仕事量や責任、或いは悩みが膨らみ、そしてそれらに潰されかける時、人はそれを『抱え込み』と言う。
ここまで追い込まれると、いわゆる【最悪】のケースは珍しいことじゃなくなる。
だが往々にして、このメンタルは健康な人には理解しがたいらしい。「鬱は甘え」という無理解な声はさすがに減ったが、やはり強く『疑問』は抱くようだ。
例えば、死ぬくらいならなぜ辞めない?誰にも相談しない?と、不思議に思えて仕方がないそうなのだ。(苦笑するしかないが)
そこで今日は、ぶっちゃけ結構辛かったが、僕自身が病んでた時の思い出や、病んでた友人の言動を分析し、その脳内をなるべく言語化してみようと思う。
『抱え込み』はなぜ起こるか?そのとき、当人は何を感じているのか?
もしかしたら鬱々とした気分になってしまうかもしれないが、以下続きである。
全ての始まりは『拒絶』である。
まず前提として、『抱え込み』は極めて責任感が強い人に起こりやすい。
同時に、賞罰教育や体罰闊歩の時代を通じ、『自分の力で成し遂げること』を至高と捉え、『他者の力を借りること』を悪だと考えていることが多い。
その状態で、少しずつ仕事や作業、心的ストレスが溜まってくると、じわじわと『抱え込み』が始まる。
具体的には、溜めている仕事を隠し、残業や休日出社という自己犠牲で処理しようとし始めるのだ。
―これだけでも軽く『うつ症状』が出ているのだが、そのタイミングで"あるトリガー"が引かれると、強い『抱え込み』が始まる。
それは『拒絶』だ。
あまりにも負担がデカくなると、持ち前の責任感や価値観で隠しきれず、本人なりに救いのサインを出すことがある。
ただこれは、弱音を一言吐くであったり、暇かどうかを尋ねたりと、マジで気づけないほどささやかなものだ。
これに気づかず、『なんだよ、頑張れよ!』とか、『いや、忙しいな』と言ったり、最悪怒ったりとかすると、当人にとってその心的ダメージは凄まじいものになる。
救いを求めて阿弥陀仏に手を伸ばしたら、激しくそれを振り払われたくらいの絶望に見舞われるのだ。
ステージが進めば、『誰も助けてくれない、誰も頼れない』という価値観がにじみ出てくるようになり、その言動や見た目がだんだんとおかしくなる。
ここまでくると、こちらから救いの手を差し伸べても、悪意ある解釈をしてそれを思い切り振り払うようになってしまう。つまり、手を施せなくなるのだ。
強い鬱に見舞われた際、本当に思いがけず、『死』を決意する場面がままあると聞く。『今ここでホームに落ちて死ねば、会社に行かなくて済む』みたいな。
今だから白状するが、僕も通勤中、『思い切りハンドルを切れば事故って仕事に行かなくても済むな』と思ってしまったことはある。正常では全くない。
この重篤なモードに移行するトリガーの1つは、もう一度言うが『拒絶』である。今健康な皆様も、重々承知しておくと、将来役立つのではなかろうか。
そんな悲しい出来事をどう防ぐ?
こういう話をすると、大抵お決まりのように以下の施策が声高に叫ばれる。
① 周りの人を気に掛けよう!
② 相談窓口を設けよう!
③ 休憩時間を徹底しよう!
―はっきり言うが、これらが効果を発揮することは稀である。一つずつ、ネガティブ目線で理由を述べる。
まず、気に掛けたところで、僕らは隠すのが上手である。尋ねられても、大丈夫と答えるに決まっている。
ネガティブが恐れるのは、『他者からの低評価』だ。たかが作業で苦しそうなことを言えば、裏で『使えない』と言われるに決まってる(と思い込む)。だから隠すのだ。
そして同じ理由で、『相談窓口』も機能しない。言ったらラクになるという思いより、弱音を吐いて、そこから広まるリスクへの恐怖が勝る。
休憩時間を延ばしても状況はそこまで変わらないだろう。皆が休んでいるのとは別のスペースで、こっそり抱えこんでいる仕事を処理するに決まっている。
―このめんどくさいマインドこそ、責任感が激しく強いネガティブの特徴なのだ。頑張らない自分に価値は無いと、悲しいくらいもがいていた僕のように。
だから、これをどう改善するかというと・・。ハッキリ言って、ネガティブ側のマインドを変える方が先決だろう。
ぶっちゃけこの責任感は、過度がゆえ、ネガティブに作用しているにすぎないのだ。その歪みを正せば、ある種強みに変わるはず。
僕らが頂いて嬉しいのは、例えば以下のヒントである。
①集中力を維持するコツ
②各作業の合格最低点
③どういう時に仕事をお願いして良いかという指標
④落ち込んだメンタルの正し方
つまり、ヘンに労われたりするより、どうすれば今のタスクを処理しきれるかを教えてほしいのだ。(これは僕だけかもしれないが)
そしてその中で必要なのだと心底納得すれば、少しずつ他者への依頼もできるようになる。LINE等で流れてくる依頼は、失礼ではなく、僕らなりの勇気なのだ。
そして案外、休みを頂いても嬉しくないことも多い。溜まった仕事が気掛かりで、休むに休めないからだ。(それまたある種の歪みなのだが)
ここは当人が気付かねば、実は話が始まらない。本人はなるだけ色んな視点に触れてほしいし、敢えてケアをするのなら、そういうように促すのが良いと感じる。
―もっとも、あまりに症状が重そうなら、専門家に任せるという選択を採ることも、ためらわないでほしい。
終わりに。
ということで、僕らの脳内とそれの改善?案を書き綴ってみた。
めんどくさいという感想。わかるという感想。色々あることだと思うし、それでいいと思う。
だが、メンタルの不調は全員にとって自分事なのだ。いつだれが、そっちの闇に引きずり込まれるかもわからない。
そういう意味でも、双方の視点は頭の片隅に入れておいていただきたし。
では、今日はこの辺で。