僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

引き続き、『独活』を考える。

 

いつぞや、こんな記事を書いた。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

 

『独活』って何だ?という方も多いと思うので、定義を再掲する。

 

それは、『独身活動』略して『独活(どっかつ)』。

 

「自分は生涯独身で生きる」という運命を受け入れて、それに向けた準備を整えるというのがそれ。

 

 

僕はこの活動を30歳前後で完成させることを目標に、暇な時なんかを使って色々考えている。

 

前回の記事の中では書ききれなかったことが多々あるため、今日はさらなる『独活』への取り組みを紹介していこうと思う。

 

 

 

 

続・マインドセット

 

前回は、恋愛だの結婚だのの負の側面(もとい現実的な数値)を冷静に考えると、諦めがつくと書いた。

 

理想の年収。実際の年収。求められる学歴。自分のそれ。生涯独身率とか初婚年齢、離婚率、必要な費用・・

 

条件については、僕は何一つ合致していない。恋愛市場における落伍者だ。後半のデータは、考えるだけ辟易する。

 

僕にとって、恋愛だの結婚だのを成就させることは、地方の名もなき公立高校から東大を目指すようなものだ。

 

求められる像に対し、能力不足と言う意味で乖離が激しい。

 

今の年齢と、己の器や格。キャラクター。欲。全てを考慮に入れて色々と考えても、やはり出る結論は同じ。

 

『俺にとって自分を失うレベルの努力を重ねないと届かないのが恋愛だの結婚だのだが、それらにあまり価値を見出せない』

 

もはや悟りに近い。しかし、自分の中で論理的に考え続けてこの結論に至るのだから、どうしようもない。

 

ちなみに相手が誰であれ、誰かと同じ家に暮らすこととか、自分の時間を奪われるとか、そういう状況を僕は忌避している。

 

結婚生活や血を分けた子どもの存在そのものアレルギーがあるようなものだ。周りの人にとっての幸せは、やはり僕にとって毒らしい。

 

光と影の両面をまずは知る。知ったうえで、自分の価値観と天秤にかける。結果、『独りのがええわ』となるのであれば、ようこそコチラへ!である。

 

この時点まで行けば、マインドセットは完了であろう。

 

ということで、前回のそれらに加えたい、具体的な取り組みを以下並べていく。

 

スキルを得るスキルを身に着ける。

 

僕は勝手に、60歳くらいで死ぬと考えている。深い理由は特にない。

 

となればざっくり、恋愛・結婚・子育て以外で30年程度、僕は暇つぶしの手段を考える必要がある。

 

最初の方は、予めライフワークとなるものを探そうと考えていたのだが、今はその認識を改めた。

 

『その都度その都度、興味があるものを吸収していけば良い。』今はそう考えている。

 

世の中の変わりゆく速度は、想像を絶するくらいだ。今後何が登場するか、考えることも難しい。

 

となれば大切なのは、如何にフットワーク軽くそれに手を出せるかである。

 

物事を調べ、実際に習得し、自分の個性を足していく。このプロセス、何かにすごく似ている。

 

そう、『受験勉強』に近いものがあるのだ。

 

当時は『頑張れば大学に入れてもらえる通過儀礼』程度にしか受験勉強を考えていなかったが・・。

 

今の認識は、『雑多な知識を取り込み、それを運用する能力を培うための訓練の場』である。

 

指導を受ける。参考書を読む。人に教える。暗記する。その知識を使ってみる。トライアンドエラー。繰り返し。

 

学習に使ってきた方法を応用すれば、無茶苦茶なスキルでない限り、体得そのものは不可能ではなさそうだ。

 

ちなみに僕は現時点で、『高校数学』と『プログラミング』と『小説』に興味がある。理由は面倒なので割愛。

 

これらについても、受験勉強と同じ風にすれば、技術そのものの習得において80点くらいは取れると考えている。(それを使って作り上げるモノの出来は別問題だが)

 

今この時点でライフワークが無いからといって、悲観することは無い。

 

面白そうなことを次々吸収していけば良い。そのためにも、『スキルを得るスキル』について考えておくのは、大切な『独活』だと言える。

 

ランニングコストを下げておく。

 

あなたはひと月、どれくらいのお金を使うだろうか。

 

僕は収入の95%くらい、身に覚えがあまりないままどっかに行くことが多い。多分、飲み会などで気前よく金を出すからなのだが。

 

僕は社長でも何でもないので、金が全てとは言わないけれど・・

 

世を渡っていく”手段”として金は大切だ。金をかけずに物事を楽しみたくても、限界はある。

 

とある本によると、『収入の10%を貯金し続けること』が大切だという。プールした財は、いざという時の頼りとなる。

 

となれば、『収入の10%を貯金に回すことすら危うい』状況は、自分にコストを掛け過ぎなのではと思ってしまう。

 

偉そうに言うなという話なのだが、僕の年収は正直派遣社員の年収より安い。僕より稼ぐバイトも知っている。語る資格はあるはずだ。

 

さて。

 

僕も似たような状況であったため、まず行ったのは、『一体何に金を使っているのか』を把握することであった。

 

家賃、生命保険、駐車場代、電気、ガス、水道、食費、ガソリン代など、仕方ない部分は多々ある。

 

だが、それを全部差っ引いたら、残って然るべき額は案外大きかった。

 

収入の20%を貯金出来るくらい、結構太い金があるはずだった。こいつらはどこへ消えた?

