僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

閃きと合理的思考力を手に入れたくて。『高校数学I』

 

日々新たな時間つぶしの方法を模索している。色々と手を出し、続けたり飽きたり。

 

他者との積極的な交流を面倒だと評する僕だ。暇つぶしに求める基準は、想像以上にワガママである。

 

まず、以下の3点は必ず満たしていないと、どうにも抵抗がある。

 

①他者とのかかわりを極力必要としない。

②没頭することが出来る。

③極端な初期投資を必要としない。

 

 

これらを満たす何かを、例えば人見知り仲間の方法を参考にしたり、自分で考えてみたりと、日々探し続けているワケで。

 

そんな中、ユニークと言うより変なのもちらほら混ざっているが、『人見知りにオススメな時間つぶしの方法』というのが色々とまとまってきたと感じる。

 

そこで今日は、新しいカテゴリを作成し、その第一発目の記事を書いてみる。

 

僕が現在『時間つぶし』でハマっているもの、それは『高校数学I』だ。

 

どういうことか?以下、仔細を述べる。

 

 

 かつては数学大嫌いだった僕なのだが。

 

割と最近まで、数学が大嫌いであった。

 

一応外向けには、『あんなにごちゃごちゃやっても、答えが1個しか出ないからイヤ』とか適当なことを答えている。

 

だが実際のところは、『高校入試も大学入試も、数学のせいでかなり危ない思いをした』というトラウマが大きい。

 

数学で欠点を取ったことは無いし、何なら高校2年の時に100点を2回取ったこともある。

 

適性云々ではなく、『俺は数学が嫌いなんだ』という思い込みが強かったのであろう

 

しかし、その考えはある2冊の本との出会いで、良い方向に揺らぐこととなる

 

まずは、フェルマーの最終定理

 

『歴史的難問を巡る、数学者たちのドキュメンタリー』というやや異色な本である。

 

ノンフィクションだからこそ、ドラマチックな物語が展開され、分厚い本ながらも飽きることなく読み切った。

 

まずここで、『何となくだけど、数学って面白いじゃん』という考えを持つようになった。

 

そうすると、数学(もとい算数)が出来ていた頃の自分、それに関する思い出が、忘却の彼方から戻ってきた。

 

100マス計算を1分切っていたあの頃。相似の問題なのに一次関数を使って解いたあの日。

 

一度好循環に乗ると、ムクムクと、もう一度数学をしてみたいという欲が高まってきた。

 

そして決め手となったのは、この実用書。

 

『数学的センスが無いと、日常生活で損をする』『もともと、数学は極めて論理的な科目』という文言が突き刺さった。

 

数学から逃げていると、『僕は合理的な思考力を持っていませんよ』『ロジックが通じませんよ』と暗に示しているも同じだ。

 

数学は面白そうという考えに、数学をやっておかないとマズそうという強迫観念が加わった。意味もなく圧がかかる。

 

だからとりあえず、仕事にも還元されるし、いっそ高校からやり直してみようかと思いついた、というわけだ。(中学数学は正直簡単すぎる)

 

少し専門的な話をすると、展開や因数分解は、なんとか出来た。しかし、少しひねられた問題は、すぐさま詰んでしまう。

 

そして、解を読む。その解の通りにすると、ラクに早く出来た。この時点でも気分は良かったのだが・・・。

 

たまたまだが、その解の道筋をヒントに、別のやり方を【閃く】場面があった。

 

驚くほど計算する量が減り、かつ答えは全く同じ。上記の本に書いてあった、『美しい計算式』というものがうっすら分かった気がする。

 

気付けば、最初の取り組みをしていると、30分程が一瞬で過ぎ去っていた。つまり、没頭できていたというわけだ。

 

ネガティブが忍び寄る隙はどこにもない。密で楽しい時間であった。

 

ちなみに最近は、絶対値を頑張って外している最中である。

 

高校生の時は確か、計算で何とかなる二次関数が得意だった。早くそこまで行きたいな。

 

そんな少し気持ち悪いことを考えている。

 

―ということで、やや特異なのは承知の上だが・・。

 

低コスト・独りで出来る・没頭。

 

これら全てを満たす時間つぶしの手段として、『数学』を、僕はオススメする。

 

出費は参考書とノートでざっくり1200円。まだまだ当分遊べそうである。

 

数字を見たら吐くレベルでない限りは、軽い気持ちで取り組んでみては如何だろうか。