20代前半の頃まで、僕はコンプレックスの塊であった。口を開けば、自分以外の人間の賞賛と、自己批判。
煌びやかな才能あふれる人間と出会う度に、僕は僕に価値が無いことを強く実感したものだ。(今思えば病気だったな)
その当時親しかった友達が僕から離れなかったことが、よくも悪くも不思議である。そんな面倒なヤツ、僕なら何とかフェードアウトしたい。
―さて。今はどうかというと、僕は割とそういったコンプレックスたちからはフリーなところに心を置けている。(たまに引っ張られるが、すぐに帰ってこれる)
どうやって僕がそこにたどり着いたかを説明する前に、かつての僕みたく病的なコンプレックスに苛まれているあなたに尋ねたいことがある。
『そのコンプレックスを克服したら、あなたは幸せですか?』
―今日はこれをベースに、アーダコーダまとめてみよう。
叶えても幸せにならないコンプレックスの特徴。
例えば僕は昔、『天才キッズ』とか『東大王』という言葉を聞くたび、少しむずがゆい思いをしていたものだ。
理由は、自分が比較的得意な勉強という分野において、彼ら・彼女らが圧倒的に上の存在だったからに他ならない。
いわば、勝手に彼ら・彼女らが僕の価値を毀損しているようなものだと感じていたという理論。迷惑な男である。
―さて。超たらればだが、当時の僕が仮に猛勉強の末、彼ら以上のテストの点を取ったとしよう。断言するが、僕は絶対に幸せにならない。
少し整理しながら述べてみよう。
実はこのコンプレックスを解消したいと願う時、僕の目的はほぼ例外なく『復讐』に置かれている。そういった天才に対し、『俺のが云々』と言いたいのだ。
―そして猛烈な努力を繰り返し、何とかその水準に行けたとしよう。だが、僕は『復讐』を果たすことは絶対に無い。
僕が努力して点を伸ばすことなど、その天才たちにとっては死ぬほどどうでもいいことだからだ。相手にされるわけがない。
それでも相手にしてもらおうと悪戦苦闘すればするほど、僕はコンプレックスの泥沼にハマっていく未来が見える。他者評価に依存した人間の末路は、暗い。
超拗らせれば、イタいことをTwitterでがなり立てるだけのカスに成り下がるだろう。となれば、僕は自他共に認める超絶敗北者である。
―少し具体例が長くなったが、自分がコンプレックスに感じることがあり、かつそれを解消したい理由が何かしらの『復讐』に根差すとき・・。
その果てに待つのは、あまりにも暗澹たる未来である。思い当たるフシがあるのなら、一歩引いて、冷静に自分のことを分析してみてほしい。
コンプレックスは誰にだってある。
さて。
コンプレックスについて悩みに悩んだ僕は、青春の大半をそれとの格闘に捧げてきた。時折それが拗れて、アヤしいサプリを買ったこともまた、ある。(効果ナシ!)
そんな僕を次第に救ったのは、コンプレックスを公言しながら楽しそうに生き、かつ自己成長を成し遂げた人たちの思考と言葉であった。
『いや~、小さい頃から身長がすごい高くて・・ものすごい猫背に意識してするくらい嫌だったんです・・・今はもう平気ですけど』
『俺は肩の筋肉が弱いらしいけど、そこだけネチネチつついてマウント取ろうとする雑魚の意見など要らん!』
―等々、コンプレックスを自覚しつつも、それを全く表に出さないようにふるまう人たち。僕は彼ら彼女らに本当に勇気づけられた。
そう、コンプレックスが無い人間など、基本いないのだ。東大美女にも、高身長イケメンにも、大なり小なりそれはあるはずなのだ。
無いと考えてしまうのは、こちらの先入観や、他者がそう喧伝している像に過ぎない。本当に無いとすれば、それから意識を反らす術に長けているだけだ。
更に色んな心理学の情報の調査や、自分なりの分析を重ねた結果、僕は次第に、『活用できるコンプレックスの考え方』というものがだんだんわかってきた。
以下、続けてそれについて語る。
―では、それをどう活用する?
①その弱点が本当に克服する価値があるか分析する。
まず前提として、コンプレックスの克服には膨大な努力が必要である。時間もそう、労力もそう、気力もそう。
―果たして、人生の一部をドッカンと突っ込んでまで、その弱点は克服する価値があるのだろうか?ここはよくよく考えたい。
できれば、達成した後の未来にまで思いを馳せてみると良い。別にキラキラした魅力がないのなら、挑むだけ時間の無駄。徒労。不毛。以下同文。
尚、僕に関して言えば、今さら東大を目指して勉強とか何のメリットもないので、学校教育のやり直しとか、絶対にしないと決めている。
②徹底的に施策を考えてから挑戦する。
そして、『やはりこのコンプレックスは打開したい!』と強く思うなら、徹底的に施策を考えた上で、立ち向かってみよう。
今は色んな事に対し、非常に研究が進んでいる時代だ。鬱病改善のテクニックや、性格を改善するトレーニングも、科学のお墨付きでネットに落ちている。
我流で頑張って何とかなるほど、コンプレックスは甘くない。それ相応の対応策は知っておくべきである。
―ちなみに、僕が人生で一番最近コンプレックスに感じていたのは、『英検準1級を取った直後』であり、3年くらい前の話である。
『まだ上がある・・』ということを病的に気にした僕は、勉強法を調べ、必要な努力を精査したうえで、次の級に挑み、それを突破した。
コンプレックスは徹底して分析し、挑むにしても武器を仕入れてから。
これは今後ずっと通じる、価値あるプロセスだと思えて仕方ない。
終わりに。
『嫌われる勇気』にも書いてあったが、人間だれしも劣等感を抱えているのだ。
だがそれが、自他によくない影響を及ぼすようになったとき、それは『コンプレックス』に変わり、抱えていて苦しいものとなる。
僕もまた、意識を反らしているだけで、少し内面を見れば夥しい劣等感でまみれている。それこそ、本当の自分が見えないほどだと感じる。
梅雨時で晴れ間が見えない中、もしかしたら謎のネガティブに落ちている方もいるかもしれない。
そんな時は、冷静に色々見つめてみてはどうだろうか。
では今日はこの辺で。