04.5 注意事項
事前調査を抜かりなくしておけば良かっただけなのだが、実は萩にて、結構迷子になった。
どこが一方通行で、どこがそうでないのか。駐車場はどこから入るのが正解なのか。それがあやふやな施設が割と多い。
特に城下町の辺りは、結構すいすい行けるように見えて、離合が絶対できない道幅のエリアも数多く存在する。
一番難儀したのは、萩博物館だった。
市内をちょこまかとドライブしたが、全然見つからない。道中何度もグーグル先生に何回も助けを請うて、何とかたどり着いたのだ。
まあ、明倫館の方を勝手に博物館だと思い込んでいた僕のせいなんですけどね。先入観とは厄介なものだ。
また、少し焦ったのが、5000円以上の紙幣の使いどころが意外となかったという点だ。
博物館にて両替が出来たから助かったが、そうでなければ、確実にどっかの駐車場で詰んでいた。
或いは、数か所の施設で門前払いを食らうところであった。事前調査って大切だな。
どうでもいい告白だが、一時僕は萩に住んでいたことがある。それなのに知らないことは、かように沢山あったわけで。
まあ、行き当たりばったり上等な旅だから、構わないのだが。そういうわけで最終部は、昼食からスタートする。
05 海の幸
僕が大好きな食事処は、萩しーまーとにある。
日本海の海の幸を堪能できる店が数多くあるのだが、僕はとある店にばっかり行っている。
来萩という店だ。ここの天丼が大好きで、萩に来るたびに実は寄っている。
いつもは土日に来ていたので、昼飯時は大抵30分以上待っていた。しかし、今日は平日。だから待ち時間0で入ることができた。
ここの天丼のウリは、脂ののったアナゴの天ぷらだ。
そのでかさは、どん兵衛の油揚げかというくらいである。だが今の季節は冬真っ盛り。アナゴが獲れるイメージがない。
それでも構わずオーダーすると、どうやらこの時期、アナゴはやっぱり無いらしい。
代わりにサワラの天ぷらをのせて、値段を50円引きしてくれるという。僕はそれで注文をした。アナゴ以外の具材も、もれなく美味いのだ。
そんな中ふと気づいたのだが、昔はあった単品の握りが、メニューから消えている。瀬付きアジの握り、食いたいのにな。
店員に聞いてみたところ、5種盛りなら・・とのことだった。
値段はそれなりにする。僕は瀬付きアジだけ食べられればそれで良かったので、少し食い下がってみた。
「昔は頼めたんですけど、今は無理ですか?」あくまで笑顔で、できる限り朗らかに。クレームっぽくならないよう、そう尋ねてみた。
2,3回のラリーの末、結局は単品OKとのことだった。2貫オーダーし、来るのを待つ。
人見知りである僕が、軽度とはいえ自己主張を押し通せるような人間だったとは。どうでもいい問答を通して、また一つ自分を発見した。
待つこと数分。料理が届く。
これが食いたくてしーまーとまで足を運んだのだ。もう言葉にする必要なんてない。美味い。5分で完食だ。努力の末手に入れたアジ。こちらも文句なしで、美味い!
お値段は1500円ちょい。妥当であろう。会計時に「ごちそうさまです」と声をかけて、僕は店を後にした。
しーまーとには、ありとあらゆる特産物が並ぶ。
乾物、漬物、酒、お土産・・・それらを見ながら施設内を歩く。市場特有の、「ラッシャー!」みたいな豪快な声は、今日はしない。
活気のある市場は嫌いじゃないのだが、静かな市場もこれはこれで。
しばらく歩くと、鮮魚コーナーを見つけた。
キジハタ、ヨコワ、ケンサキイカ、アワビ、ヒラソ・・日本海に隣接する、ここならではの海産物が並ぶ。見ていて楽しい。眼福だ。
しばらくじっと眺めていると、視界の隅に違和感を覚えた。振り向くと、なんと地元TVが取材をしているではないか!
