人から言われて気付いたのだが、僕は今まで属してきた組織において、もれなくバランサーという立ち位置らしい。
これは辞書にも載っている言葉なのだが、「balancer」というスペルで、簡単に言えば組織や仲間内なんかで調和を取る役目を担う人だという。
ちょっと悪く言えば波風立たせたくない主義ともいえるけど、バランサーという役目は正直、僕の天職に思えて仕方がない。
どういうことなのか、やったことほとんどないけど、バスケの話を例に考える。
例えば僕は、自分でゴールを決めるより、自分が出したパスでエースか誰かに決めてもらう方が格段にうれしい。
そして後で、「ナイスパス、ありがとな」って言われると、心の底から喜びが込み上げてくる。
この感覚、わかる方はいるだろうか?
つまり僕は、他者に貢献したい欲が強いのだ。そして、人見知りゆえに『場』に溶け込めきれず、一歩引いて周りを見る癖もある。
こういう価値観・思考だから、バランサーという生き方に自然となっていったのかもしれない。
・・導入が長くなったけど、『人見知り』だからこそ向いている役目もあるということを、今日は強く伝えたいと考えている。
だから今回は、そんなバランサーという生き方のお話について、具体例を交えて述べていく。
会話の場において
高校生の時はよく、小休憩の時間に、教室の後方で他愛無い話をしていた。
その際、たまに誰かの超得意分野の話題が出て、普段の100倍くらい饒舌になる奴が出ることがあった。
例としては、アニメだの軍事ものだの、そういうやつ。知っているヤツはとことん詳しいが、そうでないヤツには知識が0もあり得る分野。
その話題になれば、詳しいヤツだけが話し続け、そうでないヤツは一方的に、興味も知識もない話を聞かされることになる。辛いなぁ。
―そしてこういう状況こそ、僕らバランサーの出番である。
僕はわずかに話が途切れた瞬間を狙って、そのテーマに共通しつつももう少し広い話題にすり替えることをよくしていた。
軍オタに主導権を握られれば、ある程度のところでアウトドアの話にすり替える。
アニオタに主導権を握られれば、ある程度のところで自分がまだ分かる昔のアニメの話にすり替える。
などなど。
こうすれば全員が何かしらの形で会話に加われるチャンスが増えるので、僕は意識的に(たまに無意識に)この行動を心掛けていた。
常日頃からこういう姿勢や考え方でお喋りをするとしんどいが、頭の片隅に置いといても損は無いと思う。
焼き肉や鍋の席において
焼き肉や鍋の席においては、よほどのプロを除き、焼きつつ食べつつっていうのはかなり難しい。
最近は僕以外全員目上の人というシチュエーションが減ってきた為、焼いたりアク取ったりという作業は後輩がやってくれることが多い。
最初の内は「あざっす」とラフにお礼を言って、手早く茶碗飯1杯くらいを食べてしまう。
そしてすぐ、その焼き役と交代していた。
僕がトングを握ってからは、最優先事項を「全員公平に腹いっぱい」に置いて、色んな人の取り皿にぽんぽんと焼けた肉を放り込んでいた。
もちろん軽く先輩を立てて、先輩の皿に高めな肉を入れるとか、多めに入れるとかはしていた。
勿論、気を遣わせない為、自分の皿にもたまに放り込む。
そしてタレが減ってると感じたら、本人が気づく前に渡すこともしていた。ただ、誰かが交代するよと言ってくれた時は、すぐにトングを渡すようにもしていた。
独りよがりもまたバランスが崩れるのである。
食事の席なのにめんどくさいかもしれないが、全体を見る良いトレーニングと言い訳を付けて、この習慣は今でもやめていない。
反省会において
僕のいた複数の組織では、得てして「悪い点を反省会で静かに強い言葉で指摘してナンボ」みたいな風潮があった。
当然下っ端のときは、持ち前の人見知りもあり、そんな雰囲気に口を出すことは難しかった。
だから、最高学年やら執行部やらになってから、持ち前のバランサー精神を発揮するようになった。(なれた、という方が正しいかもしれないが)
例えば、僕以外の上回生が全員「お前らはここがクズです」みたいに指摘して、場がお葬式みたいな空気になることもあったものだ。
そういう時は、僕は逆に「君たちはここが良かったよ」みたく、良かった点だけ言うようにしていた。
手放しで賞賛も考え物だが、悪い点だけドンと突きつけられたらそれはそれで落ち込む。
ここもまたバランサーの役目である。
ちなみに、自分がフォロー役ということが認知されると、舌鋒鋭い人はそれをアテにして、言いにくいことをズバズバ言うようになる。
その後にしっかり、僕らバランサーがサポートする。場の空気を整えるのも大切だが、遠慮なく意見を言ってくれる人を悪にしない配慮も大事。
言いにくい指摘箇所が出てくれば、組織の活性化につながる。バランサーの役目は、思っている以上に大切で、深い。
尚、逆もまた然りである。
例えばどうみてもこれはダメだろって案件があったのに、「いや~言うことなしで今日は良かった」という流れが出来ていたらどうするか。
正直言ってブラフだけど「お前らはここがクソです」と僕が言うこともあった。
2回くらいしかないが、簡単なミーティングの席でブチギレたフリをしたこともある。普段温厚で通っているからこそ、割と効果はあったらしい。
後で聞いた話だが、「アイツまでキレキャラになった」と、何故か同席していた先輩の方が委縮していたらしい。
もちろん、「あれはブラフっすから」というアフターフォローはきちんとしておいた。
自分の評価のバランスを取るのも大事である。
優しい一辺倒だとなめられるし、怖い一辺倒だと避けられる。とても、深い。
終わりに
具体例を紹介できる事柄に限ったが、これらがバランサーという生き方の一例である。極端な言い方をすれば、利他主義ということになるかなと、書いていて思った。
また、アドラー心理学によれば、【他者(共同体)に貢献している感覚こそが幸福】であるという。
僕は無意識に幸福さを感じ取り、積極的にコミットしているのかもしれない。
さてさて。
僕自身は、「俺が主役だ!」というスタンスではなく、縁の下の力持ちっていうスタンスの方が、すごく居心地が良い。
それに、目立たないからといって評価されないというわけではない。
現場を離れた後になって、「お前は良いバランサーだったな」と言われることが数回あって、とても嬉しかったことを覚えている。
色々な席や場や状況のバランスをとる係、バランサー。
引っ込み思案である方にも活躍ができる、そんな役目だと思う。
自分の属するところに足りてないと思うのであれば、如何でしょう?
※2018/4/22 続編を書いてみた。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
※その他、人見知りネガティブに知っておいてほしいことシリーズはこちら!↓
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