LGBTという言葉は、近頃、小中学生でも知っている言葉になってきている。
僕はそれを、別に否定も肯定もしない。金子みすゞも言っていたように、『みんなちがってみんないい』、それ以上でもそれ以下でもないと考えている。
だが、最近これに関して、『アセクシャル』という言葉があると知った。ついでに、自身がそうだという方のインタビューも読んだ。
普段はこういう性的嗜好をテーマにした記事は読まないのだが、このインタビューは不思議と、最初から最後までじっくりと考えさせられた。
なぜか?
僕はどうやら、『アセクシャル』の定義に当てはまっているからだ。自分が取った行動や考えを思い返しても、もしかしたら・・と思ってしまう。
まぁそうだと分かったからと言って、別に悩んだり何たりとかも無いのだが。
今日は何故僕が僕自身をが『アセクシャル』と思うのかという理由をベースに、エッセイみたいな記事を書いてみようと思う。
とりとめがないけれど、軽い気持ちで読んでいただけると有り難し。
まず、『アセクシャル』とは何なのか。
この記事を読むと良く分かる。
そして、その中の”定義”に当たるものを引用する。
はてなキーワードでは、アセクシュアル(無性愛)を以下のように定義しています。
アセクシュアル(無性愛《むせいあい》とも)とは、『他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない』ことである。
無性愛の性質を持っている人のことを無性愛者、またはエイセクシュアル、ア・セクシュアル、Aセクシュアルともいう。略称として「Aセク」を使うこともある。”
つまり、アセクシュアルとは性別に関係なく、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かないことです。
―とのことらしい。まあ確かに。どうでも良いので言うと、僕は恋愛感情と言うものが全く分からない。性的欲求もそんなに無い。
僕自身はヘテロセクシャル(異性愛者)だが、恋愛ソングの意味がよく分からない。ついでに、恋愛をテーマとした映画の面白さも、実はよく分からない。
さて。
こういう情報だけではイマイチ伝わらない個所が多いので、以下、僕の価値観とか事例とかを列挙してみようと思う。
僕の考え方とは。
まず、『恋愛』や『結婚』に、『性の要素は必要』みたいな価値観が全く理解できない。
夜の生活がおざなりになり破局とか、正直ただただ呆れてしまう。そんな話を聞くたび、申し訳ないが動物みたいだなと思ってしまう。
だから本気で言うが、例えば『セックスレス』の何が悪なのか全くわからない。無しで済むならそれに越したことはないじゃん、とさえ考えている。
白状すれば、いわゆるAVが苦手だ。というより、エロが強く描写されている全てが、どうにも好きになれない。
欲望が全開な感じがどうにも気持ち悪いというか、とにかく言い表せぬ理由があって受け付けない。
(※ちなみにこれは『性嫌悪症』という、アセクシャルとは別の気質の話であるっぽい。最近知った。)
閑話休題。
そういえば昔、単純に気が合うと思っていた女の人と、僕の家で宅飲みをしたことがある。そのときは普通に飲んで、普通に解散した。
後日それを人に話すと、『手を出さないとか終わってるね』となじられた。
全く腑に落ちない。なんなら、逆に問いたい。『終わってるって何?』と。
二人で居たら即18禁な関係が浮かぶなんて、チ〇コから体が生えてる人の発想だとしか思わないのだが。それか盛りのついた中高生である。
―ところで、こっそり前の記事で、僕なりの『彼女』の定義について述べた。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
その時は『アセクシャル』という言葉を知らなかったのだが、今振り返れば僕の定義は言い得て妙な気がしている。
同性の親しい友達を『親友』と呼ぶように、異性の親しい”友達”の呼び方が『彼女』である。
と僕は本気で考えているくらいだ。オトコとかオンナとか、セクシャルな魅力とか、本気でどうでもいいではないか。
