僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

【便利屋さん】というポジションは、全力で回避するべきヤバさを秘めているぞ!という警鐘。

最近、僕の働き方に釘を刺された。『お前はちょっと自分を犠牲にしすぎている』という指摘がその内容。

 

つまりこの助言の真意は、『もっと自分を労いなさい』という優しさだ。だが、この時僕がはっきり覚えたのは、感謝でも感動でもない。

 

戸惑いだ。なぜかというと、僕は正直、自分のケアは十分だと感じていたからだ。

 

確かに最近休日出社や、早出、遅上がりをちょこちょこやっちゃっていた。ただ、別に心身の疲労といったブラックなことへの自覚は無し。

 

他にも頑張っている人は多いし、何より僕が休むとタスクが回らなくなるような気がして怖い。(自意識過剰だけど)

 

―こういうことをボソりと漏らすと、『お前、良いように使われるぞ?』ともう一発釘を刺された

 

脳天に計二発の釘を打たれたという衝撃。改めて考えさせられた。

 

僕は無意識に、無自覚のうちに―『便利屋さん的思考』になっているのでは?と。僕は他者貢献がちょっと過剰になっちゃいないか?と。

 

その思考から抜け切れたかは怪しいが、その糸口をつかんだのは確実。

 

今日は、同じような『便利屋さん的思考』の人がそれに気づけるようなことを、お節介を承知で書いていこうと思う。

 

 

  

『便利屋さん』の定義とは?

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少々口悪く言い切ってみる。僕が思う【便利屋さん】とは、『抵抗なくお願いごとを頼める人』だ。

 

別の言い方をすれば、『いつも誰かに頼まれたことを消化している人』である。

 

うーん、活字にすれば結構ブラック気味な状態だと分かるが…。この要素は、仕事を振る側も振られる側も、基本無意識だからタチが悪い

 

この辺は深層心理とかその辺を考察してみるところからはじめたい。ということでまず、『便利屋に何かを振る側の気持ち』から考えてみる。

 

依頼を出す側としては、面倒な指示ややり取りを必要としないからこそ、『便利屋さん』にあれこれお願いするのはとても楽なのだろう。

 

皆さんにも、『こいつならいきなり呼んでも遊びにきてくれるだろう』とか、『あいつなら俺の代わりに出席表書いてくれるだろう』と思える友人はいると思う。

 

勿論僕もそうだ。飲み会ならとりあえずアイツを呼ぶといった安心できる人たちは、何人か顔が浮かぶ。

 

だが、それを自覚する度、少し反省するようにしている。なぜかというと、この態度こそ、その人を『便利屋』としてみていることの表れだからだ。

 

これが問題な理由は、そこに感謝の気持ちが大体抜けているからだ。他人の好意を当たり前と考えることは、そもそもかなりの傲慢である。

 

毎日ご飯を作ってくれるお母さんに『ありがとう』とあまり言った記憶がないのに似ている。僕は感謝の気持ちを忘れる人間にはなりたくない。

 

だから自戒するようにしているというワケ。まだまだ徹底は出来ていないが、意識にはずっと置いている。

 

さて。もしかしたら皆様の中には、『たとえ便利屋扱いされても、重宝されるだけマシ』と考えている方がおられるかもしれない。

 

僕も最近までそうだった。だが、意識してそれを改めようと最近は努めている。

 

その理由を述べるため、今度は『便利屋になっちゃう側の気持ち』を考えてみよう。

 

―ただ、ここから書くことは、”僕もそうだ”というのを前提で読んでいただきたし。

 

基本、イエスマンで人のお願いを受け続ける人は、強く『人に嫌われたくない』という思いを抱えている。

 

加えて、自分に自信を持っていないことや、自分を好きになれていないことが多い。それか、とにかく優しすぎるのかもしれない。

 

だからこそ、『断ったら嫌われるよな・・』『きっと忙しいのだろう・・』みたいな恐怖や同情から、次々とタスクを引き受けてしまうのだ。

 

そして、それをこなすことで得られる感謝や成果から、満足を得る。そして、欠けている自尊心を埋めていく。そんなサイクルである。

 

―では、一体これの何が問題なのだろうか?実は、一つ大きな落とし穴がある。

 

この行動を繰り返すことで、『自分が消える』のだ。言い換えれば、便利屋とは『他者の人生を生きることに徹している状態』ともいえる。

 

“他人”に求められるから、”他人”の仕事を消化し、”他人”から存在意義を貰う。そんな風に”自分以外の他者”に依存した人生は、なかなか恐ろしい響きである。

 

自分が心身ともに元気なうちは、あまり問題とは思えないのだが、深刻なのはそういう状態で心が弱った時である。

 

