僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

あなたが幸せになるのを邪魔しているのは、【競争】という考え方かもしれない。

皆さんは【競争】を肯定するだろうか。それとも否定するだろうか。

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僕はかつてそれを、『自分を高めようという刺激をくれて、努力の原動力になるもの!』と思っていた。

 

しかし今は、とりあえず"僕にとっては"相容れないものだなぁと感じている次第。

 

もっと言うと、僕みたく自分に自信を持つことに難儀している人には、かえって毒になってしまうのでは?と考えている。

 

ということで今日は、日頃から誰かと比較してあーだこーだというのに疲れている方に向けて、僕の私見を述べてみたい。

 

 

  

世間的な競争のメリットとは?

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『ライバルを持とう!』とよく言われる。確かに、その存在は自分の能力を高めるのに極めて大きな存在となる。

 

『あいつが頑張ってるから俺も頑張る!』『やつには勝ちたい!』という思いが努力に向けば、大きなモチベーションにつながるだろう。

 

つまり【競争】の存在は、努力を促すという意味で、大変有用で有益な存在だといえる

 

―ただこれは、実を言うと、"相当能力があるヤツ"か、"自己肯定感がとても高いヤツ"に限定した話にしか聞こえない。

 

そして、健全な響きの裏には、結構ドロドロしたリスクも隠れているように思えてならない

 

ということで以下、僕が思う競争のデメリットを述べる。

 

競争という響きに隠れた闇。

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【競争】である限り、そこには必ず『勝者』と『敗者』が生まれる。

 

前者なら自分に自信がつくし、後者ならそれをバネに頑張れる。つまりどう転んでも良い方向に作用する。

 

だから【競争】は良いものだ!

 

―というのは、正直めちゃくちゃ自己肯定感の高い人間だけに当てはまる論理である。

 

僕みたいなネガティブかつ自己重要感に欠ける人間にとっては、【競争】とは巻き込まれれば必ず不幸になる場なのだ。

 

例を挙げる。

 

僕はかつて、『勉強』に少し自信があった。高校の頃に校内で1位を取ったことも実はあり、そこそこできる方だという自負があった。

 

だが今は、それにさえほとんど自信を持っていない。理由は簡単で、圧倒的な勝者に出会いまくってきたためである。

 

他の高校から医学部に受かる同級生や、全国模試で偏差値80を取るヤツを見るたびに、僕の自尊心はメタメタになった。

 

つまるところ、自分は勝者になれない上には必ず上がいる。僕は20代頭からそう悟っていた。

 

【競争】の結果による自信は、いずれ粉砕される。自分より上の人間は、必ずどこかに存在するからだ。

 

仮に今この場に居なくても、過去や未来に時間軸を広げれば、どこかで自分に勝る者は、確実に登場する。

 

『俺が一位だ!』というのを吹聴する奴を見るたびに、それはもう滑稽としか考えられない。それは今でも、誰に対してもそう。

 

もちろん、僕の考え方が糞なのは百も承知だ。

 

だが、自己肯定感が弱い人間にとって、競争は必ずといっていいほど自信の喪失に繋がり得るため、手放しに称賛するのは難しい

 

ほんの少し存在する、儚い己の自信。それは大抵、人と比べて少しばかりできる―とかそういう理由で抱いているものである。

 

例えば、人より少し数学ができるとか、人より少しスポーツが得意とか。だが、他者との比較で自信を身に着けようとするのは極めて危険だ。

 

理由は先述の通り。何らかの力量において、必ず自分に勝る人間は存在するからである。

 

そういう人間や出来事を目の当たりにすると、大抵は【強い敗北感】を覚える。となれば、儚い自信も瞬く間に消え去る。

 

自信や自己重要感を喪失したままの人生は、極めて辛いものである。(僕も体験済)

 

そして、デメリットはこれにとどまらない。

 

【競争】とは自尊心をへし折る場だと悟ってしまうと、周りの人間の見方が変わる。

 

簡単に言えば、友人や仲間としてではなく、【敵】として見てしまうのだ。これはおそらく、大半が無意識である。

 

―では無意識であるなら、それにどう気付くのか。実はその方法は、めちゃくちゃ簡単だ。

 

自分より良い成績を収めた人間。或いは、人からちやほやもてはやされている人間。

 

そういうのを見たときに『敗北感』や『嫉妬』が湧いてくる人は、正直ちょっとアウトである。

 

それはもう、他者の成功を、自分の敗北と捉えているに等しい。実際そこに、何の因果関係もないのに・・・。

 

かくいう僕も、今だにその感覚を0にはできていない。意識的に抑えるので精一杯だ。

 

才能豊かな人間や、良い環境に巡り合えた友人を見るたびに、『嫉妬』の念がじわりと忍び寄ってくる。

 

