僕は本を結構読む。成人するまでは読書にクソほども興味が無かったのに、人間変わるものらしい。
今やAmazonや書店で本を買いまくり、それぞれを3~5回読むようになった。思春期真っ只中の僕からは想像できない姿である。
そしてこの習慣になって数年経つわけだが、僕自身に色々な変化が起きてきたのを感じる。主に内面の話で。
具体的に言うと、重篤な人見知りから、頑張れば隠せる人見知りに昇華したのだ。
ということで今日は、『人見知りを治したいなら本を読め』というテーマのもと、徒然なるままに書いていこうと思う。
活字離れの若者が本を手に取るまで。
本が好きだと自信を持って言えるようになったのは、大学3か4年の時のこと。
たまたま友達と入った本屋で、人生初となる本の衝動買いというものを経験したのがきっかけだ。
それがこれ。
ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った (ノンフィクション単行本) 堀江 貴文 角川書店 売り上げランキング : 9142 Amazonで詳しく見る by AZlink |
堀江貴文という人をご存じの方は多いと思うが、著作があることまでは実を言うと僕は知らなかった。そしてこのタイトルである。
この日までは、読書の何がどう大事なのかという答えを誰も言ってくれなかったので、活字を読むということをしてこなかった。
正直、ぢっと本を読むくらいなら、ゲームしたり寝たりしてる方が有意義とさえ思っていた程だ。
しかしこの本の中には、本を読む”意味”、もっといえば本を読むことによって得られる”利益”の答えがあると直感で思った。
果たして、その効果はてきめんだった。あまりにも新しい発見が次々飛び出すので、僅か1時間ちょいで興奮しつつ読み切ってしまった。
投資した額以上の学びを確実に得られたのは間違いない!僕は久しぶりの充足感を味わったのを覚えている。
―その中でも、特に印象に残った意見を書いておこう。
本を読むことで数多の人の考え方を知ることができる。
問題解決のアプローチの仕方を増やすことができる。
手の届かない世界の知識を知ることができる。
別人物の人生を疑似体験することができる。
表現の手段としての語彙のストックが増える。
自分の悩みの処方箋みたいなのがわかる。
学校では教えてくれない情報やノウハウを学べる。
などなど。これらが本を読む意味とか意義とか理由だと述べてあった。
ちなみにこの本には、オススメの本のリストが大量に載っていた。とりあえず興味をそそられるタイトルの物を、Amazonで何冊か買ってみた僕。
それらは次々と僕の心にハマった。気づけばスカスカだった僕の本棚が、どんどんと本で埋まっていったのだ。
自分が良い方向に変わっていくのを感じ、ひたすらにワクワクした記憶がある。
この項をまとめよう。
僕が読書好きになったきっかけは、その理由や価値を知り、かつそれが自分にとっても面白かったことが大きい。
そして大事なのが、これらの答えをそもそも教えてくれたのが本だった、ということだ。
僕にとっては一番最後の理由が、一番大切な気がしている。さて、次の段落では、それによって僕の何が変わったかを述べていく。
本を読むようになって変わったこと。
まず、圧倒的に知識の量が増えた。それはトリビアの類のものから、実生活に応用利きまくりのものまで、様々だ。
しかし前者も結局は、円滑な人間関係を築くのに結構大きく役立ってくれることがあるので、つまるところ読んだ知識はほぼそのまま実生活に活きてくる。
得てして興味がある分野の話はびっくりするほどスムーズに頭に入ってくる。そして、僕にとって本を読むという行為は楽しい。
楽しいが故に、遥かに素早く大量に知識が入る。それに、楽しいから数時間でも平気でやってしまう。結果、知識がものすごく増える。
結構合理的なシステムである。
次に、情報を能動的に得るクセが付いた。これも結構大きい。
今までは黙ってれば誰か教えてくれるとか、分からなければ無視といったもので何とかなってきた。
これはこれでかなり恵まれた環境に居たわけだが、こんな考え方で世の中渡っていくのはとても無理だ。ゴムボートで太平洋を渡るようなものである。
しかし、本という情報源は、ネットのそれより遥かに深い情報が書いてあることがほとんどである。
無料の情報と違い、金がかかった言わば商品であるため、賛否両論渦巻くテーマじゃない限りデータの信憑性は高い、と思っている。
ということで答えが載っているものを見つけた手前、ぼーっとしたり、分からないのを無視したりしなくても良くなった。
自分のペースでとっとと進めるので、実はせっかちな僕の気質にも合致した。
余談だが、「本に書いてある答えを探すばっかだと、自分の頭で考えるクセがつかなくなる!」と危惧する声もある。果たしてそうだろうか?
ぶっちゃけ、自分の頭で考えない人間はそもそも本を読まないと思う。そういう点で、別に僕は読書のデメリットみたいなことへの心配は、全くしていない。
さて、最後に、あまり言葉に詰まらなくなった。
冊数で言えば50冊を超えた辺りから、自分の使える語彙が滅茶苦茶増えたことを実感している。
あの出来事を伝えたいけど、言葉が出てこない!とか。誤解を招かないように文章を書きたい!とか。
こういう時にはもう四苦八苦の悪戦苦闘だったのだが、最近では本に書いてあった言葉を自分なりに引用して、文章を組み立てることが増えた。
結果、昔よりずっとスムーズに文章を作れるようになった。文章作成を苦痛に思うことも減り、むしろ好きになっている。
あとはさらっと名言みたいなのを、出典を付けて人に話せるようになった。誰かを励ましたい時とかに超有用である。
本に書いてある知識も大事だが、その知識を書き表す為に使われる表現も大事なんだなと、今は強く思う。
終わりに 兼 読み方。
最後になるが、本の読み方には大きく分けて2つあるらしい。
1つは、大量の本を次々読む、乱読型。
もう1つは、1冊を何度も何度も読む、再読型。
正直この辺は自分の好みによるのだが、僕は1回読んだだけじゃ頭にあまり残らないし、かといって同じ本を何回も読むのも好きではない。天邪鬼だ。
ということで最近は、この両者をミックスした感じで本を読んでいる。
大体5~6冊を一括で買って、1ヶ月くらいかけてそれら全部を2~3回読む。んで、飽きたらまた別の本を5~6冊買って、それらを全部2~3回読む。
この繰り返しである。尚、小説はよっぽど伏線だらけのじゃないかぎり、1回しか読まないんだけど。
こうすると、再読型より幾分飽きる確率は減るし、乱読型より記憶に残る確率は上がる。両方の良いとこどりって感じだろうか。
ーとはいっても、何であろうと強制されればつまらないに決まっている。本を読むことが苦痛でしかない人は、別に無理して読む必要はない。
その場合は映像化した作品とか、講演会のCDを聴いたら良いのかなと思うが、適当なことは言わないでおく。
さて、今日も寝る前に楽しみにしていた小説を読もうっと。過去にも言ったけど、親鸞という小説、超オススメです。
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