意識高い系(笑)で恥ずかしいのだが、『対人関係における駆け引き』『ビジネスで実を取る交渉術』みたいなのをまとめた本を、大学3年の頃から読みふけってきた。
それは今も同じで、年1冊くらいの頻度で、なんか知らないけど買ってしまうのだ。
だがそろそろ、そうやって『読んで満足』という意味が無い段階を脱しようとしている。つまり、『そろそろ試してみるか!』と考えるようにしているのだ。
もちろん今までにも『それで?と言いまくる』みたいなテクニックは試してきたが、それじゃ不十分。
難局という魔物が出てきた際、コマンドを開いてから使う魔法を選ぶがごとく、得てきた知識をもっと即座に活用できるようになりたいのだ。
そうでもしなきゃ、読書する意味はない。最近、そう感じている。
―そんな風に日々読書で技を知り、現実社会の場面に応じて使うようにしている僕だが・・・・。ある程度そのストックを積むと、見えてくるものがあるワケで。
それは、ちょっぴり嫌なヤツでいるくらいが、人生ラクで楽しいという真理?である。
今日はそんなお話。
怒られてもへらへらしちゃう人の心理がわかるようになった。
外見では多分バレていないだろうけど、僕は最近、結構嫌なヤツになってきている自覚がある。
例えば、さっきも資料提出の遅延で上司に軽く怒られたのだが、真っ先に思い浮かんだのは『あぁ、俺のクソ・・』とかそんな自責ではない。
『どのテクを使えば、最小限の怒りで終わるかな?』というワクワクだったのだ。
つまり、『てきがあらわれた!コマンド?』という思考回路に即チェンジし、非常に冷静に手を選んでいる自分がそこにいたのだ。まさに、ザ・打算!
ちなみに僕が選んだのは、間髪入れずに平謝りという方法。僕に非がありまくるので、とりあえず謝る。『申し訳ありません』を連呼。そして鎮火。
―そっから覚えたのは不思議な感動だ。「おお、あの本に書いてあったこと、マジ使えるじゃん!!」という、ね。
どうだろうか。まさにザ・嫌なヤツである。腹の内で全く反省していない。こ~んなクズ、雇いたくないくらいである。
…けど不思議なもので、よく考えれば僕自身は別に損してないし、なんなら突き詰めれば誰も損してないのだ。
上司は僕を怒れて、謝罪の言葉を得られて満足だろう。一方、僕は僕で、最小限の時間で怒りを霧散できて、勿論満足。
ミスに対しても、冷静な分『次回は遅延させないよう気を付けよっと、アラームかけとくかぁ』という手が打てるので、未来のミスを消せるという意味でトク。
―そう、実は自分が打算でコントロールできる裁量を増やしておくと、巡り巡ってみんながトクをするのだ。これは意外な発見、目から鱗。
もしモヤモヤが残っても、『ゲームに没頭してストレス消すか』みたいな手が他にあるため、色々とゆとりがある。結果、結構健やかだ。
だからやっぱり思うのだが、多分ちょっぴり嫌なヤツでいるくらいが、人生ラクで楽しい。
知ることはかくも偉大なのだ。
知ることは動揺を鎮めるね!
とはいえ、別に一生懸命嫌なヤツを演じる必要もない。
ストレスとぶつかったとき、胸の内でこっそり、『うわー、マジかー』とドン引く自分さえいればそれでいい。
そのためには、『どうしたらええねん!?』というテンパリ段階を脱し、『どうしようかねぇ』と意識せずとも思えるくらい、経験値が必要だが・・・。
実はこれら2つのステップには、『中間』が存在する。それは、『おぉ、これ、あの本に書いてあった奴じゃん』という発見だ。
不思議なもので、ある程度その手の本を読みまくっていると、他者の行動にシニカルな目線が自然に加わるようになってくる。
例えば、『めちゃこの人、俺の手柄だと認めたがらんやん・・・俺をコントロール下に置いときたいのかな?』みたいな具合。
言葉でマウントを取ってくる相手に、心の中でマウントを取るようなイメージである。
僕は正直それで満足しちゃうので、報復とかそういうのもナシ。もし仮に、あまりにも露骨にやられたら、その際の返しもストックがあるので心は平穏である。
やはり、知ることは動揺を鎮める。だから、本に限定せずとも、あちこちから情報は取っておいた方が良いと思う。
終わりに。
―とはいえ、僕は根が超絶真面目な良い人なので、どこまで頑張っても天性のサイコパスになれはしない。だから安心して、色んなことを知っては試せているのだが。
『立派になりなさい、立派でありなさい』といった類の言葉は、どの立場の誰の発言かよく考えた方が良い。
親身なアドバイスに見えて、あなたを都合の良い人間に仕立てたいだけの可能性もあるからだ。
そうなった際は、奴隷になっちゃわないよう、ある程度の毒は体内に作っておく方がベター。でないとかつての僕みたく、歯車の一部として壊れるまで使われる。
そんな風に、少しでも自分に優しい方へ思考を転換できる一助になればありがたし。では今日はこの辺で。