僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

【思春期編】失敗は、学びである。~これまでの人生の失敗や挫折を、学びに変えて清算したい。~

前回の記事がコチラ。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

 

このシリーズがどういったものなのか、経緯は何なのかという話は、以前書いたので割愛。

 

今回もまた、書いてて胸がつかえるような感覚を覚えたが・・。僕みたいな闇を抱えた人生を歩み人が減れば良いなと思い、性懲りもなく続きを書いてみる。

 

では、以下続きからドウゾ。

 

 

 

中学生時代:次々とやってきた『挫折』。

 

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中学生になってすぐ思ったのは、『勉強のつまらなさ』である。

 

小学校はまだ、一方的に話を聞いて、ノートにまとめて・・なんてことは無く、比較的に自由に学べる環境だったと思う。

 

だが、当時の中学校は逆。先生の発言の一字一句を覚えて、書き込み、それを綺麗に配置しなおしたものが評価される。

 

僕みたく、雑多な計算をひたすら書いたノートを提出する奴は、評価で軒並み『C』を喰らったものだ。

 

面白くない。意味が無いことはしたくない性分なので、提出物という『作業』に時間をかける意義は、全く見いだせなかった

 

教科書に書いてあることも無味乾燥でつまらなく、やる意義も面白さも見いだせない。授業は早々に睡眠時間へと変わった。

 

後から自学で挽回しようにも、『授業で言ったことから出す』という問題には太刀打ちできず、点数も伸びない。僕は勉強を早々に諦めた。

 

今でも覚えているが、中1の1学期に2を3つ付けた。2学期にはそれが5に増え、3学期は2に減った。当然5などないし、学年成績で4をもらったのも一度だけだ。

 

学年の成績では、平均評定が3に届いていなかったっけ。両親は心配していたが、僕自身はどうでもよかった。

 

だって、まだ野球という支えがあったから。何かに打ち込んでいる限り、それは支えになるし、口悪く言えば言い訳にだって、なる。

 

だが実際は、僕はその野球にさえ、当時どこかウンザリしたものを覚えていたのだ。

 

入部してすぐは、基礎練習ばかり。グローブもバットも、使うことは無い。練習ではなく、それに意味を感じられなかったのが辛かった

 

6月くらいから3週間、僕は部活をサボるようになった。だって、面白くないから。面白くないことに時間は使いたくないもんな。

 

勉強もダメで、部活もツマらなくなり、少し不良になっていた友達と話が合うようになった。ヘタレなので、そちら側に行くことはなかったけど。

 

何にも意味を見出せない日々。当時は実感していなかったが、僕は結構辛く苦しい毎日を送っていたのではと、今なら同情の目線で見れる。

 

―その日々を抜け出す契機は、またもや偶然の出会いにあった。それは、高校野球の地方大会を、部員全員で見に行ったことである。

 

実のところ、同期やコーチに説得され、僕は渋々それに同行したに過ぎないのだが。若干ふてくされていた僕だが、試合が始まると衝撃を受けた。

 

本気で野球に打ち込む球児たちがそこにいたからだ。声を張り上げ、白球を追いかけるその姿に、僕は強く感動した。

 

誰もが全力で、誰もががむしゃら。気付けば観戦に没頭する僕。『どっちも頑張れ!』固く手を握り、そんなことを考えていた気がする。

 

―熱中していたのもあってか、ゲームはあっという間に終わっていた。周りの観客は、もう帰り支度を始めている。僕もそれに乗っかる。

 

ふとグラウンドに目をやると、負けたチームの選手が号泣しているのが見えた。それに強く心を揺さぶられたあの瞬間を、未だに覚えている。

 

『何をやってるんだ俺は!何事にも立ち向かわず、逃げてばかり!そんなんで良いワケあるか!』

 

その勢いのまま、僕は自分で自分を説教した。ある出来事を受けた結果、『人が変わったように』行動を変える人がいるが・・当時の僕もそんな感じ。

 

