長年僕を悩ませ続けていたことに、『自分の強み』というテーマがある。それについて昔、思っていることをぶちまけた記事を書いた程だ。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
実際、僕は物心ついたころには劣等感と謙虚を拗らせていたので、割と最近まで『俺はこれが強み!』という言葉に無茶苦茶な抵抗があった。
以下、闇たっぷりの理由。
まず、誰かより何かが好きとか得意なんて、身近にいなかろうが、地球上に目を向ければ100%自分より上がいる。
また、今この世に居なくても、かつて、或いは未来に、絶対自分より上のヤツが存在する。
つまりどう考えても自分は『敗者』となるので、そいつらから見れば、『得意!』『好き!』というだけお笑いである。
―まだ少し引きずるところがあるが、とりあえず今はこの思考にドン引きすることはできる。理由は、意識してコレを脱する訓練をしたからだ。
そこで今日は、『誰かと自分を比べるクセ』があり、『かつそれに苦しんでいる』同志に向けて、僕が重ねた訓練を紹介する。
名付けて【脱・他者比較】である。一応科学的な裏付けが今のところあるものをベースに作ったプログラムなので、参考にされたし。
では行こう。
- STEP1:『他者の幸福』は『自分の敗北』ではないと理解する。
- STEP2:『才能を持つ方々』は『悪者じゃない』と知る。
- STEP3:自分を蔑む小物の心理を勉強する。
- STEP4:No.1よりオンリーワンはガチ。それを見つけよう。
- 終わりに。:そんな僕もまだ、自由への途上です。
STEP1:『他者の幸福』は『自分の敗北』ではないと理解する。
もっとも拗らせていた頃の自分を思い起こすと、『人の幸せを純粋には祝えていなかった』という気づきがある。
何というか、『成果を挙げたり、才能をチヤホヤされるやつらを祝うことは、負けを認めることと同義』と感じていたからだろう。
まずはこの認知の歪みを直すことから、全ては始まる。つまり、
他者の幸福 ≠ 自分の敗北
という公式を徹底的に己に刷り込むのだ。そのために取り組んだことは、極めてシンプル。
① 毎日身近な人を3人以上褒めた!
② その時自分が感じたことを記録した!(Excelか何かに)
以上だ。
ある程度それがストックされてくると、不思議なもので、『他者の幸福』を祝っても、自分の幸福度に悪い影響がないことが理解できるようになる。
個人的には1週間くらい続けたくらいで、じわじわと無意識に他者の幸せを喜べるようになっていった。
まずはいの一番にコレを推す。
STEP2:『才能を持つ方々』は『悪者じゃない』と知る。
当たり前なのだが、才能を持つことは悪ではない。嫉妬を集めてしまうのは事実であるが、漫画のキャラほどネジくれた性格の人は超少数派だ。
不思議なもので、そういった才能を持った人ほど、『自分より上』を見つめて努力に打ち込んでいるものだ。
つまり、嫉妬の対象で終わらせるのは極めて勿体ないのだ。むしろ、高尚な精神の持ち主として、自分に活かせるところを取り入れるのがベター。
天才を人が褒める時、『やっぱすげーな』みたいなことを言う。
それは別に、『一方お前はだらしねーな』というメッセージを、あなたに込めているのではないのである。
まずはそこを自覚するべきである。(過去の僕はもっと早く自覚するべきだった)
・・・だがもしかしたら、才能あるウザイヤツや、それの取り巻きみたいな連中が、あなたの周りに居るのかもしれない。
なまじ才能があると自覚するばかり、自分の能力を喧伝したり、弱者を叩きのめして快楽を得たり、そういうヤツ。
或いは、才能ある人間を引用し、あなたの価値を落とすような発言を繰り返すヤツ。
正直こういう人間に構っても、あなたに良いことは何一つないのだが、かといってスルーするのもまた技術なので、無学だと無視さえ難しい。
そこで次に、こういった『(能力云々じゃなく人間として)小物』はどういう心理でそういう言動を繰り返すのか、それを参考がてらご紹介する。
STEP3:自分を蔑む小物の心理を勉強する。
結構色んなところで指摘されているのだが、この言動の根本にあるのは、すごく乱暴にまとめると以下のどっちかだ。
① 自分に自信が無い
② 心に不安を抱えている
要するに、『自分に自信が無い』からこそ、確実に勝てる相手にしか挑まないのだ。あまりにも脆い自尊心である。
また、『心に不安を抱えている』からこそ、他者を引用してでも自分が上だと錯覚させ、自己重要感を守っているのだ。
―こういう心理を知ってしまうと、今まではただムカついていたヤツの捉え方が、むしろ同情や哀れみに変わってしまう。
『こいつもまた、表現が下手くそなだけで、心に闇を抱えてるってことか・・』
最近は、ちょいムカつくことを言われても、すぐにこういう感想が浮かび、綺麗にスルーできるようになってきている。
そしてスルーが出来るようになるにつれ、不思議なもので、僕の周りからこういう人間が減ってきているのだ。
相手をしてあげない僕は、きっとヤツらから見ればウザい存在なのだろう。だが、関わりたくない相手なのですごくどうでもいい。
嫌われることには勇気が要ると思っていたが、案外そうでもなかった。自分が好きじゃない相手に嫌われるのは、ある種自由に振る舞うための良い練習だ。
それくらいに考えて、活かせそうなところだけ利用させていただくのが丁度いい気がする。
STEP4:No.1よりオンリーワンはガチ。それを見つけよう。
この世で価値を持つ者は、何もメジャーなジャンルで抜きんでた才能を持つ者だけではない。
オリンピックに出るヤツや、東大京大に受かるヤツはもちろんすごいのだが、そうでなければ無価値なんて、思考停止レベルの暴論だ。
本当に価値を持つのは、能力があるというより、希少な存在である。SNSの台頭に伴い、『オリジナルな強み』の価値は高騰中だ。
僕自身も人のことは言えないのだが、自分に価値を付けるためには、『掛け算』という考え方が大事だと思う。
昔も言ったのだが、例えばカテゴリとしての『塾講師』『魚好き』『英検一級保持者』『人見知り』では、それぞれの母数は無茶苦茶多い。
しかし、それら全部を『かつ』で繋げたら話は別だ。
『塾講師かつ魚好きかつ英検一級保持者かつ人見知り』となれば、多分それは僕である。
こんな風に、自分が『好き』や『得意』とするものをどんどんandでつなげると、あっという間にオンリーワンな自分が出てくるので面白い。
何がウケるか、価値を持つかなんて全く分からないので、とりあえずつなげた結果出てきたモノはさっさとアウトプットして反応を得よう。
極端な何かに人は集まり、注目する。
どの本を読んでも、そう書いてある。
終わりに。:そんな僕もまだ、自由への途上です。
勿論な話なのだが、僕自身もまだまだ人の目は気になるし、自分に自信はないし、そしてそれを心の底から肯定できてもいない。
『まだ誰かと競って頑張りたい』という想いもあれば、『もう諦めてあらゆる競争から脱出したい』という想いもある。
このジレンマは生涯続くのだろう。これが終わるときがくるなら、それは多分死ぬ間際だ。
―『他者との比較』にもし心底疲れているのなら、ぜひここに挙げた考え方や方法をベースに、そこから脱してほしい。
何度も言ってる話ではあるが、競争という土俵の外は、案外楽園が広がっているものだから。
それでは今日はこの辺で。