そんな価値観の人間に、誰も心を開いてくれるわけがない。周囲を敵とみなす限り、待っているのは『孤独』である。

 

ということで話をまとめると、確かに【競争】は世間一般の話としては良いものかもしれない。

 

だが僕みたいな人間にとっては、自分を必ず敗者にし、猜疑心を育む暗澹たる場所にもなり得る、というリスクも潜んでいる

 

となる。 

 

―だが僕は出来れば、【競争】の良いところだけを利用し、デメリットから自分を切り離したいと考えている。

 

僕は自分を高めたいが、同時に人の幸せを素直に祝いたいのだ。

 

そんなワケで、僕は今後の心がけとして考えていることがある。

 

自分の頭を整理する意味合いもかねて、以下それを紹介していく。

 

健全に【競争】を利用するためには?

 

①他者ではなく自分との比較を行う。

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上記の【競争】のデメリットは、押しなべて言うと、『他者と比較するから』生まれるものである。

 

となれば、競争の相手を切り替えれば、話は変わってくることになる。では、誰と競えばよいのか?

 

簡単だ。自分である。

 

自分がいずれ到達したいところを考えて、今の自分を冷静に見つめる。昨日の自分より今日の自分が少し成長している。

 

そんなステップを繰り返せば良いワケで。

 

ゲームのラスボスを倒したいが、今のレベルではキツい。昨日はレベル30だったが、今日はレベル32になったぞ!

 

という自分との競争に、他者の影はほとんどない。比較する相手がいないのだから、敗北も存在しない。めちゃんこスバラシイ。

 

昨日の自分より今日の自分。シンプルだが、大切な答えである。

 

②他者の成功は自分の不幸ではないと知る。

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友人の結婚などを素直に祝えない人は多い。だが、冷静に考えれば、例えば以下の命題は真だろうか。

 

周囲が幸せになれば、自分に不幸が降りかかる。

 

 

どう考えても偽である。なんの因果関係もそこにはない。

 

それこそ今この瞬間も、世界のどこかでは誰かが宝くじに当たっていたりするのだが、あなたは不幸になっただろうか?

 

誰かの幸福を祝うことは、敗北を認めることではないのだ。

 

これを知るだけで、実際僕は以前に比べるとかなり素直な人間になれたと感じている。

 

③オンリーワンを目指す。

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勉強で1位を取る!コンテストで金賞を取る!

 

こういった目標は、普通に考えれば達成できない可能性が極めて高い。競技人口があまりに多いためだ。

 

このようなゴールを設定することを別に否定はしないが、僕は自分には向いてないとしか思わない。

 

ナンバーワンは難しすぎる。リスクも高すぎる。-だが、オンリーワンならどうだろうか?

 

例えば、ゲームが得意な人、釣りが得意な人、トレーニングが趣味な人とカテゴライズすると、それぞれの集団にかんなりの人数が居ることだろう。

 

だが、ゲームも釣りも得意で、トレーニングも趣味!となると、その数は確実に激減する。

 

自分の好きなことを組み合わせていくとあら不思議、結構オンリーワンに近づくのは簡単なのだ。

 

こういった感覚をつかめると、自分にも曲りなりに『価値』があると認識できる

 

そうなれば、『自己肯定感』の向上に強く寄与してくれることだろう。

 

実際僕も、自分の要素全てをつなげれば、なかなかこんな人間はいないと自負している。

 

毎日本を30分読み、英検1級を取得していて、魚の名前を当てるのが得意な、アウトドア全般が大好きなゲーム中毒者

 

と言われれば、それはもう僕である。

 

世界に一つだけの花の歌詞ではないが、極めて健全な思考である。

 

終わりに。

 

何度も言うと、僕は『競争から降りた方がより幸せになれる』と、実際のところ確信している

 

理由は上に散々書いたのでここでは省略するが・・・わざわざ敗者になりに行くのはご免である。

 

意気地なしとか根性なしと言われるかもしれないが、正直どうとでもいえばいいと思う。

 

さて。

 

競争と無縁の思考や生活をしている自分を想像すると、とてものびのび暮らせている画が浮かぶ。

 

僕としてはこっちの方が性に合ってそうだ。

 

【競争】という世界から早々に抜け出て、理想の自分を目指して細々と前進する。これくらいの方が丁度いい。絶対に。

 

競争を強制されて汲々とされている方は、せめて内心ではこの図式から降りてみてはどうだろうか。

 

土俵から出れば奈落の底へ落ちるかもしれないと思っていたが、実際そこはとてものどかな景色が広がっていた。

 

無責任に推奨もしないが、こっちにくると楽しいよと手招きをしたくもなる。

 

あなたはどちらを選ぶだろうか。この機会に、ぜひ自問してみてほしい。

 

※今日の話は何度も何度も登場しているこの本にとても詳しい。

 

※※『幸せになれそうだ!』シリーズはコチラ↓

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com