そしてカメラは僕の方をはっきりと向いていた。
山口在住の方で、萩しーまーとの特集が流れていた何かを観た方。
キャメル色のメルトンコートを着て、鮮魚コーナー前で魚を凝視していた男がいれば、それは僕である。
なんか恥ずかしくなったので、僕はそそくさと退散した。次の目的地はハッキリと決めている。お腹も満ちた。次だ、次。
06 世界遺産にて
20分後、僕は松陰神社にいた。
明治維新を、そして萩を語るうえで絶対に外せない人物、吉田松陰。
博物館の資料や、城下町を散策する中で、僕はその人物像、思想、その他もろもろを知りたくなって、ここにやってきたというわけである。
仁和寺にある法師ではないが、僕の本意は寺そのものにはない。だから早速、松下村塾から見ることにした。
ここで、少なくともこの地で、静かに歴史は動いていたんだな。門下生に講義をしていたというスペースは、驚くほど狭い。
思想を伝えるのに、その場所の広さは関係ないのだろうか。あくまで必要なのは、熱量。なんとなくそう思う。
次に、歴史館というところにいった。
ここは、こんな風に、松陰の人生を蝋人形で再現している。ユニークな施設だ。単焦点レンズが映える。
・・・しかし僕は、この蝋人形というヤツが割と苦手だ。
確かに血は通っていないのに、ぎりぎりまで生きているものに近い。たまらない違和感を覚える。いや、もしかしたら恐怖かもしれない。
暗闇でいきなり蝋人形に出会おうものなら、いい大人だがたぶん泣く。そういう恐怖をこらえつつ、松陰の生き様を追いかけた。
萩に生まれ。松下村塾に学び。黒船に乗り込もうとして失敗。投獄。講義。そして死。
どこまでも自分に正直で、どこまでも堂々と。死の前であってもそれは変わらなかったらしい。
至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。
誠を尽くせば、人は必ず心動かされるという意味だとか。どこまで自分を、そして人を信じているのだろうか。
正直、ここまでの信念は理解が及ばない。もう少し器用に、もう少し自分を曲げることができれば、もう少し生きられたのではなかろうか。
でも、ここまでの偉人として記憶されることもなかったろうな。
僕にこういう選択ができるだろうか?
自分を曲げて生きるか、自分を貫いて死ぬかで、迷わず死を選ぶという。
うん、絶対無理だな。僕は必ず、目先の生を選ぶだろうな。
僕は歴史館を出た。
もう少し詳しく、松陰のことを知りたい。そう思い、今度は資料館っぽいところへ行った。尚こちらは、撮影が全面禁止。
資料のほとんどは漢文で書かれており、僕には教養がないので、読むことができない。おまけに、和訳があまり添えられていない。せいぜい、簡素な解説があるだけ。
でも何となく、松陰の思想の鋭利さ、そしてその根拠の強さ、彼が親や家族、門下生を想う心は伝わってきた。
過激なだけでも、無謀なだけでも、知性あふれるだけでも、かくも優れた人として記憶されることはなかっただろうな。
「志を見つけるために知識を付けねばならない。しかし、知識をつけるだけでも良くない。行動に移すのが全てなのだ。」
・・と僕は解釈した、『知行合一』という言葉を何度も見た。これが言わば座右の銘らしい。良い言葉だ。一瞬で好きになった。
余談だが僕は読書が好きだ。
その上で、それに書いてあるもののうち、すぐにできるようなのは必ず実践している。頭でっかちで終わるのなんて、面白くないからだ。
でも、それが全部できているかは微妙である。他者との関わり合いが深ければ深いほど、持ち前の人見知りが邪魔をする。
「俺は成長したいの?現状維持でいいの?」みたいなジレンマを覚えたことは数知れない。
そういったしょうもない迷いが、松陰の言葉には一切ない。そして、生きざまにおいても感じられない。まず、動く。
さらにそれは、幕末の志士に共通している事柄だとも感じる。久坂玄瑞も、高杉晋作も、その行動に迷いがない。
僕の中で、なんかだんだん点と点が繋がってきた。