その夏、僕は再び練習に混ざるようになる。サボってしまった前科があるため、しばらく部員から冷遇されたが、それは仕方ない。

 

ただ、野球に打ち込む一方、勉強は相変わらずサボり倒したので、そちらは相変わらずだ。でも大丈夫。僕には打ち込んでいるものがある。

 

その事実だけが心の支えだった。次第に僕は色々な人から勉強を諦められていったが、それさえもどうでも良かったものだ。

 

―だが、やはり現実は、想像以上に残酷なものであるらしい。

 

僕が中2の夏、1つ上の先輩たちが引退し、最高学年になった。新人戦に向けて、新しいスタートを切るタイミング。

 

その頃、僕は左の背筋に痛みを覚えていた。身体をねじるたびに、鋭い痛みが走る。そしてそれは、日増しに強くなる。

 

そしてついに、僕はボールを投げられなくなった。接骨院で検査した結果、『背筋全体が捻挫状態』にあるとのこと。

 

一体どうしてそんなことに?原因は、日頃の自主トレで取り組んでいた、ウェイトトレーニングだという。

 

とはいっても、例えば百科事典を持って腹筋をしたり、水を入れたペットボトルを持ってスクワットをしたり、そんな程度なのだが。

 

僕は、自分のために行っていた努力で、自分を壊してしまった。そのケガはかなり長く続き、春先まで激しい運動を制限されたっけ。

 

辛いことはまだ終わらない。冬の大事な体力養成の時期に、それができなかったため、僕は同期や後輩に大きな差をつけられてしまうのだ。

 

自分が足踏みしている間に、どんどん次のステージに行く皆がうらやましく、同時に疎ましかった。野球がまたツマらなくなっていく。

 

そして中3の夏、僕は部活を引退した。涙を流した気もするが、実のところ―ほとんど記憶にない。熱はもう、冷めていたから。

 

―最後の試合が終わるということは、打ち込むものを失うことに同じ。夏休み後半から、僕は毎日家でゴロゴロするのみであった。

 

だが同時に、しないといけないことがあるのもわかっていた。『高校受験』。人生最初の大勝負である。

 

僕の成績は相変わらずで、良くて中の下というラインをさ迷っていた。内申点がひどすぎて、もちろん推薦なんてありえない。

 

勉強はハッキリとしたくなかった。だって、つまらないから。コツコツと頑張ってきたヤツには勝てないから。

 

だから、僕は適当な私立高校に行こうと思っていた。両親からは『公立に・・』と言われていたが、そんな実力はないし、努力も嫌だった。

 

僕は完全に腐っていた。この頃の記憶が何故かすっぽりと抜け落ちている。多分、何もしていなかったからだろうな。

 

そんな僕に、すごく嫌な報せが飛び込んでくる。自分が行きたいと思ってた私立高校。そこに、僕が同級生で一番嫌いだった奴が推薦を取るのだという。

 

あのクソとまた3年一緒とかマジご免だ。僕の心は揺らいだ。私立高校はもう1つあったが、そちらは男子校。なんか嫌だ。

 

そこから答えを出すのは本当に一瞬だった。『よし、公立高校に何が何でも行ってやる!』僕は逃げていた勉強に、再び取り組むことにした。

 

志望校は、公立で、かつ多くの友達が志願していたところ。深く考えずに、模試の判定を出すために名前を書いた。

 

最初は確か『D』だったが、内申点がカス過ぎたので、実際は『E』に近い。そこからは本当に必死だった。

 

『絶対にあの高校に行くんだ!』という純粋な思いとは真逆。『絶対にアイツがいるところには行かない!』というどす黒い動機。

 

何はともあれ、僕は何とか成績を上げ続けることに成功した。判定は最終的に『A』まで行けたが、内申点のせいで不安は消えない。

 

そして―。僕は何とかその高校に滑り込めた。暗黒の3年間を回避したのだ。

 

