僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

人見知りの情報網。

人見知りが仕入れてくる情報は、結構訳の分からないものが多い。

昼寝し過ぎて眠れない今日この頃、布団でぼんやり昔のことを考えていて、このことを閃いた。

 

特にこれは高校時代に遡る。

世間で恋空という映画が流行っていた頃、僕の属するコミュニティではシュワちゃんコマンドーというガチムチアクション映画が流行った。

ちなみにコマンドーの方が20年近く古い。

また、世間でマカロンという甘いものが流行っていた頃は、仲間内で何故かカルメ焼き(カルメラだっけ)という砂糖で作る素朴なお菓子が流行った。

世間が右を向いている時、僕たちは逆の左ですらない、完全に明後日の方向を向いていたことになる。

 

そしてその火種は大抵人見知り仲間が探してくるのだ。

この辺を紐解けば、また一つ人見知りの生態が分かるかもしれない。

淡い期待を込めて、今日はコラムとして僕の思い出を述べていく。

  

日常にて。

 

僕の仲間内は、まずとにかく流行に疎い。「みんなやってるから」という理由で手を出すことが全くないのだ。それは自分の信念によるものか、単純に興味がないかでいうと、多分後者である。

僕が唯一流行に乗ったのは、ビリーズブートキャンプくらいのものかもしれない。

 

高校2年の頃、クラスで流行ったドラマがあった。もうタイトルすらわからないが、とりあえず明るい女子グループと、いわゆるイケてる男グループで、毎週決まった曜日にすごく盛り上がっていたのを覚えている。

僕は生身の人間が、あまりにも完成しきったシチュエーションを演じている姿に並々ならぬ違和感を覚え、「こんな場面でこんな良くて長いセリフ言えるワケないだろ」とか捻くれたことを考えてしまう為、ドラマが苦手である。器が小さい。

ということで僕はこのドラマを観ることは無く、またそういうイメージで通っていた為、その話題を振られることすらなかった。

流行から完全に取り残される状態となったのだ。

 

しかし、世間という群体を離れて海上を漂う、千切れた海藻みたいな人間は僕だけではなかった。そういう興味ないッス感全開の仲間は割と居たので、そいつらを通じて、「何か面白いのは無いのか」と探ってみることにした。

結果として僕たちは当時BSで放送されていたアニメ「CLANNAD」に行きついた。

ざっくり言えば人生とか家族愛をテーマにした作品である。

その練り込まれたストーリーやら、個性豊かなキャラクターやら、平たく言えばその世界観に僕たちはどっぷりとハマり、2ヶ月が過ぎて放送が終了する時には、彼女が出来たことすらないメンツが口を揃えて「超結婚してえ」と呟くという、面白いことになった。

僕の仲間内以外でこのアニメを観ていた人、全体の何割くらい居るのだろうか。

ちなみにこのアニメのことを仕入れてきたのは、エロゲギャルゲアニメといったサブカルチャーに精通した男であった。

 

スポーツにて。

 

ルーキーズだかクローズだかが流行った時、その流れは僕の学校にも来た。不良に走るヤツこそいなかったが、これを機にファンキーなシャツを着てみたり、ワックスにトライしてみたりするヤツは目に見えて増えた。

僕はそれを尻目に、いつまでこのトレンドは続くかなと冷めきった目で傍観する、何というかつまらない男であった。

 

生粋の人見知りで、物静かこそ至高を掲げてきた僕らは、ほんの少しであろうが不良に寄る理由がなかった。

しかし、別の角度からアプローチを仕掛けるヤツはいた。

僕の仲間内で一番ガタイの良いマッチョが、とある本を持ってきた。「この本、ちょー面白いぜ!」

タイトルは、「ザ・街頭格闘術。」とかそんなだった。

要するに、護身術のバイブルで、特に街中で喧嘩吹っかけられたときのシチュエーションに対する策が書かれていた。

「不良漫画に影響されて強くなったと勘違いしたアホが喧嘩吹っかけてこないかなぁ」とそいつは不敵な笑みを浮かべていたっけか。こういう角度からこの不良ブームを捉えるとは、人と視点が全く違うか、ただ野蛮なのか分からないけど、目から鱗であった。

 