・・・何だろう。もう少しで答えが出そうなのにな。モヤモヤする。こうなったら、松陰先生に倣って、行動しながら考えるとしよう。
僕の行きたいところは、もう1つある。坂道を延々と上った先に、もう1つ。
吉田松陰生誕の地。
せっかくだ。歩いて山頂まで行ってやろう。
僕は意味もなく胸を張り、結構急な坂道を歩き始めた。
07 生誕の地
僕の横を車が通る。その度に、徒歩はしんどいなと少し後悔した。
傾斜は意外とあるため、一歩一歩が結構、重い。この道のりが750mか。タバコ、やめときゃよかったな。今さら過ぎることを僕は思っていた。
歩くこと15分。踵が痛い。コートがもう、暑くてたまらない。そんな時、ある邸宅が見えてきた。
玉木文之進の家。吉田松陰の叔父にして、師匠に当たる人。ちなみに松下村塾をそもそも開いたのは、この玉木文之進である。
ここまで来たということは、目指す場所まであと少し。しかし、傾斜はここからさらに強くなる。
何回か、途中で帰ったろうかなぁと思った。しかし、ここまで来たんだから上らないと、という自分から自分への励ましが勝る。
歩き始めて30分。僕はようやく山頂にたどり着いた。へとへとだ。でも、出迎えてくれるものもあった。
吉田松陰の像。そしてここから振り返ると・・
萩市内が一望できた。景色を見て疲れが吹き飛んだのは、ずいぶん久しぶりの感覚だ。
これを見て思ったのだが、松陰の生家からは萩市内が一望できたということになる。
今とは色々と見えるものが違ったはずだ。
一体、松陰はここから町を見て、何を思ったのだろう。
その後、しばらくベンチで休憩していると、とあるカップルがやってきた。銅像の写真を撮り、景色をみて、「きれいだね」と言っている。
平和な光景だな。すると、気になる言葉が聞こえた。
「墓を見て帰ろうか。」
・・・墓?
どうやら吉田松陰の墓、いや、志士達の墓がこのすぐ側にあるというのだ。ここまで来たら、見ない手はない。
乳酸たまりまくりの足を引きずり、僕もそこへと向かった。
墓地に着くと、どこに誰が眠っているのかが一目で分かる案内板があった。それを基に、松陰の墓の場所を探す。
少し歩いた先で、僕はそれを見つけた。そして同時に驚いた。
墓が大変質素なのだ。
刹那、僕はあることを悟った。「どんな偉人でも、死んだら何も持っていけねぇんだな。」
すると猛烈に、無常な気持ちが湧いてきた。涙が出るとかそういう気持ちではない。
どことなく空虚というか、とにかく言葉にできない、寂しさや、切なさが入り混じった何かがこみ上げてきた。
僕は墓前に近づくこともせず、静かに坂道を下り始めた。
この感覚を通じて、僕の中で全てが繋がった気がする。
死が今よりもっと身近で、長生きすることも難しかった時代。
当然、『人生は有限である』という事実をよりはっきりと感じていたに違いない。
人生には限りがあるのだから、やりたいことがあるのに、それをしないなんて意味が分からない。他者のこととか、世の中とか、気にしている暇などない。
そして死んだら、肉体も、資産も、志も、何もかも浄土に持っていくことは不可能だ。
だから生きているうちに、わき目もふらず、事を成さねば。
彼らはこういう思想が心のうちにあったのではないか。
どこまでもまっすぐで、行動が早く迷いがない理由は、人生は有限であると本能で知っていたからというのが大きな理由ではないだろうか。
彼らが残した書に、未来のことがあまり書かれていなかったのを思い出した。
今を生きることに必死だったからと考えれば、素直に繋がっていく。
実は違うのかもしれない。でも、僕は納得した。
そういう僕は、いつか自分が死ぬということをわかっていただろうか?いや、わかってはいても、それを意識していただろうか?
明日も明後日も、どうせくる。正直、毎日そう思っている。
近しい人の死に触れたことも、あんまりない。どうしてもまだ、死が他人事のように感じられる。
したいことが残ったまま死ぬって、どうなんだろうな。僕はとりあえず現時点で、やり残したことはいくつあるんだ?
