
3 「○○(呼び捨て)」
僕なんかが女子を呼び捨てにしていいわけない。却下。
4 「○○さん」
これが無難かなぁ。保留。
5 「あの」
これも無難かなぁ。保留。
ということで結論。
「あの、○○さん」でいこう!
が、セリフは決めたが、何故か一向に話しかけられない。・・何故だ。
「名前の漢字を読み間違えたらどうしよう。」
「不快に思われたらどうしよう。」
「話しかけたとして、周りの人が『あいつ女子に話しかけてるぜヒュー』とか言ってきたらどうしよう。」
僕の中で、自意識過剰を拗らせまくった不安が渦巻く。
先に否定しておくが、今はもうここまで自意識過剰は酷くない。
他者は僕に興味なんてほとんどないこと、話くらいさっさとやればいいこと、仮に不快に思われたとしても、思われた時点で交友なんてないんだから、その人との今後なんて超どうでもいいこと、この3つを理解してから心がめちゃくちゃ軽くなったのは、また別の話。
さて。
結局どうなったか。
「別に今日の用事は大したことないから、話しかける必要なんて無いな。」と僕は自分を説得し、話しかけることなくその場を終わらせた。
とんだクズ野郎である。
これが、僕が「女性苦手」を強く意識した最初の瞬間である。
優しさが怖い。
そんなことがあってから、僕はますます同じ感じの仲間たちとつるみ、かなり限定的なコミュニティに入り浸るようになった。そのグループの中では、「女子と会話するなんて非日常的な事件」であり、「彼女なんて都市伝説」という価値観が蔓延っていた。
なんて居心地がいい場所なんだろう。
僕は煌びやかな青春というものを、高校生活が始まって3週間くらいで諦めた。
が、そんな僕たちにも優しい人はいた。
いわゆる男女わけ隔てなく明るい系の人がそうだ。あとはクラスのアイドル的存在の人とか。彼女たちは何故か、日陰にくらす僕たちにも優しかった。優しかったというか、生態があまりにも異なる僕たちに、なんか興味がある風だった。今思えば、ですけどね。
外で遊ぶのが大好きな子ども(=明るい女子)が、公園とかにある石をどかして、ダンゴムシとかミミズとか(=僕たち)を興味津々で観察するのに近い感じだろうか。卑屈すぎるか。まぁいいや。日陰に日陰に・・という高校生活を貫いたことに関しては、強い自負がある。
話を戻そう。
彼女たちは、僕には理解できないくらい、ナチュラルに話しかけてくれた。
「プリントとってくれない?」みたいなのから、「ここ答えわかる?」みたいなのまで。
誤解の無いように言っとくけど、きっと良いように利用されてたわけではないと思う。
友達とFFⅩのキャラの物まねをして遊んでた時、「それなに?」とすごくピュアピュアなことを聞かれたこともある。「中元くんってコーヒー好きそうだよね。」って言われたこともある。好奇心が強いのだろうか。それか免疫が桁外れに強いのか。
あとは僕の名前を平気で呼べるのもすごいと思った。「中元くん」と言われるたび、「すげぇ」と素直に思っていた。逆に僕が「○○さん」と呼べるかと言うと、恐れ多くて言えるわけなかった。
さて。そんな彼女たちの優しさに触れるたび、僕たちは何を思っていたか。
それは、「怖い」である。
せっかく話を振ってもらっても、怖かった。
つまらんこと言ったらどうしよう。
興味のないこと言ったらどうしよう。
僕なんかがこんな魂のレベルが違う人と話していいのか?
あと、視線をうっかり下に逸らしてしまって、「胸見たでしょ!」とか思われて女子全員から迫害を受けたらどうしよう。と思った事もある。被害妄想も甚だしい。
過去に戻って、僕自身を3時間くらい説教して、クソみてぇな価値観をぶっ壊したいなぁ畜生。
どうしようどうしようの蓄積が、次第に彼女たちそのものへの苦手意識へと繋がってしまった。なんて最低な人間なんだ僕は。今、思えば、です、けどね。
気付けばなるだけ明るい系の人がいる輪に近づかないようになっていた。
日陰に生きていた僕にとっては、優しさという光は毒だったのかもしれない。ここまで行くといっそ清々しいな。
ちなみに今でも、優しくされることがとても苦手だ。優しくされたとき、どうすればいいかが一切わからないからだ。その為、女性相手に何かを愚痴るとか、悩みを相談するとかは、まず間違いなくしない。悩みは基本、酒飲んで忘れるか、受け入れるか、本を読んで潰すようにしている。
メールはいける。
そんな僕でも、女子と滞りなくコミュニケーションを取る方法はあった。
それが、メールである。メールだったら、普段の自分とは全く異なるレベルで、明るい文を打つことができた。みんなそうかもしれんけど。
「お前が女子のメアドとか入手できたの?」と思われそうだが、3年間で色々あって4、5人だけ入手することができた。この流れについては需要があれば書きます。
閑話休題。
メールを打つ時だと、普段のテンションとは180度違って、顔文字も打てた。
食パンとかペンギンとか、アイコンも入れられた。
!とか?も自然に入れられた。
メールを打ってるときだけ、僕の人見知りは治っていた。
だが、ふと思った。
「こんなイケイケの文を送ったら、引かれね?」と。
