人見知りで、他者との交流をどちらかと言えば避けたい僕だが、実は退屈が嫌いである。
去年のGWなんかは、敢えて予定0にして家からほとんど出なかったのだが、とにかく辛かった記憶がある。
何も生めなかった日があれば、素直に罪悪感を覚える。一日の振り返りで特筆事項が無いと、どうにもやるせないのだ。
正直、誰かを連れ立ってあちこち遊びに出かければ、そのノルマみたいな変なのはすぐクリアできる。
だが、悲しいかな、僕は人見知りでネガティブだ。
誰かを遊びに誘おうとしても、『これが楽しいのは俺だけじゃね?』という過剰な自意識が、メッセージ送信の指を止める。
独りであれば、出不精に外出欲が勝つのは良くて月イチだ。
自宅に籠城が大半で、家から出てもせいぜいスーパーやコンビニに行くだけ。僕をGPSで追いかけても、死ぬほどつまらないはずだ。
そして家に居ても、することには限界がある。早々に時間を持て余し、数時間寝て、夜寝れない。
寝れないから飲酒して、次の日がダルくて・・・。というのが最近ずっと続いている。
いい加減にしたい。そう奮起して、最近は家に居ながら時間を潰せる方法をずっと考えてきた。
そして、自分の中で『これは良い』と思うものが少しずつ出てきた。今はそれを組み合わせて、休日の暇な時間を圧縮している。
せっかくなのでその術を3つほど、今日はここでシェアしたいと思う。
料理。
空いた時間に、何かクリエイティブなことをすると、結構楽しい。料理はその筆頭格ではなかろうか?
僕はなんだかんだで昔から料理が好きだ。
ただ、魚の調理以外の技術論は興味がなく、美味いとされるレシピをラクに安く再現することが、僕にとっての『料理』である。
外食をすれば財布から物凄い勢いで金が消えるし、毎日コンビニ弁当だと、色々と飽きて面白くない。
その日に食べたいものがあったとして、それを作れるようになっておくのは大切だと僕は思う。
といっても、レシピを暗記するレベルにまでする必要は全くない。その時その時で、レシピを再現すれば良いだけだ。
そんな風にして、色々と割り切って、自分の食べたいものを自分で作るだけでも料理は有意義である。
しかしせっかくならば、自分の知的好奇心やスキル向上に繋げる意識を持っておく方がトクだ。
例えば、『3品作るとして、どの順番でやると一番効率が良いか?』とか、『調味料が足りないけど、何を代替にすれば良いか?』とか。
また、スーパー等で未知の食材に出会ったときに、それを材料に何かを作ってみるのも面白い。
基本はスマホで一発だ。どんな材料であろうとも、レシピまでなら調べられる。
しかし、味は実際に己の舌で感じねばどうにもならない。AIが台頭しても、他者の味覚を移植なんてのは流石に出来ない気がする。
ということで話を乱暴にまとめると、僕は以下の自分ルールに沿って、休日はよく料理をする。
①面倒なレシピを採用しない。(調理時間30分以内)
②食べたことのない食材を積極的に買う。
③なるべく効率的に作ることを意識する。
暇つぶしにもなるし、スキル向上にもなるし、普通に食べて美味しい。
とりあえず導入として、オススメのレシピ本をここに添えておく。
掃除。
掃除が趣味と言うと、潔癖なのかと疑われる。
決して僕はそんなことは無いのだが。何なら、とある観光地の駐車場で、2泊程度野宿をしたことさえある。
だが、僕は掃除が好きである。
自宅とは僕たち引きこもりのサンクチュアリであり、そこを清潔にしておくことは、至極当然の話である。
しかし、定期的に家中一括で掃除するのは性に合わないため、結構ヘンテコなサイクルでそれを行っている。
①不要物を捨てる
↓
②ホコリや汚れをふき取る
↓
③ワックス的なのを塗って完成
これが基本的な流れだ。
例えば自宅での作業の合間など、今からトイレの②を15分で!と言う風に短時間で区切って実施する。
そのチョコチョコの掃除でも、トータル1時間もあれば家が綺麗になる。基本物を置いてないのが最たる理由だけど。
掃除に集中していると、暇な時に忍び寄るネガティブシンキングも姿を見せない。
色々と健全な時間である。何より純粋に気分が良いので、軽い気持ちでやってみては如何だろうか?
