僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

陰日向からの独り言。 第2部 ―顧客に『すいません』以外言えない僕―

現在、僕はある種の管理職である。生徒から『普段の仕事なに?』と問われるたび、自嘲とあしらいを兼ねて、以下のように返している。

 

『色んな所に頭を下げること』

 

―これは、僕がどれだけ考えても拭えない、『肩書』ってやつの負の側面である。だから、実は間違ったこと言っては無いよなとも感じている。

 

今日はこれをテーマに、日々の出来事から生まれたぶつぶつをここにぐちぐち書き残し、一つの記事として成仏させようと思う。

 

 

千原せいじさんに憧れている。

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チハラトーク】にハマっている。単純に面白いことが最たる理由だが、二人の価値観・考え方・行動が僕と真逆であり、見ていて痛快というのもある。

 

特に『がさつ力』とも形容される、千原せいじ氏の思考は圧巻だ。

 

例えば、団地の公園で子どもが遊んでいるとき、ある住人のおっさんが急に、『わしゃ夜勤なんじゃ静かにせぇ!!』と怒鳴ることがあったという。

 

大抵はドン引きしながら引き下がって終わりだろうが、せいじ氏のリアクションは別だった。

 

『お前が越してくる前からこの公園はあったんじゃ、夜勤がしんどいんやったら昼間の仕事にせえアホンダラ!(この間4~5秒)』

 

即座に言い返したのだという。僕は素直に憧れてしまった。喧嘩や拒絶という最大の痛みを全く恐れていない。すごい!

 

もっとも、僕自身は憧れこそすれ、やたらめったら喧嘩を吹っ掛けるようなヤカラにはならないし、なれないだろう。

 

だが、いざという時に牙を見せられないようでは、色々終わりだなぁとも考えている。誰だって武勇の一つは欲しいのだ。

 

限界も一長一短ももちろんあるだろうが、僕はいつか本音の一部くらいは言える自分になりたいと思う。

 

 『気にしすぎ』は無駄なもの。わかっていたけど、実はそうじゃなかった。

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ご存知の通り、僕は『超気にしすぎ』だ。30年近く生きてきても、改善こそすれ、直る気配は全くない。

 

多分これは、僕自身がこの『気にしすぎる性格』を必要としているからなのだろう。となれば必要なのは、はっきりと『それは違う』と言ってくれる第三者の意見だ。

 

そして、ついにそれにずどんと刺さるアドバイスを発見した。

daigoblog.jp

 

簡単に言えば、『気にしすぎ』を直すところから、それを活用する方法まで話が進む、非常に有益な記事だった。

 

その中でハッキリと、『気にしすぎ』そのものは無益なものと、まずは認めるところから始まる・・という一言が印象的だった。

 

そこから行動を起こしていい方法に持っていくなら話は別だが、単品が役に立つことはまず無いという。まずこの現実を認めることらしい。

 

現に今もあることを気にしているが、それに対して起こせるアクションに集中すれば、くよくよ思考は止まるのだという。

 

僕はネガティブ2.0や人見知り2.0を標榜し、四苦八苦しているなんて恥ずかしいことをたまにここに書いているが、まだまだ不完全だったらしい

 

自分の性格という超長年連れ添ったものからの卒業が、そう容易くいくはずはないのだ。それを改めて実感した。

 

気にし過ぎを止めることは難しい。だが、それを生かしたり、気付いた端から別の物へ意識を向けるのは不可能じゃない。

 

いささか逆説的だが、非常に気付きの多い記事であった。

 

僕はもっと心に毒が欲しい。

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最近ふと気付いたのだが、ストレスなく人生を歩みつつも人徳がある人は、悪口は言わないが毒は吐くことが多い

 

例えば僕の友人も、悪口はマジで言わないが、本当にしょうもない人間についてはその行動について呆れたという旨を漏らすヤツが実際たくさんいるのだ。

 

某宿のチェックインがもたつけば、『俺ら来ることわかってたはずじゃん・・・。この10分でアイス食えたわ!』と言う。

 

やたらと自分の能力を自慢する奴に絡まれたら、『ありゃ自信が無いことの裏返しだから・・・。哀れだと思って聞いてるふりをしてあげちゃったよ、悪いことしたな』と返す。

 

うーむ。このギリギリながら明瞭なラインに、僕に欠けているものがあるような気がしてならない。

 

全て我慢するのも不健全だが、それに悪口で応酬すれば、周囲から『器が小さい』と言われてなんか負けた感がある。

 

となれば、相手より一つ上の観点からコメントを返す『毒』こそが最強な気がしてならない。実は相手にしていないところもまた、ポイントが高い。

 

ただし、積極的に『俺は毒舌だ!』なんて言ったらサムいやつなので、そこは気を付けつつ。

 

なんかこう、生きやすさのヒントになりそうな発見に、独り心が躍っている。

 

終わりに。

 

この一週間は色々と、第三者からの無茶ぶりに、コチラの心を殺しつつ答える場面が多かった。

 

それに対し、『すいません』『申し訳ないです』としか返せない自分に、奥歯が削れるかと言う程、歯を食いしばって堪えた感じがある。

 

―僕は来年で30歳なのだ。いつまでちんけな人間に収まるつもりだよ。

 

友達だって0ではないじゃないか。嫌われることは、孤独になることではないんだよ?

 

―そろそろ僕も、本当の意味で大人にならねばならない。今の僕は、飛び込み台の上でまだ震えている状態にすぎない。

 

涼しげで楽しそうな水面から、何人もが『こっちへ来いよ!』と呼んでいる景色が見える。意を決さないまま三十路はいやだな。

 

そういうことを、何故か強く思わされた。

 

―ということで今日はただのエッセイだったが、この辺で終わりとする。

 

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