―大体6年前の昼下がり、僕は真新しいスーツ姿のまま、大学構内のひと気のない場所にあるベンチに座り、終わりのない脳内問答を行っていた。
『俺の強みって、何なのだ?』
実はこの数十分前、模擬集団面接を受け、自分が強みと思っていたものについて、遥かにレベルが高い人に先を越されるという出来事があったのだ。
簡単に言えば、TOEICが700ちょいで英語が得意と言おうとしたら、留学経験ありの900超えが先にそれを言った、という感じ。
ちなみにその後もしばらく独り考えたが、答えはついぞ出なかった。
―以来僕は何年も、『強み』というテーマについて、延々と悩んできた。そしてその都度、『自分には強みが無い』という答えに帰着してきた。
だが。
ここ最近、段々と『あぁ、強みってこういうことね』という輪郭が捉えられてきており、『だったら俺にも強みがあるじゃねーか』という納得が得られつつある。
その実は、世間一般で教えられる『強み』と、似て非なる物であった。そして、これについて知っている人は、多分そこまで多くない。
―あなたの強みはなんですか?
そういわれて、条件反射的に『僕に人より秀でたところがあるとかおこがましいっすよ!』とか、『あの人のがすごいっす・・』とか思ってしまうアナタ。
今日はそんな皆様に向けて、僕が出した『強み』というものの結論についてご紹介したいと思う。
では、以下時間のある時にドウゾ。
『強み』とは『プラスの価値』である。
まず最初に、僕が辿り着いた結論から述べよう。それは、
『強み』とは『プラスの価値』である
というモノだ。当然と思うかもしれないが、実は結構複雑でトリッキーな論理が、その底に潜んでいる。
例えば、誰か適当な友人を頭に浮かべ、その人の『強み』だと思うことをいくつか考えてみてほしい。
僕の場合は、『明るい』とか、『くよくよしない』とか、『さりげなく気が利く』とか、そういう要素が頭に浮かんでくる。皆様はどうだろうか。
さて。では次に、なぜそうした点がその人の『強み』だと思えるのか、その理由を考えてみてほしい。
僕の場合は、『心が折れそうなとき、本当に頼れてありがたいため』とか、『最終的にはフォローしてくれるため、安心して自分を出せるから』というのが浮かぶ。
つまり、よくよく考えれば、何かの肩書そのものよりも、その人がいてくれてありがたい理由こそが、その『強み』をより正確に言い表していると言えそうだ。
―こういう風に、『その人がいてくれることへの感謝』というプラスの想いは、実はまさに昨今トレンドの『価値主義』『価値経済』において、マストの要素である。
他者目線で考えるとわかるが、その人の『強み』とは結局、『人々の役に立っている何か』という定義であることが圧倒的に多い。
例えば、空気を良くしたり、心の支えになったり、組織運営のくさびとなったり、色々だ。そしてその『強み』は、たくさんのポジティブな影響を生む。
そして、『金銭』で表すことのできないこれらの需要が、急激に高まっているのが今の世界を取り巻くトレンドである。(詳しくは『お金2.0』を読んでほしい)
人としての『価値』は、金銭だけでなく、物資やお手伝いと言った労力にも交換可能であり、よく考えれば今の『お金』に近い役割を、それが果たせるともわかる。
―こんな風に考えてみると、僕らがハマっていた落とし穴の矛盾がハッキリと見えてくる。ちなみに、僕らが囚われがちなそれとは、以下の命題のことである。
どんな『強み』を考えても、地球のどこかや過去・未来には絶対に自分より上が存在するので、結局『強み』にはならない!!
というものだ。正直、同じようなことを考える人は、絶対に多いと考えている。ちょっと長いプロセスを踏むので、例え話でこの筋道を説明しよう。
例えば、ある草野球チームのピッチャーが、『俺は速球が強みだ』と考えたとする。
だが、別のチームに、剛速球でならした元甲子園ピッチャーが居るとすれば、その強みの魅力は大きく揺らぐ。
仮に身の回りに自分を超える球速の選手が居なくても、プロまで目を広げれば確実に上がいる。
だが、プロをも凌ぐ能力をもし持っていたら?海外の才能あふれる選手には破れるだろう。
たらればを重ねて、才能が開花したとかなんとかで、地球最速を出せたとしよう。だが、未来には必ず自分を超える選手が出るし、究極ピッチングマシンには勝てない。
―つまり、どう考えても『上』が存在するため、自分が持つどんな能力も『強み』とは思えない!!
