僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

ネガティブが疲れ過ぎててヤバイときのパターンを5つまとめてみた。

前回、こんな記事を書いた。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

 

世間的に忙しくなる時期、この記事のアクセス数がそれに比例するように増えている。みんなしんどいのだなと、少し考えさせられた。

 

しかし、この記事を書いてから、割と時間が経っている。

 

当時は気づけなかった兆候や、上手く言葉にできなかったそれも、今なら表現できる気がするわけで。

 

ということで今日は、自分が疲れているという兆候を、『ネガティブ』な方に対象を絞って紹介していこうと思う。

 

『ネガティブ』だと、『謙虚』や『真面目』という言葉に過剰な価値を置いてしまい、なかなか疲労の兆候に気づけないためだ。

 

例えば、『○○さんが頑張ってるんだから、俺も手を抜けない』とか、『疲れてるのは同じなのに、僕を気遣ってくれるなんて。もっと頑張ろう』とか。

 

自分に甘えを許さないというのは、精神的・肉体的にタフな人には美徳だが、そうじゃない人にはただの毒だ。

 

だからこそ、冷静に一度自分の行動を振り返り、もしここに該当するものがあったら、どうかご自愛なさってほしい。

 

では、以下詳細である。

 

 

 

『楽をすること』に罪悪感を覚える。

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 先日のこと。僕の会社の上司(超頑張り屋)が風邪を引いた状態で出社した。どう見ても、今にも倒れそうなくらいふらふらである。

 

だが責任感が強い方なので、薬を大量に服用し、無理やり身体を起こして仕事をこなしていた。その姿はもう、見ていて辛いものがある。

 

それを受けて、周りの人たちも、しきりに早退や、休憩を入れることを薦めていた。これについては僕も同じ想いである。

 

しかし、先輩の返答は決まって同じだった。

 

『いや、大丈夫ですから。かんばります。』

 

―まるで休んでしまうことが悪であることのように、繰り返しそうやって提案を流し、結局終業まで働いていた。

 

冷静に考えれば、人に風邪をうつすリスクや、進まない仕事などを踏まえると、人が足りている以上早退するのが一番合理的な選択ではなかろうか。

 

だが、持ち前の責任感が強すぎたり、早く帰ると陰口を叩かれるかも・・とネガティブに考えたりすることで、その選択が取れなくなる

 

『体調不良は甘えである!』なんて、二日酔いとかでない限り暴論が過ぎる。善意には素直に甘えるべきだ。

 

こんな風に、自分の体調より仕事なり他者の負担なりが気になってしまうときは、疲労が溜まりまくっていると疑った方が良い。

 

『まだ起きてもいない悲劇』をグルグルと考える。

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 実家で犬を飼っているのだが、今年13歳になった。餌もちゃんと食べて元気なのだが、目に見えて衰えてきている。

 

また、祖母が80代後半になった。これまた元気だと聞いているが、仕事が忙しいのもあり、ここ最近会えていない。

 

―なぜ、こんな身の上話を書いたのか?

 

僕自身、疲労が半端じゃないときは、得てしてまだ起きてない最悪の事態を想像し、よりネガティブが深まる傾向があるからだ。

 

例えば、明日、飼っている犬が死んだらどうしようとか。悲しみの底に沈むだろうな、生きていて辛いだろうな、とか。

 

また、祖母に会えてないまま倒れられたらどうしようとか。不孝者の不義理を働いたまま、残りの人生を歩むのかな・・とか。

 

基本身体の疲労が溜まっているときは、考え事がネガティブな方へばかり膨らむものだ。

 

逆に言えば、考え事がネガティブ一辺倒ならば、まず間違いなく疲労困憊の状態に陥っていると捉えられるということ。

 

自分の思考が、起きてもいないネガティブに囚われていないだろうか?或いはそういう人が周りにいないだろうか?

 

ほぼ無意識化に繰り広げられる思考であるがこそ、しっかりと意識を向けて考えてみてほしい。

 

想像上の他者が異常に厳しくなる。

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悩み事や仕事が大量に積み重なり、いよいよキツくなってくると起こる現象だ。

 

基本渋滞したタスクは人に頼み、また悩み事や考え事は、積極的にアウトプットする方が良い。

 

しかし、本気で疲労が溜まってくると、そう簡単にはいかない

 

例えば、仕事を頼みたいけど、きっと忙しいだろうから、そんなことしたら説教されるよな・・とか。

 

悩みを吐いても、『そんなん誰でも経験すること。甘えるな!』と突っぱねられるよな・・とか。

 

自分が困っていることを人に解決してもらおうと行動した結果、上記のように厳しく当たられてしまう。

 

そういう状況しかイメージできなくなると・・そろそろ危ないステップだ。

 

誰も頼れない。自分でやるしかない。怒られるのは嫌だ。迷惑はかけたくない。

 

誰にもどこにも救いを求められない状況を自分で創り出す。もうこうなると・・本気で危ないと思わねばならない。

 

この自覚はないだろうか?想像上の他者が、アナタに異常に厳しいというイメージ。

 

もしそうなら、自分の疲労を取る術を、本気で調べるようにしよう。
  

やや末期:ベッドに横になると起き上がれない。

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肉体的疲労が精神を超えたパターン。ちなみにこれは、まさに昨日の僕。

 

連勤が続いて、その日も朝から晩までキリキリ舞いで仕事をし、やっと家に帰ったあとにそれは起きた。

 

一瞬だけとベッドに転がったが最後、全くもって起き上がる気力が湧かなかったのだ。

 

30分くらいまどろみと覚醒を繰り返し、つけっぱなしの電気や着替えていない状況を必死で自分に唱え、何とか起き上がれたものの・・。

 

自分、もう滅茶苦茶疲れているんだなぁと、嫌と言うほど実感させられた。

 

この時点で肉体が限界なので軽く末期だが、次のステップになっていると、もう言葉では間に合わないかもしれない段階となる。

 

末期:積極的に体を壊すような行動を取ってしまう。

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 増える酒量、喫煙量。深夜まで考え事から逃げるかの如く何かに没頭。考え事は自責に終始。自分のケアなどないがしろ。

 

まるで自分の身体を壊すかのような行動を繰り返すなら、末期のレベルでマズい状態だ。

 

壊れれば休める。壊れれば解放される。その意識だけで自我を保つというか・・。

 

この段階だと、自分を顧みることで気づけるとか修正できるというステージをとうに超している

 

こんな人がいれば、積極的に休養を促したり、状況によっては専門医にかかることを薦めてほしい。

 

終わりに。

 

自愛なされと言いながら、僕はどうなんだという話だが・・。

 

正直、この月はほぼ休みはない。だが、気づけているし、疲れていることも自覚しているので、まだ手を打ててどうにかなっている状態だ。

 

知っているか知らないか、自覚しているかいないか、その差は言葉にするよりもはるかにデカいと思っている。

 

かつての僕みたく、自分を壊す前に、一人でも多くの人に自分を顧みるきっかけになってくれれば嬉しい。

 

それでは今日はこの辺で。