高校の卒業アルバムが出てきた。
その時期から気付けば10年近く経っていることに慄然としたが、アルバムを開けばそんな想いはどこへやら。
アルバムの中は文字通り時が止まっており、”あの頃”が色鮮やかにそこに残っている。
様々な思い出が蘇って来て、ホッコリする時間をしばらく堪能できた。
―それと時を同じくして、化石のような携帯も発掘した。大体高校2年~大学1年まで僕が使っていたヤツだ。
何気なく充電して、電源を入れてみると、何と普通に起動した!で、当時のメールもまんま残っていたので、しばらく読んでみた。
恐ろしいほど文が稚拙だ。でも今より感情が素直に出ていて、読んでて清々しい。女子に送ったメールもある。うわぁ、絵文字が全く無いクソつまらん駄文だなぁ。
これもまた、1時間程度、笑いと冷や汗を交互に満喫させて頂いた。
・・・僕は今まで、かつての自分を基本的に否定するスタンスを取っていた。そうして初めて、僕は僕自身の成長に目を向けられると思っていたためだ。
しかしこういった機会を偶然に持って、少し考えを改めようと思う。
回りくどい話だが、今の僕が出来ないと思っていることを、過去の僕が出来ている、そんな証拠を色々と見つけ、思い出したためだ。
当時15~8歳の僕にあって、今の僕にない。その上で、普通に誇って良さそうなモノ。
今日はそれを、何かのお役に立てればと思い、纏めてみる。
金が無いから知恵を出す。
誕生日プレゼントを考えるのは、とてもしんどい。
ある程度の金を掛けて、嫌味にならないように、そして持っているものと被らないことを留意し、しっかりと役に立つものを・・・
とかまぁそんなだ。
特に小金を持っていると、真心より財力にモノを言わせて決定しがちである。
しかし、10代の僕はこの辺が大得意分野であった。
金が無いから知恵を出せというスタンスはもちろん、選定に対しての信念もあった。
「予想だにできない、カネをかけない、そして絶妙に要らない」の3点である。
覚えている限り例を挙げる。
料理が好きな友達には、100円均一で買ったトング5種類をプレゼント。(当時525円)
お調子者なヤツには、丸ごとココナッツを2つプレゼント。(400円で買えた)
ちょいとネクラな友達には、丸ごとパイナップルをプレゼント。(350円くらい)
ウナギが好きな友達には、ウナギのかば焼きをプレゼント。(スーパーで500円くらい)
んで、印象が薄い友達には、適当にイカを丸ごと1杯プレゼント。(400円くらい)
うん。自分が貰ったらカチ切れそうなものばかりである。
我ながら、どうしてこんなのを選ぶのか。センスというより常識を疑う。
しかし、今の僕にこんな柔軟な発想はあるだろうか?
残っているだろうか?
この辺の角の取れた、ただのオモンナイヤツに成り下がってしまっている気がする。
最近はモノが無ければ買い足して対応しがちであることに気が付いた。
昔の僕は知恵で対応していた。かつて出来たなら、今も出来るだろう。これからは、金の前に知恵を出すことを意識したいと思う。
意外とあったプレゼン能力。
当時の僕は人を巻き込んでなんかする、というのが意外と得意だったらしい。
僕が立案した企画が、メールの中に残っていた。それに参加していた人のリストも同様だ。
例えば、
「○○ in the ocean」
○○という友達を主役に、皆で海水浴に行くというただそれだけの企画。賛同者僕含め5人。
「釣りに行こう (適当にその辺で)」
橋げたの下でハゼを釣るというただそれだけ。ちなみに4人で120匹程釣れた。
「バレンタインドッキリ計画」
友達Fにドッキリを仕掛けるというただそれだけ。実行犯は僕含め3人。報復としてボディーブローを食らったのは僕1人。
他、ショーモナイのを含めたら全くキリがない。
今の引きこもりな自分とは大違いだ。何故こんなに浮かぶのだろう。何故こんなに来てくれるのだろう。
前者は先のことに通じるから割愛するとして、後者はあることに気付いた。当時の僕は、アフターケアがめちゃくちゃ細かいのだ。
海水浴の件であれば、
「誰それはどこの駅、誰それはあの駅から○○方面に乗って、○○駅で乗り換えれば最短。
で、○時○分頃に○○駅に着くから、駅の外に出て待機。20分以内に全員合流できるハズ。
そこから徒歩で10分くらい。昼食は買える。テントもある。
帰りのことを考えれば、大体○時頃から撤収して、○時に駅についてそれぞれ出発すれば、全員リクエスト通りの時間に到着できる。予算はトータル○○円。」
とかまぁ、細かいメールが残っていた。質疑応答にも答えていた。
そういえば高校の頃は、当日ドタバタした記憶がないぞ。
多分これは、スマホとかネットが普及しきっていない世の中だったから、詰め切らないと即トラブルに繋がるという強迫観念から来ていたのかなぁと思う。
今はその場その場で何とかなるだけに、逆に取り戻したいスキルである。
バレンタインドッキリなどもっと手が込んでいる。
「俺がラッピングを用意する。Aは字が女子っぽいから、手紙を書いて。文面は送る。
で、Bは手先が器用だから、それっぽい生チョコを作ってくれ。1つだけクソマズいものを作ってくれたら超面白い。」
っていうのから計画がスタート。
バレンタイン前日には、細かい打ち合わせをターゲットが下校後に学校で実施。
どのタイミングでどこに隠すか?ターゲットに対する接し方はどうするか?ネタバラシはいつにするか?・・・と延々詰めた。
で、当日。
結局僕たちは30分早く登校し、彼のロッカーにチョコを隠した。
ラッピングはいかにも女子!といったキラキラの袋にキラキラなリボン。
中には(男の)手作り生チョコと、「ずっと好きでした」的なのが女子っぽい字で書いてある手紙。
オマケに架空だけどメアド付き。しかしここがミソなのだが、宛名はゴリゴリの男の名前にしておいた。
(例えばだが、岳本剛太郎みたくスゲー男臭く、でも実際いそうなギリギリを攻めた)
長くなるので結果だけいうと、そいつはこちらの想像以上に喜び、そして宛名を見て恐怖し、放課後まで真っ青な顔をしていた。
ネタバラシをした僕がパンチを食らうのもご納得であろう。
ちなみにその彼とは、この夏に飲みに行った。友情って分からないものである。
・・・今の僕にここまでの計画力・やり遂げる力・アフターケア力は残っているのだろうか。
能力がそっくりそのまま消えたとは考えづらい。消えたのは熱意ではなかろうか。
イタズラごときに一喜一憂してくれる仲間は、年齢的にもういない。
僕が僕の独断で面白いと感じたことに賛同してくれる人も減ってきているのが事実だ。
ガッツとはまた別のテーマだが、かつてもっていたこのような要素は、消し去ったままでは非常に勿体ない。
悪戦苦闘はするだろうが、再び磨き上げられるよう努めなきゃなと思う。
まとめ。
当時の状況と今の状況は全く違うので、そっくりそのまま今がダメ、あんころが良いと比較することはできない。
しかし、今の僕から見て、過去の僕の方が魅力的だったポイントは確かにある。
過去の自分としっかり向き合うなんて、意外とありそうで無い。つくづく感じる。
こうなれば、僕の思考・思想のルーツも過去のどっかにあるに違いないと思えてくる。
小学校や中学校の文集みたいなの、残ってないかなぁ。今度連休が取れたら、実家を発掘してみようと考えている。
昔の自分が今の自分に伝えたいことは、まだきっとどこかに眠っている。
皆さんも、一度探してみては如何だろうか。
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