はい、今日もまた車の中からのお話シリーズなんですけれども。
今回はですね、みんながやってるから俺もそうしようという、こういった価値基準・判断基準。
そういったものの危うさについて、今日は考えていきたいと思います。
意外と気付かれていない方も多いんですけど、多くの人が良いというものは無条件で良いなんて、常に成り立つわけがありません。
もちろん、僕自身も自分の人生において、人が良いと言ってるからそうした結果、上手くいった例は数多くあります。
例えば大学進学等ですね。しかし、やっぱり全てではありません。
ある程度の年齢に達したら彼女を作ろうと頑張るものだというのを聞いてですね、結構な時間と金と労力を無駄にしたという苦い経験もありますので・・・。
人が良いか悪いかというのと、それが自分にとっても同じかどうかは、別問題だと言うことはですね、しっかりと再度認識しておいた方が良いと思います。
―とはいえ、人見知りネガティブほど、なかなか自分の意見を出すことはためらわれると、そういう気持ちも分かります。
自分の意見を出すとは、場合によっては人に反発するということです。これは確かに怖いことです。
しかし、敵を作ってしまうことを避けたいがために、言いたいことも言えない、嫌だということもイヤだと言えない状態が続くと、これはこれで厄介です。
いつしか、『自分は本当にこれがしたいのか?それとも嫌なのか?』というそれすらもわからなくなってくるという状態が待ってます。
ここはですね、20代頭から20代半ばならば、意外とまだまだ矯正はできます。直ります。
しかし、30手前になってくるときついんじゃないかなっていうのが、今僕自身で体感として思うことですね。
僕自身も結構長いこと、無条件で我慢して誰よりも頑張ることが正義だみたいなこと考えてたんですが・・・。
結果心を壊したことがありますので、その危うさというのは、身をもって知っています。
では、こういう思考をしちゃうルーツはどこにあるかという話なんですけども、これはすごく簡単でして。
僕は、『学校教育』だと思ってます。
教育とは、全部できてみんなと同じことができる人が価値を持つ場所ですので・・・・。
先生たちが、大人たちが言っていることをその通りできる人が得をして、そうじゃない人がどんどん損をするような状況が続くと、何が起きるか?
いわゆる良い子ちゃんほどですね、どうやって自分を、本心を殺すかという方法論ばかり見つけて、実践するようになっていきます。
そうなってくると、なかなか悲惨なものでして。
嫌とか苦しいとかそういう気持ちがもし心に湧いてきても、我慢することが正解なんだと考えて、結果心がぶっ壊れるまでそれに気づけないことも起こり得るわけです。
いろんな成功者が、『自分の意見を大事にしろ』といった文言を言うのは、別に自慢でもなんでもなくて、そうしないと人生無駄にするという強めの警鐘に聞こえます。
―一旦、先の話に戻りましょう。やはりネガティブや人見知り程、その人柄からか、反発して結果嫌われるのが嫌だという人は多いです。
断言します。
あなたが自分の本心を伝えた結果、機嫌が悪くなるような程度の奴とは、付き合わない方がいいです。
僕自身もそんな人たちに露骨にイラつかれた経験はありますが、不思議なもので彼らが大した人間であったためしがないです。
ちなみに理解がある人は、『ん、どうしたの?』と理由を求めてくれることが多いです。結果、こちらも冷静になる機会と、弁明の時間が得られるんですね。さすが。
さて。そういった思慮もなく、意見に対し無条件にムッとしてこっちをコントロールしてくるような人がもしいたら、どんどん嫌われてください。
その人が人事案件を握っているとかなら、転職した方が良いでしょうね。ドライにそう思います。
この考え方は、正直無責任でも何でもないです。『嫌いな事でもやれ』とは言われますが、それらは工夫次第で減らすことができるからです。
無条件に受け止めていたずらに苦しむとか、思考が停止しているとしか僕は思いません。したくないことはしたくないじゃないですか。
何もこれはそんなに難しいことじゃなく、嫌なものはとりあえず逃げるか、伝えるかすることからスタートすれば大丈夫です。
大抵の場合は、逃げ切れますから。ちょっと嫌な程度なものは、お礼ありきで人にお願いしたり、アプリを使ったりするのもありでしょう。
それで片が付く程度のことも、作業次第ですが多いです。それぐらいの工夫はしておかないと、嫌なことばかりで人生が埋まっていくんですよね。
それは本当に面白くない。
こういった不毛なプロセスを封じるには、やはりみんながいいと言われるものをまずは疑うことから始めるのがオススメだと感じます。
大体の仕事で、前期・後期の切り替えの時期でもありますし、一度見つめ直してみてはどうでしょうか。
では、今日はこの辺で。