僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

『なんでもできる人』を目指すのは、絶対メンタルを病むから今すぐ止めろ!

時たま、『完璧超人』を地で行くような秀才を見かける。そして、その才能や人格の高すぎるレベルに、羨望と同時に敗北感を覚える。

 

―そんな経験、皆様はないだろうか?僕は割とある。なんでもできるソイツと、パッとしない自分を比べて、勝手に負けたことは数知れない。

 

さて。ここからが少し不思議な話なのだが、皆様はそんな『超すげー人』に出会ったとき、どうすれば良いと学校で習っただろうか。

 

僕は、『それを原動力に努力しなさい』と習った。高い能力を持つ人の所を目指せば、結果自分の成長になるのだから、というのがその理由。

 

当時色々と未熟だった僕はそのロジックに納得し、それからは自分に足りないところを見つめ、そこを補うような努力をひたすらに繰り返した。

 

・・・きっと、僕は『なんでもできる人』になりたかったのだろう。ただ、今なら愛しいが鼻で笑ってしまう思い出だ。

  

ここまで書いたうえで改めて聞くが、皆様は『なんでもできる自分』を夢に見ることはあるだろうか。そして、そうでない自分に嫌気がさしはしないだろうか。

 

―もしあるなら、先に落とし穴に落ちた身だから言う。

 

そんな理想像はとっととかなぐり捨てろ。鬱になるぞ?

 

―今日はこの理由を、なるべく論理的に説明できるよう頑張ってみる。

 

 

『理想』という猛毒。

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『理想像』というのは、妄信するには実はあまりにも危険らしい。実際、巷にあふれる自己啓発書の多くに、冷や水をぶっかける話がある。

daigoblog.jp

 

曰く、『普通にしてれば年齢を重ねるたびに幸福度は増すのに、変に大層な理想を掲げることで、それと現実の比較で不幸を感じる』のだという。

 

あー、これ、すごくわかる。わかり過ぎる。皆さんは腑に落ちただろうか。

 

例えば、僕は今18歳の頃より、今の方が暮らしてて楽しい。

 

だがもし、当時の僕が理想として『30歳の時点で結婚しており子どもがいる』なんてのを掲げていたら、話は別だろう。

 

恐らくネガティブである僕は、遥か彼方にある理想に愕然とし、全然足りていない自分の能力を悩むだろう。もちろん、自信は粉砕される。

 

―やはり、ギラギラの野心をたぎらせる情熱的な人でない限り、無計画で壮大な理想は、身と心を滅ぼす猛毒になるという話なのだろう。

 

だからこそ、よく考えずに『なんでもできる超人』を目指すのは、言っちゃ悪いがバカみたいな行動ということになりそうだ。

 

皆さんにそのケは無いだろうか。冷静に考えてみてほしい。

 

※理想を捨てることについては、昔こんなのも書いてます。↓ 

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

 

 『器用貧乏』は誉め言葉ではありません。

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『器用貧乏』と言われて嬉しいだろうか。僕は、嬉しかった

 

正直、『なんでもそつなくこなせる器用なヤツ』という良い評価だと思っていたためだ。

 

しかし、冷静に考えれば、これは『当たり障りないヤツ』とか『特徴が無いヤツ』という意味の、どちらかと言えば蔑称の言葉ではなかろうか。

 

今の世の中、細々したことは大体ツールとネットという集合知で何とかなる。僕も猛省しているが、極端さが無いと、需要は無くなるのだ。

 

繰り返すが、『器用貧乏』とは『なんでもできる』という意味ではなく、『突き抜けたところが無い、代わりが利く人』という残酷な意味のが強い。

 

もしそういわれるのなら、色々と身の処し方を振り返るべきであろう。

 

突き抜けよう。そして助けてもらおう。

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最近の自己啓発書や、成功者とされる人の発言や文言を読んでいると、口をそろえて以下の言葉が登場する。

極端であれ。

  

―これは僕もそう思う。なんでも80点を取る人より、他が0点でも何かが1000点の人の方が、今は生き残れる。

 

理由は、繰り返しになるものの、大抵のことは調べれば出てくるし、ツールを使えばできてしまうからだ。

 

だが、突き抜けた人が持つ極端な知識は、そうもいかない。それは希少価値であり、需要となる。

 

さて。では、極端さを手に入れるにはどうすればいいか。

 

これは僕自身も努力の真っ最中だが、まず『なんでもできること』を諦めるべきだ。それは極端さとは対極に位置する。

 

その上で、自分に足りないところを持ち、かつ自分にあるものが無い人と組もう。例えば僕の場合、ネアカだが頭を使うのが苦手な人と組むのがベストだと言える。

 

独りで抱え込むことが多いのなら、発想を変えよう。僕も偉そうなことは言えないとは重々承知だが、何かのヒントにはなるはずだ。

 

終わりに。

 

ということで念押し。

 

『標準レベルのスキル』は誰でも簡単に得られる今、全てが標準の『なんでもできる人』は輝けない!

 

だからこそ、好きなことや得意なことを組み合わせたり磨いたりして、『極端な人』を目指そう!

 

ということだ。これで苦しい思いをしている皆様の心が少しでも軽くなれば嬉しい。

 

それでは今日はこの辺で終わりとする。

 

※僕みたいに、人に笑われるのが怖い人にオススメです↓

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