という感じ。実はこれ、就活時代から割と最近まで、僕自身が何度もドツボにハマっていたループである。
そしてようやく気付いたが、この論理にはこっそり、非常に大きなギャップが潜んでいる。ちなみにそれは、『前提』のレベルにあるのだが・・・おわかりだろうか。
ぜひ少し考えてみた上で、次の項に進んでみてほしい。
『強み』=『能力』という誤解。
先ほどの話を考えればわかるが、実は『強み』と『能力』はそもそも似て非なるモノだ。
『強み』とは、その人自身が持つ『プラスの価値』だと僕は述べた。そして僕は、色々と悩んだ末、『価値』とは以下の公式で表せると考えている。
『価値』≒『能力』×『人柄』
―これが何を表すか、説明してみよう。例えば、『能力』として、『年収2000万の仕事に就いている』というのがあったとする。これは文句なしのプラス要素。
だが、その『人柄』として、『性格が無茶苦茶悪い』という但し書きがあったらどうだろうか。
人を馬鹿にし、自分を認めないとすぐ不機嫌になるのに加え、仕事は丸投げ、基本は他責。そんな感じ。(そんな人に2000万は稼げないだろうが、例え話ということで)
こうなれば、『能力』はプラスだろうが、その『人柄』がマイナスなので、最終評価は『金は稼げるけど嫌なヤツ』というマイナスになることもあり得る。
これはいわば『マイナスの価値』であり、くだけて言えば『弱み』である。(もっとも、金さえ稼げれば性格はどうでもいい人もいるので、一概には言えないけど)
そしてこの公式は、『人柄さえプラス』なら、結局全て『プラスの評価』、つまり『強み』になるのだが、逆の場合も同様という不思議な性質を持っている。
勉強ができて性格も優れているのなら、それはその人の文句なしの『強み』である。
しかし、勉強が苦手でも性格が優れていれば、『できない人の気持ちに寄り添える』とかなんとかで、『優しい』という『強み』になりうる。
ただ、勉強ができても性格がクソ悪いのなら、それは『いけ好かないヤツ』みたいな『弱み』になる可能性が高い。
勉強もできなくて性格もゴミなら、もはや救いが無いとも言える。
―こんな風に、僕は今まで『強み』とは『能力』だと考えており、先の理由から『能力』で一番になることはありえないから、自分には『強み』が無いと考えていた。
だが冷静に考えることで、そもそもその前提が違うのでは?と気付き、ものすごく心が軽くなったという実感がある。
皆さんも、『強み』とは『能力』という前提のせいで、苦しんだり悩んだりされていないだろうか。ちょっと立ち止まって、冷静に振り返ってみてほしい。
『他者との比較』の功罪。
では、こういった易しいロジックがありながら、なぜかくも自分の強み探しはこんなに難しいのか?
僕はその原因について、特に教育の場で採られがちな『他者との比較』の影響が、あまりにも強いからだと感じている。
まず『他者との比較』の厄介なところは、全員に恩恵があるように見えながら、その好ましい影響は超一握りの人間に限られるという点にあると考えている。
例えば、『比較』を肯定するロジックとして、『誰かと絶えず研鑽を積むことで、お互いの能力を高めあえる』という好敵手的思考がよく持ち出される。
上には上がいることを謙虚に肯定し、まだ足りないと自分を追い込み、慢心することなく努力を続け、さらに高みを目指す。高尚さなら、非の打ちどころがまるでない。
だがこれで素直に頑張り続けられるのは、相当に自己重要感が高い人間か、天賦の才能を持って産まれた人間だけだと僕は考えている。
つまり、『まだ途上だけど、俺は今の俺で素晴らしい!』と思える強心臓か、その中で本当に成長を続けられる天才しか、『他者との比較』で幸せは得られないのだ。
そして大抵は、自分より上の能力を持った人間や、その数の多さという現実に叩きのめされ、『自信』とされるものを育めぬまま生きることになる。
これが、僕が考える『他者との比較』の功罪である。
例えば英語が飛び交う世界に暮らせば自然に英語が飛び出すように、『他者との比較』が広く浸透した世界に長年身を置けば、その価値観に染まるのも至極当然と言える。
いきなりそれに気づき、打ち捨てろと言われても、無理なのは当然だ。それができない自分を架空の誰かと比較し、卑下するのが関の山だろう。
あなたが『他者との比較』に苛まれていないか、今一度冷静に振り返ってみてほしい。
※この『競争』の話については、以前こんなのを書いています↓。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
終わりに。:あなたの『強み』はなんですか?
さて。ここまで長々と書いてきて、改めてお聞きする。
あなたの『強み』はなんだろうか?
繰り返すが、この『強み』とは『能力』ではない。あなたが持つステータスの内、『他者貢献に活かせるもの』のことである。
国語が得意?それも『強み』だ。国語に悩む人は多い。料理が好き?それももちろん『強み』だ。美味しい料理は人を笑顔にできる。
悩むことが無い?それも立派に『強み』である。ドンと構える人間を、今は誰もが欲し、そして憧れるほどである。
―今はこういうメジャーなテーマに絞ったが、確実にまだまだ探せば出てくる。全てを言語化するのも定義するのも、無理な程に隠れているモノである。
仮に、『でも、○○さんの方が英語の能力は高いよね?』みたいな茶々を入れてくる人がいたら、それは『強み』についてわかっていない証拠なので、取り合わない方が吉。
『強み』など、十人十色・千差万別、あなたのオリジナルで結構だ。人の役に立てさえすれば、それでいい。(ただし、『人柄』という根幹は絶対に向上させ続けよう)
ということで、文字数の割にどえらい時間が掛かった記事ではあったが、僕の言いたいことの1割でも伝わっていれば幸いである。
それでは今日はこの辺で。