 

原因は、僕の無意識な『浪費』であった。

 

Amazon、コンビニの明細を見ると、鼻血が出るくらい僕は使っていた。しかも、ほとんど自覚は無い。

 

だから、冷静になって考えた。Excelを起動し、予算を組んでみた。

 

結構浪費気味に予算を組んでみたのだが、それでもやはり金は残る。無意識に意識を向けないと、僕は真に楽しみたいものに投資が出来ない!

 

独りで暮らす手前、見栄とか世間体は室内において不要だ。自身のランニングコストを下げる努力をしよう。

 

そして、それを増やさない努力も。そうすることで、自分における無駄と、自分における大切なものがハッキリと分かる。

 

浪費が趣味なら僕は何も言えないが、そうでないのなら、真に楽しみたいものへ投資が出来るよう、意識は作っておこう。

 

【おまけ】独身活動をしてはならない人たち。

 

僕が言うのも変な話だが、まだまだ恋愛や結婚を諦める段階じゃないという人を散見する。

 

年が10代とかそういう身もふたもない要素もあるが、まだこっち側に来てはならないという人たちの特徴を、参考までに載せておく。

 

誰かと付き合ったことがある。

 

誰とも付き合わないまま20年以上経てば、独りで生きるライフスタイルが恐らく完成し、もう他者を受け入れるのは困難となる。

 

しかし、一度でも人生において、そういった経験があるのなら―そしてそれが良い思い出だったのなら―もうひと踏ん張りしてみてほしい。

 

0と1は全く違う。経験の有無は、結構大きな影響を残すものだ。

 

ただ僕みたく、一応居たことはあるが、逆に暗い影を残す結果になる場合もあるので、一概には言えないのだけれど。

 

性欲が強め。

 

風俗。キャバクラ。ガールズバー。こういった店が好き、或いはハマっているのであれば、まだこっちに来るのは早い

 

自分で言うのも何だが、僕は三大欲求の内、性欲が引くほど弱い。

 

誰の同意も得ないのだが、僕はAVが大の苦手だ。特に卑猥なシーンは直視することすら出来ない。(音も勿論ダメ)

 

人から何かの弾みで見せられたときも、露骨に顔をしかめて『消してくれ』と訴えるくらいである。

 

生物として、雄として僕には致命的な欠陥がある。DNAレベルの設計ミスであろう。(一応異性愛者ではあるのだが)

 

僕は生存の中で異性を必要としないタイプの人間らしい。実際必要な側であれば、僕は発狂して死んでいることだろう。

 

生活の中に異性が普通に居る状況、そしてそれが当たり前と言う認識ならば、正直まだまだそれをエンジョイした方が良い。

 

せっかく生まれ持ったものを、無下に捨てる必要は無いと僕は考えている。(そもそも僕は持たずに生まれた人間だということをお忘れなく)

 

子どもが欲しい。

 

『結婚する理由はもはや、子どもを作るため以外に存在しない。』という極論がネットに転がっている。

 

ある意味真理だと思う。そもそも何故結婚と言う制度が誕生したのかを調べてみると、色々面白い。(確か農家が跡取りを繋げ続けるためとかそんな)

 

僕の周りで、結婚に抵抗を示す者は、男女問わず多い。

 

しかし、その中でも『自分の血を分けた子どもは欲しい』という声は多い。

 

『結婚はしたくないけれど子どもは欲しい』という声が一番多いという印象である。

 

昨今ではシングルマザーやシングルファーザーが共同生活をするシェアハウスなんてのもあるという。

 

世間の目(特に中老のそれ)を気にしないハートがあるのなら、結婚せずに子育てをする環境はあるらしい。(法律上の不利も付随するけれど)

 

ということで、子孫を残したい!子どもを慈しみたい!という当たり前のようなDNAの叫びがまだ聞こえるなら、それには従った方が良いと思う。

 

終わりに。

 

丁度1個前の記事で書いたのだが、僕は同級生がお父さん・お母さんになる年齢になった。

 

そういった人の楽し気な話を聞くと、心が揺らがないと言われれば嘘になる。過酷なはずの育児も、無償の愛でチャラになるのだとか。

 

だが、冷静になって考えると、必ず『俺は独りのが良い』と帰結してしまう。僕の芯は、こっちにあるのだろう。

 

不適合はある意味自由と同義。面倒な将来からの独立。心境は驚くほど穏やか。明鏡止水とはこんな心持かと、適当に納得する。

 

世間の理想に合致しない。そこに合わせる気概もない。得られる成果に魅力を覚えない。

 

そういった気持ちがうっすらとでもあるのなら、僕は準備を始めることを推奨する。

 

案外そっちに活路があったりするものだ。色々なメンドクサイことから独り立ちしてみると、見える世界もあるもので。

 

誰かと一緒に人生を歩まなければならないなんてルールは無い。子どもを作らないと処罰されるなんてことも無い。

 

独りで生きることもまた自由である。こういう価値観があること、頭の片隅で構わないので、覚えておいていただけると嬉しい限りである。