ここ最近、何度目の愚痴かわからないが、一週間ずっとスーパーイライラしている。
この連休は楽しみにしていたイベントがあったのだが、その間もひっきりなしに僕が担当となっている業務の『校閲・修整・再確認』の連絡が飛び込みまくったためだ。
しかもその輪に加わっているのは上司ばかりで、皆様も一応オフという状況下、『僕、休みなんすけど』とは口が裂けても言えない訳で。
それを素直にぶちまけると、下手すりゃ感情論でプロジェクト自体が潰れる。そうなると、第三者からみれば『僕がわがままをいったせい』となる。超めんどくさい。
おかげで練りに練ったイベントをすごく邪魔されたモヤモヤが付きまとい、疲れは取れないし気も晴れないという、非常に不完全燃焼なことになってしまった。
―腹が立つときは、感情を排して分析するに限る。二度とこの罠にハマらないため、僕は何をすべきなのか?
すると見えてきたことがある。僕は立場や状況が変わっているのに、自分が変わっていない、と。
今日はそんなお話である。
『もっと勉強しろ』フェーズ。
いわゆる『見習い』という期間がある。ここの段階ではとにかく、個性や創意工夫より、先例を忠実にトレースすることが求められる。
僕はもれなくどの組織でも、この『見習い期間』を1年くらい経てから実戦に至っていた。
となれば、これこそが正義だし正解なんだと、ある種もはや『文化』レベルで刷り込まれることになる。
つまり、何をするにせよ、自分で自分に『もっと勉強しろ』と発破をかける感じだ。諺で言えば、『石橋をたたいて渡る』となる。
ということで、情報収集が完了するまで、行動をしないというのが常套手段となる。アドバイスを求めて求めて、輪郭どころか中身まで作りこんでからアクション!
―当然、スピード感は皆無。作業は遅々として、出来上がるものは掛けた時間と全然比例しない何か。そりゃぁ・・・苦言を呈されますよね、と。
大体今の職場に入社して2~3年だったかな?その頃から、ある程度の裁量を貰ったのもあり、僕は仕事のスタイルをちょっと変えたのであった。
『いいからさっさと動け』フェーズ。
次に取り組んだのは、『いいからさっさと動くこと』である。行動力がずば抜けている人の思想を学び、それを模倣するようにした。
確かに、程度は知らないが僕には元来多動性が備わっており、次から次へと何かをすることは、意外と性に合っていた。
すると不思議なことに、結果が付いてくるようになったのだ。失敗は増えたが、それと同じくらい何かを生んでいるという感覚も味わえる。
毎日夢が叶っているかのようなサクサク感に、僕は病みつきになった。次々と何かを仕掛けては、ハマれば実行し、ハマらなければ自然消滅。
性格は相変わらずテンション低めであったが、行動力は比較にならないくらい高まった。それこそSNSを見た昔の知り合いが、変化に驚くほどである。
こういう己に忠実に行動して、それが正しいと感じ始めていた矢先・・・。
第三の壁が立ちはだかってきた。天狗の鼻になった瞬間、現実はそれをへし折るようにできているようだ。
―そしてまさにこれこそが、今回こうして分析するまで気付けなかった謎のスランプでもあった。
それは一体何なのか?僕が次に行かねばならないステージとはどんなものなのか?ここから先はマジで手探りだが、頑張って言葉にしてみよう。
『よく考えてから行動しろ』フェーズ。
第三の壁とは、特に歴史が少しあるプロジェクトを引き継ぐようになってから顕在化したのだが、早く動くと行動が空回りしやすいという傾向だ。
いつも通り『とりあえず取り掛かろう!』と作業に入ると、全体像が見えないままに走り出すのと同じなので、まず抜けが非常に多いと指摘された。
将棋でとりあえずよくわからんけど、歩を一つ前に進める・・みたいな話である。手順を間違えれば簡単に詰んでしまう。
また、とりあえず行動をすると、自分がプレイヤーとなる。しかし、作業量は膨大かつ多岐にわたるため、絶対に分担も必要になる。
とはいえ、自分もタスクに携わっているので、管理がおろそかになるのは自明。結果、ある部分が後手に回り、僕の休みは丸ごと2日消えた。
―このジレンマで、僕の中で葛藤が始まる。『とにかく行動が成功を生む』と説く人もいて、それを推奨されつつも、今回みたいなトラブルが起きるのはどうしてか?
