僕が勝手に、【better型アドバイス】と呼んでいるものがある。
それは、
お前は〇〇した方がいいよ!
というニュアンスを含むアドバイスのことであり、例えば、
『お前はもっと明るく振る舞った方がいい』
『人前で電話が取れるようになった方がいい』
『行動を素早く取れるようになった方がいい』
『彼女を作った方がいい』
といったアドバイスが、それに該当する。ネガティブで人の目が気になるタイプの人ほど、これらを見境なく重大なことと受け取り、努力するものだ。
―先に言うと、僕はこの手のアドバイスの90%は無視して良いと考えている。本当に有益な【better型アドバイス】は、多分10%もないと思うからだ。
今日はその理由について論じてみる。
誰がために。
まずそもそも、これらのアドバイスは【ポジショントーク】に近いものがある。つまり、極めて主観的で、その人よがりなのだ。
その人の言うように行動を改めたところで、得をするのがほぼその人だけであるなら、僕はそのアドバイスは申し訳ないがスルーしている。
例えば別に人前で電話を取れないとしても、かかってきたら別室に移動するなどの本人なりの対応を採っているなら、僕は別に釘は刺さない。
こんな風に、別に直しても直さなくてもその人のブランドに大した影響を及ぼさないのなら、そこまで重いものとして受け止めなくても問題ない。
或いは、『慣例』とか、『そういうもの』とか、『社会人としてどうなの』という、説明になってない説明がその理由である場合も同様である。
―では、残りの10%、つまり有益なアドバイスはどう見分ければ良いか。次項は、その『ふるい』に当たる考え方を述べてみる。
『よりよく』が生む『無個性』。
頂いた【better型アドバイス】が有益かそうでないかは、その『質』を冷静に考えてみればわかる。
とりあえず、『弱点という穴を埋めるようなアドバイス』は、僕は話半分に受け止める。理由は、下手すればそれは強みを打ち消すことになるからだ。
例えばある組織に、考えもなくとりあえず行動というのが苦手な人がいたとする。そういう人に、『良いから動け!』はある種暴論だ。
もしその組織で行動が遅いのがその人だけなら、ある種レアな考え方を持つ人とも言える。リスクやネガティブな面を見られる人の価値をナメたらいけない。
ネガティブを無理やり行動に焚きつけても、中途半端に行動し、中途半端に計画を立てる、中途半端な人になるのが関の山だろう。
―こういう風に、長所を削り短所を埋めて、結果平坦な人にしてしまうようなアドバイスは、気づいた瞬間から忘れるようにしている。
・・・一方、『才能を邪魔する壁をぶっ壊すアドバイス』については、耳の穴をかっぽじり、多少マゾになってでも僕は聞く。
理由は、『自分の才能』は他の人から見ないとわからないからだ。人から見て強みだと思うことと、それを邪魔するものは、多分マジ。
しかも、結構密にその人を見ていないと、そんな深いアドバイスは出てこない。本当に親身な人や、ある種の達人だからこそ放てる助言だと言える。
―そしてこのタイプのアドバイスには、ハッキリとした特徴がある。それは、
①長所の指摘
②長所を邪魔する課題
③その理由や改善策
という三要素だ。これら全てを満たす助言は、例えば以下のようになる。
お前は国語が得意だな。だが、苦手な数学に時間を割き過ぎている。数学の失点をチャラにできるくらい、まずは国語を伸ばしなさい。
みたいな。このレベルで深く、その人のことを考えた助言はまず聞かない。それくらい希少であり、聞くに値するのはぶっちゃけこの段階に練り込まれたモノだけだ。
浅いアドバイスは無個性を生む。人からの言葉を、僕みたく過度に受け止めるきらいがある人は、重々注意されたし。
ここに書いたことも無視してもらって構わないです。
―まぁもとより、アドバイスなんてのは、大半『その人が言いたいだけ』である。言ったら満足するケースは多いらしく、それが浅い助言を生む原因なのかな、と。
実際、僕も満足している。だから、これを肝に銘じてとか、本気で願っていない。むしろ止めた方がいい。(←これまた【better型アドバイス】という)
あくまで、『大半のアドバイスはクソ!』というのが言いたいのではなく、『妄信的に全ての助言に従って自分を変えるのはナンセンス』というのが言いたい。
そこんとこは、ヨロシクである。
では今日はこの辺で。