他人から必要とされないことを恐れ、疲労を抱えながらも無理して頑張る。これが続くとどうなるか。

 

想像に難くない。心が壊れる。他者から評価や意義をもらっていると、誰かを頼ることはおろか、弱音を吐くのも難しいからだ。

 

この原因はとても単純。『頼ったら面倒と思われる。嫌われる。』という潜在意識だ。もっといえば、『嫌われる恐怖』である。

 

『便利屋』という”自分が無い状態”は、メンタルを病むリスクを内包している。そんな状態を放置するのは・・なかなか恐ろしいモノがある。

 

どうだろうか?少々ぞくっとされただろうか?

 

まず、そう思えただけで大丈夫だ。気付ければ、あとはそれに向けた対策を打つだけである。

 

だが、今までの話を受けても、自分が果たして『便利屋』なのかどうなのか、判別がつかない方もいると思う。

 

そこで次に、ざっくり調べる方法を軽くまとめることにする。

 

『便利屋さん度診断チェックリスト』

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まずは客観的に自分の様子を見つめるところから。ということで、取り急ぎチェックリストを作ってみた。

 

以下、いくつ自分が当てはまっちゃっているか、軽く確認してみてほしい。

 

①人に頼む前に自分で行動する。

 

②頼まれると断れない。

 

③上司や先輩からの依頼は基本イエスマン

 

④頑張らないことに抵抗がある。

 

⑤休日にぶっちゃけすることがない。

 

⑥些細なことでも、褒められると嬉しい。

 

⑦人に頼みごとをするのが苦手、或いは抵抗がある。

 

⑧誰かより先に帰るのはなんかイヤ。

 

⑨自分は『まだまだ』だと考えちゃう。

 

⑩何だかんだで心身は元気。

 

 

・・・いかがだったろうか。

 

ざっくり5個以上『当てはまる』のなら、無自覚であっても『便利屋さん状態』と言っていいと思う。

 

ちなみに、僕は『全部』である。

 

 そんな僕みたく、自分が要素的に当てはまりまくっている場合はどうすればいいのか?

 

 対応策は何なのか?

 

この記事のまとめとして、最後にそれを書いておく。

 

終わりに:じゃあそこから抜け出すのにどうすればいいの?

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気付けたら手を打てばいいと先ほど伝えたが、その『手』とは一体何か。それは、マインドセットである。

 

自分の『便利屋さん的思考』から抜け出すには、それに気づかせてくれる、或いはそれを論破してくれる意見が大切だ。

 

ということで、『主体的な人生』を取り戻すきっかけになる良書を、いくつか紹介しておく。

 

 

 

いずれも、『人の顔色を窺って自分の人生を生きないこと』に警鐘を鳴らす言葉が詰まっている。むしろこれくらい過激な方がちょうどいい。

 

まずはこうした"言葉"で心構えを作り、そのうえで行動と経験を重ねていくに尽きる。

 

えてして、僕みたいな『便利屋さん』は交渉が下手だ。依頼された時点で、本来は期限や分担など、押し引きするべき要素はたくさんある。

 

だから次に、『交渉の仕方』のストックを作っておくのが大切だ。以下、実践例が豊富な良書を並べておく。

 

 

 

 

念を押しておくが、肝心なのは実践だ。

 

頭に入れるばかりではテストの点が取れないのと同じ。必ず自分なりに実践し、方法論を自分に合わせてアレンジする必要があるのはお忘れなく。

 

ということで最後の最後に乱暴にまとめると、

 

・『便利屋さん的思考』は、主体的な人生の喪失や、精神の疲労など、トータルあまりよくない結果を引き起こす

 

・そもそも『便利屋さん』に徹しても、評価されることは稀

 

・そういった考え方は基本、振る側も振られる側も無自覚なので、まずはとにかく気付こう

 

となる。

 

人によってはオフシーズンだが、逆に繁忙期の人もいることだと思う。『便利屋さん』にはしんどい季節の到来だ。

 

名著『嫌われる勇気』に書いてあった内容だが、『自由とは人に嫌われること』である。

 

冷静に考えよう。面倒だからと依頼した仕事を拒否されたくらいで、その人を嫌いになるような器の人に・・すり寄る必要はあるだろうか?

 

その人以外、あなたの理解者や友達はいないのだろうか?本当に冷静になれば、ハッキリと『ノー』のハズである。

 

どうかあなたが『便利屋さん』のまま使いつぶされないように・・と僕は強く願うばかりである。

 

ここに書いたことをヒントに、ぜひ一考していただければと思う。それでは今日はこの辺で。