これは単なる成長痛で、繰り返せばやがてゼロになるのだろうか?こんな自問自答を繰り返しながら日課の読書をしているとき、遂にヒントに出会うことができた。
『人生の勝算』の、『見極めてから掘れ』という項に、それはある。
まず、努力を注ぎたい対象を見つけたら、成功の確率を上げるため、輪郭を掴むため、また効率を上げるため、徹底的に分析をすることから始めるべきだという。
完成形のイメージもそう、そこからの逆算もそう。こうして道筋をある程度決めて、『イケる!』と判断してから、全力で行動を開始する。
こうすることで、モチベーションの維持が可能になるという論理であった。
―『これって、お前が最初にダメと言われた思考法じゃね?』と思われるかもしれない。確かに僕も、最初はそう思った。だが、似て非なるものだとすぐ気づいた。
経験値の無い僕が嵌っていたものは、本当に単なる情報収集と二の足踏みである。オーストラリアに行くと決めて、延々と英語の教科書を読んでいるかのような段階。
遠回りな道ばかりを選んで歩くのだから、時間が掛かるばかりで具体性が乏しい。それこそが、苦言を呈される原因だったのだ。
だが、今回の『見極めてから掘る』思考は、話が逆だ。
序盤は考え事なので、確かに最初は何もしていなく見えるが、行動に移してからが圧倒的に速く、無駄が無い。
また、『これでいいのだろうか』という迷いも無いので、モチベーションも高いまま駆け抜けることができる。
オーストラリアの例で言うなら、まずそこで何がしたいかを調べて、そこで必要な英会話を優先的に押さえるという感じだろう。
空港での会話やホテルの予約確認のテンプレを飛び越えて、分詞構文とか勉強しても仕方が無いのだ。それと似ている。
―まさかと思いながら、すぐに行動を起こす人の思考を改めて読み直してみると、僕の素っ頓狂な勘違いに気付くことができた。
その人たちが最初に起こすアクションの大半こそが、『どうやろうかな』という自問だったのだ。
つまり、誰でも頭を使うところが"行動"のはじまりなのである。
『行動が遅い!!』とイラつく人たちの対象を見ると、大抵は『でも・・』と根拠のないネガティブを並べ立て、何も始めない人たちとその思考についてである。
要するに、『考えること』そのものは全然否定していないのだ。
この心理を曲解して受け止めてしまうなんて、俺は読解力が実は無いんだなと、少しだけ落ち込んでしまった。ま、気付けただけマシか。3秒で立ち直った。
考えるだけだったあの頃も半人前で、何も考えずになんかするだけだったこれまでも半人前。二分の一を足し合わせて、やっとイチになるらしい。
だから早速、このフェーズを試すことにした。タイムスケジュールを見ながら、抱えているイベントの完成形をイメージ。なるだけ詳細に、心に描く。
すると、『このターンにはこれが必要で、司会者の位置はこの辺が良いな・・』といった"課題や提案"が段々と浮き彫りになっていった。それをすかさずメモる。
そしてイメージした結果出てきた課題や提案、抽象的に言えば胸騒ぎを覚えた部分にフォーカスし、さらに考えを深める。
―で、今。迷いは驚くほど減り、次に打つ手がハッキリと見えている。PDCAサイクルのPが出来た瞬間だ。だからさっさとDoに移る。LINEを即座に投下。
なるほどなぁ。僕は別々に特化してそればかりやってきたけど、ミックスすれば道が開けるという話なのか。なるほどね。
守備ばかり練習しても、攻撃ばかり練習しても、”野球”は上手くならないのと同じだ。30年くらい掛かったが、ようやく気付くことができた。
もちろん、僕は元来考えすぎな傾向があるので、例えば制限時間を設けるなどの工夫は必要だ。だが、もっと自分が『考えること』に、寛容になっても良いと思えてきた。
とはいえ、大げさでもなんでもなく、『よく考えてから行動しろ』という真理に気付いた結果、僕の前に立ち込めていた霧が晴れた。
もちろんこれからCheckの段階でボロが出る可能性はあるが・・。少なくとも、動いても動いても結果が出ない苦しさは大幅に軽減できたよな、と。
成長ってこういうことかと、身に染みて感じる出来事であった。
終わりに。~極端の意味を履き違えない~
僕みたいに真面目でネガティブな皆さんは、考えても怒られ、自分なりに動いても怒られるという、辛い目に遭っているかもしれない。
そういう時は、それぞれで磨いたスキルを、一旦ミックスしてみよう。つまり、『考えてから行動する』ということだ。
もっと言えば、『考えることから行動を始めなさい』と言い換えることもできる。そして、経験値が溜まれば、"考える"時間は大幅に減っていく。
アクションが早く、結果も夥しい人は、考える経験を人生のどこかで密に積んでいる。だからこそ、P→Dが異常に速いのに、結果が出るのだ。
有名なPDCAサイクルは、一歩間違えればPだけ、Dからというミスが発生する。基本と言われながらも、意外と難しいのだ。
同じく仕事において、色々と悩む同志にヒントが書けていれば嬉しい。では今日はこの辺で。