あなたの周りに、度を越したネガティ気質の友人、上司、先輩、後輩、部下はいないだろうか。
もしいるとしたら、きっとその扱いに難儀しているだろう。理由は簡単で、こちらも難儀されているという自覚があるからだ。
そこで今日は、そんな方々への対応に困っている方に向けて、ネガティブから足が生えているような生きものの僕が、その思考と本音について書いてみる。
では、以下続き。
つまらないんじゃなくて、どうしていいかわからないんです。
集まりの席などで、僕らはよく気を使われる。『楽しんでるか?』『もっと笑えよ!飲めよ!』みたいな感じ。
ハッキリ言うとそれ、結構辛いです。申し訳ないですが、『体にいいから!』と言われながら大嫌いな食べ物をすすめられるくらい、ありがた迷惑なんです。
さて。まず、僕らが会話に混ざらない理由は、大体以下のどれかだ。
① 自分のツマラナイ話で、場が白けるのを恐れている
② 目上の人だらけで委縮している
③ そもそも輪になるのがイヤ
ちなみに僕は、①と②の傾向が強い。他者と交わると、誰かに損させる自信しかない。集まりたいけど、集まれない。どうしていいかわからない。
だからこそ、ネガティブは大抵、『オリジナルな楽しみ方』を採っているというだけなのだ。
料理を楽しんでいるかもしれない。一人でちびちび何かを飲んだり食ったりしていても、面白い会話に耳を傾けているかもしれない。
会話に加わりきっていないことが、楽しめていない・楽しくないのと同義なんて、そっちの方がなんか違うと思う。
なので折衷案としては、『それもまた個性ですよね』と、特にポジティブのテンションに引き込まず、静かに認めてあげるのがベターだろう。
或いは、無理に集まりへ誘わないのもまた優しさである。結構辛すぎる胸の内ではあるが、どうか慮ってあげてほしい。
何か行動を起こすたびに、僕らは【アレ】が欲しいんです。
人見知りだろうがネガティブだろうが、何かしらの勝負所はちょこちょこ訪れる。
ついこないだ僕も、なぜか100人規模の聴衆の前で、ある事柄を15分程度説明する場面があった。
実はこっそり毎日何度も練習を繰り返したものだったので、発表そのものはつつがなく終わった。心地よい充足感を少しだけ味わう。
だが、僕は不安・・というか、なんかそれでは物足りなかった。
理由は、誰も感想を言ってくれなかったからだ。
今のは良かったのか?悪かったのか?心を砕いて練習した成果は出ていたのか?もっと足せばよかった情報は?要らなかった話は?
基本、自分のメタは自分に厳しい。定まらない評価は、まず間違いなく悪い方へ着地する。
―だからこそ、発表を終えたネガティブには、何でもいいから感想を伝えてあげてほしい。
仮に批評であっても、誰から何も感想を言われないのに比べたら遥かにマシだからだ。
何かしらの大仕事を終えたネガティブは、きっと皆さんからの感想を求めている。それにより、彼ら彼女らを、是非とも不安感から救ってあげてほしい。
『当たって砕けろ!』は最悪のアドバイスです。
僕らは『いいから動け』という指示が苦手だ。あれはいわば死刑宣告。
準備もせず突っ込んで失敗して恥かいてこい!
という意味にしか聞こえない。そもそも僕らは、失敗と恥を何よりも恐れる人種なのだ。だからこそ、この価値観の押し付けは本当にキツい。
行動が遅いネガティブにも、『準備をしっかり積む』という長所がある。無責任に数打てば当たるからと、適当でおざなりなヤツよりはるかにマシだ。
折衷案としては、恐れや恥を知らない人こそ、ガンガン行動し、ドンドンアイデアを出してほしい。
僕らは持ち前のネガティブで、その絵空事を現実のラインにまで持ってくる手助けを致しますから。つまり、役割分担、住み分けだ。
例えばRPGのパーティーを全員武道家にするアホは、ちょいと知恵の働くボスにあっさり殺されるだけ。
補いあって最終的に100点になれば、それでいいじゃないですか。
―とかこんなことを言うと、
『ネガティブとかダメ!行動するうちにバカになって、失敗を恐れなくなるから!』
という檄が飛ぶことがある。ちょっと言わせてもらうと、
『僕らはそうなる前に鬱病になります。』
僕らのわずかながらの自尊心や自己重要感は、僅かなヘマで簡単に消え失せるのだ。箱入り娘より大事な存在である。
―繰り返すが、みんな違って、みんな良いのだ。
自分の価値観に合わないからと自分色に無理して染めようとすると、多分あなたの周りから人が消えるのでご注意を。
終わりに。
書いていて思う。ああ、めんどくさい生き様だなぁ。
でも、この辺は生まれ持った気質によるところが大きいので、諦めて、受け止めて、先のことを考えるべきなのは間違いない。
―だがこれは、こちら側の気の持ちようの話だ。他者が無茶苦茶に無知だと、僕らは基本落伍者で、無下に扱われ潰れていく。
日本男児が腑抜けたとか、そういうコメントも目立つ。だがそれでも僕らは、勇ましい死にざまより、みみっちい生を選ぶ。
たまには非難ばかりするのではなく、ネガティブや人見知りの内面を少しだけ慮ってほしい。
そして強みや特徴を活かし、あなたのパーティーのスパイスにしてあげてほしい。
僕はもうその辺の落としどころは自分で付けられるが、そうでない人はまだまだ多いのだ。
ここに書いたことが、ネガティブや人見知りの理解に繋がれば、大変嬉しい話である。
―それでは今日はこの辺で。