夏、正直多忙である。
1ヶ月の総労働時間を算出したら、結構笑えない数値だったので、公表すら憚られる。(但し、何とか週休1日は確保中)
ただし、かつての経験が活きているのか、自分の精神と身体の状態には結構気を使えており、実のところ恙なく業務は消化し続けられている。
別に隠していたわけでも何でもないが、僕は過去にうつ一歩手前に片足を突っ込んだことがある。
理由は人間関係とかではなく、単純なる過労。肉体労働チックなことを、月に350時間も人間は働けないことがよく分かった。
あの時の僕は今の僕とは全然違う思考、もっと言えば違う人間だった為、当時の諸々を思い出すことは出来ないものの・・・
昔のLINEのログとか、友人の記憶の中にその当時の僕の記録があった。
今日はそこを参考にしつつ、出てたらちょっとヤバイですよという疲労のサインを纏めていく。
初期の兆候。
・「休みを潰して仕事をすれば終わる・・・」という思考法になる。
休みを死守しようという感覚が無くなり、自己犠牲精神が超優勢になってしまうと、疲れが表面化している証拠と言われる。僕も実際になった。
長期間の連勤が、どこまで延びるのだろうと楽しくなってきている人は、結構キている状態なので、色々と対策を打たねばマズい。
・洗濯物やゴミが溜まる。
仕事以外に使うエネルギーが消え果てた状態。
自分の身なりとかそういうものに無頓着になるのも、危ない兆候だとか。僕もゲンナリ期は、酒の空き瓶とかがゴロゴロ転がっていた記憶がある。
・酒量や喫煙量が増える。
言わずもがな。寝る前に日本酒1合が必須とかになっているなら、少しヤバイかもしれない。
特に日頃は飲酒癖が無いのに、仕事のストレスから急に飲むようになった・・という状態なら、危機感を持った方が良い。
中期の兆候。
・助言や厚意が素直に受け取れなくなる。
「手伝おうか」「休んだ方がいいよ」といった言葉に、ありもしない裏を感じ始めたら、重篤一歩手前に居るとみて良い。
例えば、「手伝わなければ見ていられない程、俺は無能なのか」とか、「休んだ方が仕事が捗るという、邪魔な人間なのか俺は」といった思考が代表格。
今なら微笑むことが出来るが、過去のヤバい時期の僕が残したLINEログに、上記のような文言があった。冷静に考えれば怖いことである。
・眠るのが怖い。
理由は簡単。「起きたら仕事に行かなければならなくなるから」である。
起きた後に「メンドクセー」ならまだしも、寝る前から翌日の仕事に恐怖している場合、或は恐怖している人がいる場合は、手を打たねば本当にマズい時も多い。
・仕事が終わらなくなる。
疲労時の脳の働きは、健康時に比べて相当鈍るというデータは大量にある。
寝不足であれば、酩酊時と同じくらいの能力しか出せないという研究結果もあるくらいだ。
そんな状態では、仕事は当然溜まっていく。しかし、人にお願いすることがただの恐怖であるモードであるから、自力での解決は臨むべきではない。
この状態が積み重なる、或は支援を求めて突っぱねられるなどすると、もう最終段階に突入することにもつながる。
末期の兆候。
・死ぬことを考え始める。
言うまでもなく末期である。
例えば、苦しみのない自死の方法を検索したり、信号にて車に撥ねられてしまうことを想像してしまったりといった具合である。
僕もそういえば、運転中にここで右ハンドルを切ったら事故れるなぁとか考えた記憶がある。
立ち直れたことが不思議で仕方がない。
・不意に涙が止まらなくなる。
感情の制御すら不可能になった段階は、もはや正常とは程遠い。
例えば、家に着いた瞬間涙が出るとかならまだしも、職場に近づけば近づくほど涙が溢れてくるといった症状もまたこれに当たる。
また、兆候ではないのだが、この段階では仕事を辞めるという選択肢が浮かんでこなくなる。
言うなれば、続けるか死ぬか、しか頭に浮かんでこないのだ。
これについては、『何故辞めないのか。死ぬくらいなら辞めれば良いのに・・。』という意見も多い。
だが、かつて当事者だった僕から言うと、辞めると言った後のことを考えると、それを言う気力が完全に消え失せるから、というのが大きかった。
例えば、
「辞めたい」→「辞めるといったら何て言われるだろうか」→
「甘えとか言われるのだろう、言いくるめられるのだろう」→
「また、家族、友達、先輩、全員に申し訳ない」→「辞めるわけにはいかない。辞めるくらいなら死にたい」
といった風に思考は巡る。
何故結論が死になるのかは、もはや思考が正常では無いため、当人に訊いても悪く言えば無駄である。
世間体や期待(大抵は自意識が過剰なそれなのだけど)による縛りは、疲弊した状態だと周囲の想像以上に強く、重い。
終わりに。
なっかなかに重たいテーマであったが、上記の事柄はあくまでも一例である。
上のような考え方だから即危ないというワケでも無ければ、上のどれにも当てはまらないから安心というワケでもない。
あくまで参考程度に留めるのが正解だと思う。
ワークライフバランスだとか、過労死がどうとかと提唱されて等しい。
しかし、最終的には自分の身を助けるのは自分しかいないのかなと、僕は達観、いや、諦めている。
最近連勤が長引いているとか、休みの日が休みらしくないとか、心当たりがある人は、本当に気を付けて慈愛して頂けることを切に望む。
とりあえず僕は、今週末は死んでもこじ開ける。
休養は甘えではない。必須である。まだ20代だが、この想いはもはや信念だ。