これもあり、野球という拠り所を失った僕は、『勉強なら案外いけるかもなぁ』というおめでたい勘違いに辿り着く。

 

この頃から僕は、『自分の好きなこと』ではなく、『自分の得意なこと』の方が、僕自身にとって武器になるのでは?と薄々感じ始めていた。

 

それは今でも変わっていない。『好き』よりも、『得意』をベースに物事を選んだ方が、上手くいくことが多いのだ。

 

これは僕自身のアイデンティティと言っても良いくらいの、判断基準となっていく。

 

だがそんなこと、当時の自分が知る由もない。とりあえず、僕は高校生になれたんだ。3年間、楽しまないとな。

 

期待と不安と、そして安堵。その全てを抱えて、僕の新生活はスタートするのだった。

 

高校生時代:ネガティブな自分を自覚する青春。

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その新生活は、思わぬつまずきからスタートとなった。同じ中学校からの友達と、誰一人として同じクラスにならなかったのだ。

 

知らない誰かと話すことができない。こんなにコミュニケーションが難しいなんて・・。僕は早々に絶望しかけていた。

 

幸い、入学から数日で転機が訪れる。醸し出す空気が同じ仲間を見つけることができ、そこから少しずつ繋がりを得られたのだ。

 

出だしからの孤独という恐ろしい事態は回避したが、結果、同類とばかり集まる毎日となる。僕の生活圏から、『リア充』が消えていく。

 

だが、当時はとても楽しかった。同じ幼少期を過ごしたというつながりではなく、同じ思考回路を持つ者同士のつながり。

 

新しい出会いは、どちらにせよ新鮮なものだ。

 

しかしながら、僕にとっての問題は『孤独』だけではなかった。自分が寄って立つモノを、見つける必要があったのだ。

 

中学の時は『野球』という没頭の対象があり、それに『頑張る』自分に対して、ある種の安心を覚えていた。

 

頑張っているのだから、集団に属してもいいだろうという、ひねくれた考え。今は、それがまだないままだ。

 

しかし、僕の高校は野球部が無く、そして、かつてのそれみたいに打ち込めそうな部活も無かった。

 

中途半端なことに時間を使うなんてまっぴらごめんだ。僕は、3年間を帰宅部として過ごすことに決めた。

 

空いた時間は色んなことに使っただろうか。帰りにゲーセンに入り浸ったり、意味もなく勉強をしてみたり。

 

なんでもできる!という高揚感ではなく、なにをしたらいいか分からないという焦燥感から、僕は色んなことに手を出した。

 

だが決定打は得られないまま、高校1年が終わった。その頃にはうっすら、別に自信の根拠なんて無くてもいいかと思い始めていたっけか。

 

2年生になった僕は、文系クラスに進学した。理由は簡単。数学が死ぬほど嫌いだったから。今後のことなど微塵も考えていない、浅はかな選択。

 

尚、このクラス、公立高校であるまじき状況であった。その辺の中学校よろしく、学級崩壊が起こっていたのだ。

 

四六時中狂ったような笑い声や歌声が止まず、壁を叩いたり教室で何かを投げて遊んだりと大暴れ。さながら幼稚園だ。

 

その主犯格は、ギャル系の女子たち。まともに授業は進まず、クラスの苛立ちは日増しに強まっていく。先生が一人、適応障害になった覚えがある。

 

僕もどちらかといえば苛立ちを覚える側であったが、何故か日に日に心が疲れていったのを記憶している。

 

人は、強いストレスを抱えた人の中に居るだけで、自身にもストレスを吸収してしまうものらしい。

 

一番しんどかったときは、家を出るときに雨が降っているだけで、『今日は必ず悪いことが起こる』と考えていたくらいだ。もはや病気である。

 

そんな心が激しく疲れている最中、突然のチャンスが降ってきた。

 