ということで世間が「カッコいい男」に憧れる流れの中で僕たちに起こったのは、「強い男」を目指すという価値観であった。

その日から毎日、その物騒な本を参考に、体育館マットが常設されているとある部活の倉庫を間借りして、同志数名で護身術の訓練を皆で行った。中二病もここまで行けば清々しい。

 

尚、2ヶ月もすると、世間の流行の移り変わりと共に僕らのこの流れも消えた。誰一人として喧嘩を吹っかけられることはなかったけど、実のところ当時の僕らは一瞬での腕の折り方や、身近なものを武器にする方法なんかを完全に覚えていたので、実践する機会がなかったのは、それはそれで良かったかもしれない。

 

余談だが、その後マッチョなソイツは別の本を探してきた。

「ザ・暗殺術」とかそういう本だった。コイツはどこを目指してるんだろうと心底思ったが、今彼は普通の会社員をしてるので結果オーライであろう。

 

修学旅行にて。

 

世間が右を向いてるときに、あらぬ方向を向く。これは修学旅行でも変わらない。

 

僕の高校の修学旅行先は北海道だったが、初日はまずすすきのへ向かった。

女子はファッショナブルな店に、男は時計台に、みたく結構顕著にトレンドが分かれていた。

 

が、僕たちはまったく別の方向を向いた。晩ご飯まで3時間ちょいしかないのに、北海道のラーメンを制覇するぜ!と意気込み、ラーメン村へ向かったのだ。頑張って2杯は食べたが、それで腹がパンパンでギブアップ。そのままバスに帰り、胸やけを耐え続ける2時間の自由時間であった。僕がすすきので通った道は、直線3本くらいで書ける気がする。

 

旭山動物園でも2時間の自由時間が与えられたが、その半分はソフトクリーム食べ歩きとバスでの昼寝に使ってしまった。動物はほぼ見ていない。

 

名前を忘れた山にも登ったが、全員が山頂を目指す中、早々に飽きた僕と仲間たちは、行きしなに見つけたリスをひたすら写真に収め続けることに熱狂していた。

皆が雪に覆われた山頂をカメラで見せ合いはしゃぐ中、僕たちのフォルダには、画角が微妙な、茶色くてもふもふしたリスの写真しか映っていなかった。これはこれで面白いけど。

 

小樽をぶらついた時も、王道のオルゴール館には立ち寄らなかった。荒れ狂う北海道の海をわざわざ防波堤まで歩いて行って眺め、魚市場を散歩して、海鮮丼を食って帰った。北海道じゃなくても出来る。しかし当時の僕たちはそのことに気付いていなかった。

 

お土産もまた個性的だった。みんなはまりもっこりとかいうキーホルダーやら、白い恋人とかを買っていたけど、僕の友達は「網走刑務所」と書かれたステッカーを喜々として掲げていたっけか。そういう僕も「鮨詰め」をお土産に選んだので、ズレてるのは否めない。

県を飛び出しても僕たちは人と同じ方向を向かないんだなぁ。

何かよくわからないけど、腑に落ちた瞬間であった。

 

おわりに。

 

こう振り返ると分かるように、人見知りは流行と全く関係ないところで、よくわからないモノにハマったり価値を見出したりしがちなのかもしれない。少なくとも僕の属していたコミュニティでは。

理由は何かと考えてみたけど、性格が天邪鬼なのか、単純に流行し易いものに感性が向かないのか、世間体に興味が無いのか、ただ鈍いのかと、山ほど出てきてしまった。多分これってものはないんじゃなかろうか。

ちなみに僕も流行には疎いが、系統としては天邪鬼型である。世間がハマればハマるほど、僕は興味が覚めていくという、人によっては中二病とか形容してくる性質である。

 

ということで、僕は意外と人見知りの情報網も馬鹿にできないと思う次第である。

あるものに熱中している時というのは、そこ以外にアンテナが向いていないとも言い換えられる。

自分にそのケがあるのであれば、どこか冷静な一面を持つという意味でも、人見知りのヤツらが握っている情報にも目を向けたら面白いのではと思う。

時には、イケてる世界では見つからない、新たな発見があるかもしれない。それは僕らも同じである。

 

僕たちは人見知りするけど、仲良くしてくれる人には飢えている。たぶん。

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