そう思った瞬間、普段の自分の感じに、メールを合わせないとマズいと思ってしまった。
顔文字は削除。アイコンも、1つにしとこう。
!とか?も、できるだけ「。」に変えといた方がいいかな・・・。
はい、あっという間にクソつまらないメールの出来上がりである。
こんなもん送ったところで、2~3通だけやりとりして、夜8時でも「おやすみ」と言われて終わりである。男友達だと、「尻が痒い」とか知性の欠片もない文章を送っても、5~6通は続くのとは大違いである。
こんなことをしていたら、僕の高校3年間はセピア色一色で塗られ、華やかとか甘酸っぱいとか、そういうフレーズとは無縁の1095日になっていた。
ちなみに僕は帰宅部だったので、徹底的に青春を感じさせる瞬間はなかった。
それはそれで楽しかったけど、「彼女は都市伝説」「告白はお伽噺」「バレンタインデーは絵空事」とか、拗らせまくりの価値観を固めてしまったのは痛かったかも。
正直今現在でも、この思想は尾を引いているが、それもまた別のお話。
じゃあ、当時の僕は、こんなヘンテコな青春を過ごさない為に、一体何をしたらよかったのか。
ちょっと考えてみようと思う。
呼び方なんてどうでもいい。
最初の問題から。呼び方なんてのは、今思えばすごくどうでもいい。
自分の身の丈にあったことを言えばいいのだから。
ちなみに現在は、先輩や初対面の人は「○○さん」、同期や後輩は呼び捨てで統一している。あだ名はさすがに恥ずかしいので、滅多に使わない。
あとは、「あのさ、これどう思う?」みたく、名前を呼ばずに会話を始められる方法があることに気付き、結構使っている。
「なれなれしいとか思われたらどうしよう」とか思うかもしれないが、そんなん思ったっていう話は聞いたことがない。女性は僕が思ってるより、ずっと優しかった。
仮に思われたとしても、「そんなん思う人間に大したヤツいないよな。」という考えを持っておけば、全く傷つかずに済む。この辺の割り切りは、大学に入ったあたりで僕はできた。
結論。
身の丈にあった呼び方さえしとけば、ギャルとかすごいドSの人じゃない限り、99%いきなりで嫌われることはない。
そしてギャルとかすごいドSの人は、大体見た目でわかるから、回避も可能。
そもそも、なんなら名前を呼ばなくても会話は始められる。
優しさには乗っかれ。
次。優しさが怖いという話だけど。
今思えば、素直に変なこと気負わず会話しとけば良かったと思う。
普通に会話できてた中学の頃でも、一切注意を払わなくても下ネタとか嫌われる話題を出したことはないし、突っ込んだことは、元々が小心者なのでそもそも聞けない。
つまり、素で受け答えしとけば、まず間違いなく普通に話ができたのだ。勿体ない。
クラスのアイドルとか明るい系の人とガッツリ話せる機会なんて、大学以降はほっとんどなかった。優しさとはつまり貴重な貴重なチャンスである。
別に「この人と付き合いたい」というチャンスまで思わなくてもいいから、もっとラフな感じのチャンスと受け止めて、普通に会話しとけば良いんだぞ。ということを昔の自分に教えてやりたい。
結論。
優しくされたら、乗っとけ。
メールでいけるなら、いっとけ。
最後。メールであろうが、いけるならいっとけ。これに尽きる。
大学以降、立場とか環境とか色々あって、結構なメールを受ける側になった。
その時思ったのだが、実際の感じと、メールの文体が違えば違うほど、好印象に感じるということだ。
実際は人見知りな感じでも、メールの文体は体育会系の後輩っぽい。
実際はイケイケな感じでも、メールの文体はとても物腰柔らかくて丁寧。
いわゆるギャップの法則みたいな感じなのだが、ふり幅がでかければでかいほど、その人に興味がわく。興味がわけば・・。後の話は僕には無理な恋愛絡みの話になるので割愛。
つまり、いっぺん打ったのだから、あの頃の僕は素直に送っとけば良かったのだ。
普段はあーでも、本心はこんななんだとわかってもらっとけば良かったと思う。
会っても根暗、メールでも根暗だとクソほども面白くない。少し考えればわかる。
流石にバリバリのギャル文字とか、キャピキャピの顔文字の多様とかはドン引きされるのでやめた方がいいと思うけど、そうじゃないのなら、本心のままに打つべし。
そう思った。
結論。
実際とメールの文体が違ってても、臆せず送った方がいい。
まとめ。
高校生活のことを振り返ると、まー人見知り全開で、残念なヤツだったなと思わざるを得ない。
実はまだまだ女子絡みの残念な話はあるし、女子絡み以外でも残念な話はたくさんストックがある。
いずれ記事にするかは全く考えてないけどね。
もしあなたが高校生であれば、この話は是非反面教師にしてほしい。
もしあなたが高校生でなくても、今後将来こうなれば全く笑えない冗談なので、これまた反面教師にしてほしい。
僕も、こういう経験を腐らせないように、今後に活かしていきたい所存である。
とりあえず、今度、ガールズバーにリベンジしてみようっと。
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