いきなり、英語の成績が跳ね上がったのだ。その伸びしろは、偏差値で言えば10以上。これはおそらく、たまたま手に取った参考書の『音読学習』が理由。

 

成績が上がれば楽しいし、楽しければやる。そしてまた、伸びる。好循環だ。ずいぶんと懐かしい興奮を、僕は強く感じていた。

 

そしてこのとき、その勢いのまま誓った。『よし、俺は高校生活、勉強を強みにして過ごしていこう!』と。

 

高3に上がるタイミングで、別の高校に進学した友達から、大手の衛星予備校に誘われた。

 

そこの授業のすごさ、何より通う生徒の本気すぎる雰囲気に魅了され、僕は両親に頼み込んで入学を決める。

 

同時に、志望校も決めた。両親が求めた条件は、『実家から通える』こと。

 

だが、実家から通えるエリアにあるのは私立大学ばかりで、ちょっと嫌な言い方だが全てA判定が出ており、目指すには少し歯ごたえが無かった。

 

色々と交渉し、落としどころを探っていくと、祖父母の家から通える範囲に1つ、地方国公立大学があると分かった。

 

となれば、目指すところはハッキリと定まる。僕はそこを絶対的な目標に据えて、高校3年目の全てを勉強に捧げると決めた。

 

この目標を達成すれば、俺は己のネガティブに勝てるかも。自分に自信をつける、絶対的な根拠ができる!そういう思いもあったはずだ。

 

志望校は、夏にA判定が出た。だが、僕は勉強の手を緩めなかった。受けもしない更に上のレベルの大学を書き、そこの数値を目指しながら。

 

乗り越えた先に、必ず自信を得た自分がいる。それを信じて、頑張っていた。

 

―実際は正直なところ、やればやるほど伸びることに、ゲーム的な面白さを感じていたからというだけなのだが。

 

さて。そんな勉強漬けの1年間は、あっという間に過ぎ去った。

 

センター試験の2日目、数学が撃沈し、帰ってから熱を出したこと。二次試験、全く手ごたえがなく、帰りの新幹線で少し泣いたこと。

 

全てがもはや、懐かしくて愛おしい。

 

そして結果は―『合格』であった。

 

発表は家のPCで見たのだが、柄にもなくモニターを指さしながら、『あった!あった!』と叫んだっけ。

 

嬉しさのあまり泣いたのはいつ以来だろう。父も母も、泣いていた。

 

ここまでやれば、僕は自分に誇りを持っていいだろう。胸をそびやかし、僕はそう息巻いていた。当時は、だけど。

 

さて。

 

実は、僕には1つ、つけねばならない決着が残っていた。当時、片思いの相手が居たのだ。

 

といっても、学校で少し会話を交わしたり、メールでやり取りしたり、そんな間柄。向こうが僕を男として見ていないのは、完全に承知だった。

 

だが、自分の中の変な男気が、きちんとケリをつけろと僕を蹴り上げる。自信がある今なら、ちゃんと言えるハズだろう?

 

そして―。

 

祖父母の家に引っ越す前々日、僕は見事に『ごめんなさい』をもらった。分かっていた結果だが、そのダメージは下っ腹に刺さる。

 

『ま、大学合格という目標はクリアしたけど、彼女なんて尊いものは、人間的に未熟な俺にはまだ早いってことよ』

 

『キャンパスライフはこれからだろう?今はダメでも、もっと成長してから、もう一度頑張ればいいじゃないか』

 

僕のメタが僕を励ます。そうだな、そうだよな。終わったんじゃない、始まるんだ。立ち直りは案外あっさりしたものだった。

 

もうケリはついた。色々と清算した状態で、俺は次のスタートが切れる。県を変えての再スタートなんて、高校の時の比じゃない話だ。

 

興奮と、それと同じくらいの不安と、そして少しの寂しさ。

 

そんな相反しまくる感情を抱いて、僕は実家を発つのであった。

 

―【20代前半編】へ続く。