僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

『昔は良かった』は本当か?自分の思い出を"疑って"みる。

 先日、大学の後輩を集めてはしゃいだ。普段頼まないピザを頼んで、しょうもない話で盛り上がって。

 

大学を卒業したのは結構前なのだが、あの頃を思い出し、懐かしさと楽しさを同時に満喫できた2時間であった。

 

だが、そこから問題が発生した。

 

お開きになってから押し寄せる、猛烈な寂しさ。返らぬ日々がたまらなく愛しくなり、どうやっても昔に戻れないことが、辛くて仕方なくなってしまった。

 

つまるところ、凄まじいネガティブの波がやってきたということである。こうなれば厄介だ。

 

現在の境遇が惨めに思えて、そして過去が強烈に光り輝いて思える。

 

いつの間に俺はこんなにしょうもない人生を歩むようなことになってしまったのかと、自己否定を極めた念が込み上げてくる。

 

ひと昔前だったら、そのままベッドで眠れない夜を過ごしていたに違いない。

 

―しかし、ここからが僕が成長したところである。

 

そんなスバラシイ思い出を、「目線を変えて」見つめ直してみると、結構アッサリ立ち直ることが出来たのだ。

 

今日はそこで実践した思考のプロセスを、記憶がまだ新しいうちにつらつらと纏めてみようと思う。

 

 

  

何故思い出が愛しいのか?

 

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思い出補正という言葉がある。

 

どんなに辛かった過去でも、喉元過ぎれば熱さを忘れるとか何とかで、結局美化された記憶として残るというものである。

 

まぁ、確かにな、と思う。例えば、地獄の日々であった大学受験勉強が、今になって思い返せば、心なしかうっすら甘みを帯びている。

 

つまり前提として、「思い出は自分に甘くなるもの」というのが必須である。何故思い出が愛しいのかといえば、そういうものだから、というのが答え。

 

国語の解答としてはウンコだが、納得するより他ない。では、今度は何故に現実がクソっぽく感じるかを考えてみよう。

 

何故今この瞬間が鉛色なのか?

 

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まず一つは確実に、記憶が鮮明な分、悪いことも普通に覚えているとかそういう身も蓋もない話なのが挙げられるハズだ。

 

人間の記憶は薄れるのが早く、詳しくはエビングハウスの忘却曲線という言葉を見ると面白い。

 

でも、そういうのでケリが付けられるほど甘くない問題でもある。もっと深く考えてみよう。

 

2017年現在のこの時をあまり楽しくないと考えている時は、実のところ「今」を考えていないことが大半だ。

 

「仕事ばかりで、これからどうなるのだろう」とか。「あーあ、昔はもっと楽しかったのになぁ」とか。この思考に『今』はない。

 

つまり、「今がクソ」というよりも、「過去や想像していた未来と比較して、今がクソ」に見えているだけなのだ。

 

ということで、思考における時間軸のズレが、このネガティブモンスターの主因であると僕は納得している。

 

ならば、ここのズレさえ矯正すれば、色々と健全な思考に戻るのではと考えた次第である。

 

過去や未来の汚点、現在の美点。

 

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過去はそこまで良かったのか?とたまに考える。

 

高校の頃は楽しい思い出しか浮かんでこないが、辛い思い出もそれはそれである。

  

大学の頃も、徹夜で書いた論文の記憶や、留年寸前になった危機、合コンで滅多打ちにされたことなんかは、思い返せば吐き気がする。

 

夢に描いていた未来もまた同じだ。

 

18歳くらいの時に描いた夢の僕は、20代半ばで人並みに彼女が居て、そろそろ結婚を意識して、ワークライフバランスが絶妙な日々を送っているハズだった

 

現実はほぼ何一つそれを満たしていないのは当たり前だが、問題はそこではない。

 

憧れとしていた人生はそんなに素晴らしいのか?というところに考えを向けてみる。

 

僕は共同生活に全く向いていないというのは、ハッキリと20代前半で自覚した。彼女が居なくても普通に暮らせるということも理解している。独りは愉しい。

 

ワークライフバランスは、最近あまり良い言葉に聞こえなくなった。家に居ても何も生まないので、ひたすら無情である。

 

夢はあくまで夢。

 

年を重ねれば理想ではなく現実を追うというが、身の丈が分かれば自然とそうなるのであろう。

 

そして、もっと色々と考えを巡らせてれば、今がそこまでクソでないとも分かる。

 

給料はある。休みもある。思い付きで10000円くらい散財しても、僕が困れば済む話。お腹がぺこぺこなら、思いついた時に好きな飲食店で飯を食える。

 

もし妻がいれば、「晩ご飯要らないよ」とか連絡を入れなければならない。手間だ。

 

そうやって汚点と美点をそれぞれに足してやれば、適切なところに双方が落ち着く。

 

そしてトドメとして、「過去には戻れないし未来は考えても無駄」とかいう声を自分に掛けてやれば、どす黒いネガティブの渦巻きは、元の凪いだ状態に戻る。

 

冷静に考えれば、大抵何事も、思っていたより悪いものだし、思っていたより良いものなのだと最近は考えている。

 

まとめ。

  

過去に返りたくてたまらなくなることは別に僕は否定しない。それくらい素晴らしい日々が人生にあったということは、素直に尊敬する。

 

だがそこに囚われ続けると、はっきりと不利益ばかりが押し寄せる。よろしくない。

 

思い出とか未来とかは、適切な距離を取りつつ、適当な評価をしつつ、距離を取って考えておくのが丁度いい。

 

だから僕はこの暇な昼下がりを満喫すると決めた。何もすることがない。素晴らしい。18歳の僕にも、30歳の僕にも伝えたい。

 

「お前が思っていた未来よりも、あなたが感じている過去よりも、今日この時は案外悪くないですよ。」って。

 

これを見た僕が今後どう思うかは、どうでもいいけれどね。

 

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