そんなことを考えながら、坂道を下った。
駐車場に戻るころ、太陽ははっきりと傾き始めていた。本当は温泉に浸かって帰るつもりだったが、僕は一目散に帰路についた。
何となく、焦っていたから。志もなくのほほんとしている今に、焦っていたから。
僕はずっと、自分の”志”について考えながら、家へと向かっていた。
「家族?野心?金?一体どれが俺の志だ?」
一時間近くずっと考えた。でも結局、その運転中に答えは出てこなかった。
エピローグ 自宅にて
家に着いた僕は、過去に自分が作った50のしたいことリストを見返していた。95%以上は未完だ。このペースだと、僕はそのうちしたいことを捨て始める。
ふと思い立って、僕は自分の手をぢっと見てみた。僕の生命線は、親指の付け根の膨らみに届いていない。
それだけ見ると、僕はそんなに長生きできそうにない。だから僕は、勝手に自分の寿命を35歳に設定してみた。
期限を決めれば、逆算で行動がどんどん決まるのでは?そう思ったから。
それを踏まえて、したいことリストを作り直してみた。
猛烈な勢いでタイプが進む。あれよあれよと欄が埋まる。そしてなぜか、ワクワクしてきた。
気付けば、来週末の予定まで作り始めていた。早く夢を叶えていかないと、僕の寿命はあっという間に尽きてしまう。
「生き急いでるようにも感じるなぁ。」「でも、悪い気持ちはしないな。」と僕は思った。
明治の人も、こんなことを思っていたのだろうか。いや、もっと必死だったか。当時は本気で日本国の危機だったもんな。
ありがとう。
あなたたちのおかげで、僕は自分が幸せになることに全力を注ぐことができています。
食べたいものも、したいことも、行きたいところも、まだまだたくさんある。
死んだら、夢すら穢土に置いていかないといけない。そんなの、願い下げである。
人見知りだから、とか、ヘタレだから、とか言ってる場合じゃ無くなったな。自分と不適合だからと、過去に捨てた夢たちが、今、結構愛おしい。
そう思うのであれば、叶えた方が良いのだろうな。挑戦した方が良いのだろうな。
人生は必ずどこかで終わる。辛いけれど、冷厳たる事実である。でもそれを意識してからの方が、なんか活き活きとした気持ちがある。
短い時間ではあったが、萩という場所が、そこに生きた人たちが、僕に教えてくれたことは、計り知れないくらい大きかった。
「ありがとう萩。いつかきっと、また来るから。そして今度来るときは、何らかの答えを必ず持っていくから。」
あとがき
柄にもなく、書いていて色々な気持ちが乗ってきて、久しぶりに没我の感覚を味わえた。
もともとは、最近読んだ旅行記が面白くて、自分も書いてみたいという想いがあったから、これを題材にしただけ、というのが本当のところだったのだが。
「自分探しの旅にでるぜ!」という人がたまにいる。
僕はその感覚がよく分からない。自分は他でもなく、ここにいるじゃんと思う。ガンジス川とかに、僕がいるとは思えない。
そういう信念というか斜に構えた何かがあるため、一応テーマを設定して旅行した。
結果、それは大当たりであった。はっきり僕の中で、何かが変わった。過去の人々の遺したものに直で触れることは、極めて多くの学びを授けてくれる。
節目の100記事目にして、なんか一番ましなことを書けた実感がある。だからか、文字数も6000を超えた。過去最長だ。
くどいかな?と思う点もあったが、思ったままを書こうと決めて、なるべくそのまま残している。
ときたまこういう熱い話も織り交ぜつつ、これからどんどんと記事数を伸ばしたいな。
実はアクセス数を意識したことはほとんどないのだが、想像以上の数がある。
不思議と緊張してきた。
でもしたいことだから、そういう思いすら勿体ない。
有限を意識すれば、肚が決まる。肚が決まれば、次々と行動ができる。
恥をかいてもじもじするのも、もうどうでもいい。それどころじゃない。
とある本で読んだ、「今この瞬間が一番死から遠く、日々それに近づく」という文言がフラッシュバックする。
したいことは全部する。人見知りだけど、ヘタレだけど、改めて強く思えた。
手前味噌だが、ぜひ、学びを求めて小旅行をすることを、僕は強く推す。それだけで人生が変わるほど甘くは決してないが、そのきっかけにはなる。
かもしれないから。
完