僕はアセクシャル気味という自覚があるが、『こういう格好の人、ちょっと目で追っちゃう』とか、『美人系の方が魅力感じる』という程度の嗜好もある。
―そんな僕だが、こないだたまたま、僕にとって外見的な魅力的な要素全てを兼ね備えた人と出会った。しかも近所のコンビニで!
『うぉ、マジか!俺の俗的な願望がそのまま具現化したってか!』と一瞬ワクワクしたが・・・・・・・。
我ながらビックリ。その高揚は、ほんの数秒で消えたのだ。
何というか、一瞬ザワっとはしたが、ホントに数秒で凪いでしまったのだ。あの人もまた、ただのコンビニに来た一他人である。
そしてその時、唐突に悟った。
『理想像って・・・本気でくだらないナァ・・・』
今日はそんなボヤきめいたお話。
『理想』とは。
『理想』という言葉を辞書で引くと、以下のように書いてある。
考えうる最も完全なもの
―そう考えれば色々と納得だ。僕の友達も、滔々と理想の彼女像を、泥酔したときに説いてくる。
『ちょっとロリな見た目で、ノリが良い同い年!』『姉御肌で、怠け者な俺を律してくれる、年上の人!』
ツリ目!ツンデレ!貧乳!黒髪!ややぽちゃ!アホの子!美味そうにモノを食べる!格闘技をやってる女子!大和撫子!
・・・みたいな。
また、どこまでリアルかわからないが、なんかやたらとドライな理想の男性像もまた、あっちゃこっちゃで聞かされる。
イクメン。高学歴。安定した企業に勤めている。イケメン。高身長。優しい。わがままを聞いてくれる。ジャニーズ系!細マッチョ!
とかとか。
さて。
僕は世間における理想とされる要素を持つ人と、実際何人も出会ってきた。当たり前だが、彼ら彼女らには、良いところも悪いところも、ちゃーんと、あった。
例を挙げる。
美人な眼鏡っ子だが、酒癖が無茶苦茶悪いとか。
高学歴なのは間違いないが、全く道を覚えられないとか。
高身長イケメンだが、すぐぼーっとして話を聞かないクセがあるとか。
僕はそれもまた個々人の魅力の一つだと思うのだが、『理想』を追い求める人にとっては、それらはあってはならない傷なのだ。
だからこそ、『理想を満たす人』に出会っても、悪いところがみえたら途端に魅力を感じなくなる人って、ぶっちゃけるが割と多い。
アイドルはうんちしないというあのネタと、根っこは同じである。うーむ、諸行無常。
また、実際に相対してみれば、自分にとって魅力と思っていたポイントが全然そうじゃないとわかることって、案外多い。
極端だが、冒頭に書いた僕のケースもその一例だ。とりあえず今、自分が抱いていた理想の異性像ってのは、死ぬほどどうでもいい。なんの尺度にもならない。
事実、お前が言うなという話であるが、僕自身、理想の異性像をカチカチに作り込んでいた時期は、人間として経験値が圧倒的に不足していた。
対人経験が全然ないからこそ、妄想の中で『理想』の価値がどんどんインフレーションを起こす。
そしていざ出会ってみれば、現実がそんなインフレを起こした理想像を超えることなど無いのだから、何か満足度が低いのは当然である。
―こんな風に、意外と自分は、自分の欲望の正体すらわかっていないものだ。
『理想』ありきで人脈構築を進めたところ、実際はその範疇の外に本当の魅力に感じるポイントがありましたとか、悲しすぎる。笑えない。
・・・そんなワケで、僕には今、理想とする異性像は全くない。なんつーか、どうでもいい。
『俺は一流企業の奴と友達になりてぇぜ!』と吹聴するヤツが超寒いのと同じ。僕はファーストコンタクトから選り好みをするような天狗にはなりたくない。
―というワケで今日はただのボヤキなので、提案も主張も結びも無いが、しいて言えば・・・。
僕が思うに、条件など設けず、パッパと実際に会うのが、結局早くて有意義なんじゃね?という気がしている。
選り好みや分析をしている間に、己の内の『理想』はインフレを起こす。『旧帝大の学歴!』から気づけば、『阪大・京大・東大』にすり替わる感じである。
というか、『理想』とは言い換えれば『条件』である。車の売買じゃないんだから、人間関係構築に持ち込むにはあまりにも微妙な話ではなかろうか。
正直、会う前から仕分けする時間を割くより、会った上で合わない人をバッシ―ンと切る力を鍛える方が大切である。
一度出会ったからには親密にならないといけない・・なんてのは無いですよ。かくいう人見知りヘタレの僕にだって、二度と会いたくない人はそこそこいる。
むしろ時間の無駄を嫌うなら、合わないのに関係を持ち続ける方が時間の無駄なので、そこは履き違えない方がベターだと感じている。
―まぁ、これ以上とやかく言うつもりはありませんが・・・。
ということで、同意者が果たしているのかわからないボヤキ、今日はこの辺で。