僕が彼女や嫁に求めることは一応あるが、他者から見たら大きくズレている。
ピザを頼みたいけど、1人じゃあんまり食べられないから、そういう時に呼びたい。
水族館とか動物園に行きたいけど、そういうところに男一人で居たらどうかしてるので、そういうときの同行者として呼びたい。
そんなものだ。『彼女や嫁である必要がある?』と言われれば論破されそうなのだが・・それ以上の意味とか求めないかなぁ。
全く気を遣わなくてもいい女性。そういう存在は欲しい。ただ、何人もは要らない。それだけの話である。
―ここまで書いといてアレだが、何かと色々と誤解されそうな点がいっぱいあることに気付いた。
以下、一応僕なりに主張しておきたいことを列挙する。
主張しておきたいこと。
まず、僕にも『友情』とか『愛情』という概念はある。
大切にしたい友達とか、可愛がりたい何かとか、そういうのはちゃんと存在する。
だから、恋愛感情による繋がりは全く欲しないが、そうではない『情』による関係は大切だと考えている。
だから間違っても、僕を含めたそういう人を『サイコパス』みたく評してほしくない。
『冷血』とたまに言われる僕だが、そういう人間らしい思考はきちんとあるのだ。
また、僕はいわゆる『人嫌い』とは違う。一人でも平気だが、一人じゃないと嫌とは思っていない。
あと、別に『女嫌い』でもない。過去のトラウマから苦手ではあるが、無条件な怒りや嫌悪の対象になることは基本ない。(人間的に問題ある場合は除く)
『人見知り』で『アセクシャル』で『性嫌悪』だからといって、別に人間や異性そのものを否定しているわけじゃないとはご承知いただきたい。
―ちなみに、僕が読んだインタビューにおいて、それを受けていた人はどうにも自身の気質に悩んでいるケがあった。
『男としてどうなの~』とか、『恋愛感情無いとか冷たいね~』という言葉に傷つくのだという。周囲の理解が無いのは、確かに辛いかもな、とも思う。
ただ繰り返すが、僕は別に少数派だからどうとか、恋愛感情がわからないからなんだとか、全く気にしていない。
そういうところは図太い性分なので、ネタにしてくれても結構だ。まぁ、度を超した態度になったらチクりとは言おうかな、程度である。
今後。
珍しく思いのままを全て書き綴ってみた。
自分の中で自覚はしつつも、ぼんやりしていた概念がハッキリと定義されたためか、そのままをぶつけられたのかなと。
今後としては、別に何をどうするとかもない。『恋愛感情』が無いのは、生まれ持った個性だよね程度に受け止めて終わりだ。
僕自身、一時期トガってこじれていた時期からは幾分マイルドとなり、彼女とか嫁という存在はアリかなぁと思えるようにはなった。
だが、世間一般で言うところの定義によるそれらは不要だ。僕には絶対相いれない。
僕はアセクシャルっぽいぞとカミングアウトしてみて、それでも良いという人。
或いは、『アセクシャルっぽい』人であれば、それなりに楽しく付き合えるのかなと。そう思っている。
そのためには、腹を割って価値観を話す時間が必要だし、出会いの場に出てくるわけがないそういう人たちとどう知り合うかが鍵になりそうだ。
チョコマカ連絡を取り合うのは面倒だし、一つ屋根の下に暮らすのもちょっぴり抵抗がある。
でも、ときたまお互いのニーズを満たしあう、もっと血の通った言い方をすると、対等に支え合える人。そういう繋がりは是非とも欲しい。
―ここまでの長文を読んで、引っかかったり、同意するところがあるのであれば、自分もそうなのかなと思うのはアリかもしれない。
別に負い目に感じることは無い。『恋愛感情』ありきの関係が欲しい人は、自分以外の誰かのところにさっさと行けと思えば良いだけの話。
自分がそうなんだと知ること、そして他にもそういう人は山ほど居ると実感することは、精神衛生上とても大切だ。
そういうことを思ったので、急ぎ記事にしてみたワケで。
どうにも上手くまとまりそうにないので、ここで無理やり切ることにする。
何はともあれ、お読みいただき感謝感謝である。