お掃除グッズは、ドラッグストアや雑貨店に所狭しと並んでいる。
こちらもまた、色々とメリットの大きい暇つぶしとなる。ぜひやってみてほしい。
考え事。
これを立派な『暇つぶし』と解釈できれば、なんかレベルの高い人見知りになったという印象である。
空き時間がとても長いと、結構考え事をする。もっとも、将来がどうとか、考えても仕方ないことは考えない。
僕が考えるのは、ざっくり、『自分の思考の内、論拠が固まりきっていないもの』である。
例を挙げる。僕は、『生涯独身で生きる』と決めている。
しかしこれは、確固たる信念と言うよりも、どうにもならないからこその諦めに近い。
つまり、外的要因で、この考え方は簡単に揺らぐ。ということで、自分なりに掘り下げて考えてみた。
まず結婚に外せないのは、『器・忍耐・経済力』の3要素である。
どれだけ楽しそうに結婚生活を描写しても、上の要素が欠けていれば、それはもう修羅場だ。
僕は正直、誰かと同じ屋根の下で暮らすのは、3日が限界だ。スイッチを切っている状態では、基本独りで居たい。
また、そうなれば僕は忍耐力が弱いと言える。
実際、自分のではなく、自分じゃない誰か(妻や子供)の人生を第一に考えることが想像できない。
そして経済力も全くない。僕は僕の手の届く世界しか養えない。結婚に伴うコストを調べたら、ただただ愕然としたくらいだ。
―こういうのを考えていくと、そもそも僕には『適性がない』というのが分かった。
しかし、適性がないながらも、それを想いの強さでカバーする人が多いのもまた事実。
僕はそんな想いの強さがあるだろうか。
高校の時、『家族愛』をテーマにしたアニメに夢中になっていたのもあり、僕も将来漠然と、『結婚するものだ』と思っていた。
それから結構な時が流れた。
僕は何回か青春なイベントで撃沈し、合コンでもあまり良い思い出を作れず、結婚しないと言っていた友達が結婚した。
自身の経験。自分の理想としていた状況を生きる友人。色々なものと対比し、自分の器を考えると・・・
『想いの力で適性をカバーするとか、僕にとってそこまでの価値は無いな』というのが結論であった。
僕がもし、色魔の如く元気であれば、とっくに我慢できず風俗とかキャバクラに通っているはずだ。
しかし、過去に女子に結構な傷(外的な)を負わされた影響か、そういう環境がすごく苦手だ。
酔った勢いで友達とガールズバーに行ったは良いが、そこで2時間人見知りしたのもまたほろ苦い思い出である。
つまるところ、僕は、『異性交遊に適性がないし、それに価値を感じてもいない』というのが根源だとハッキリ自覚している。
自分はクソ野郎なので言ってしまうと・・・。
己の気質や過去のトラウマのせいで、異性と交流するのに伴う時間・労力・気配り・カネといったコストが、相手から得られるリターンを確実に上回る。
つまり、投資に対して損ばかりしてしまうのが僕なのだ。これは適性の話だから仕方ない。
「無償の愛こそ至高なのに何言ってんだお前」と言われれば、そっちが正論だからぐうの音も出ない。
だが、僕の中では、強く納得している論理である。
というワケで、最初に挙げた『生涯独身で生きる』という思考に、一応論理的な根拠を付けられた。
僕は、
『適性がなく、異性交流にあまり価値を感じないクソだから、独りで生きた方が自分も架空のパートナーもトクをする』
・・という理由で、『生涯独身』を選んでいる。
―こういう風に考え事をすると、結構楽しい上、論理的・合理的思考のトレーニングにもなる。
ちなみに現在は、『逆にどういう異性だったら僕は許すのだろう?』というテーマでたまにぐるぐると考え事をしている。
結構クセの強い結果が出る予感がしており、多分『そんなヤツはいない』という結果になり、『生涯独身』を補強することになるだろうけど。
閑話休題。
考え事のコツは、『なるべくネガティブな思考にならないよう、感情を排して論理的に考えていく』ところだと思う。
最終的にたどり着いたのが『答え』であれば、それを信念にすれば良いし、そうではなく『仮説』であれば、実際に検証すれば良い。
案外、異質な方法ではあるが、他者と交わらず人生を豊かにするうえで、結構大事なツールなのかもしれない。
まとめ。
結構な人見知りであれば、独りで完結する趣味を作っておくのがオススメだ。
とはいえ、モノによっては初期投資で結構引っ張られる。ハマるかどうかも分からない趣味に○万円とかは、結構博打だ。
だからこそ、まずはお金があまりかからず、かつメリットの多い物から始めた方が良い。
上記の3つは、それを満たしていると僕は考えているが、如何だろうか。
さて。
今日はすることが特にない平和な一日である。
何となくYoutubeで動画を観ていると、美味しそうな料理のレシピが流れてきた。
これを作らない手はないな。
僕の有意義な時間は、まだしばし続いてくれそうである。