こないだ、僕にとって衝撃の時間があった。
それとは、何人かで飯を食いに行った際に聞いた不思議な話だ。
聞けば、ある一人の知人が、『鬼滅の刃』に異様にハマっているという内容。それだけなら、『まぁ、ブームだし』という感じなのだが・・・。
そのハマり具合は凄いんだぞ!と、その人が語る口調にも異様な熱気がこもっているのが印象的だったのだ。
どうやら現在の映画は毎週観に行っているそうで、漫画・DVD・ノベルはもちろん、何なら同人誌すら買い漁っているくらいらしい。布教活動にも熱心なのだとか。
『ファンなのはわかるけどさ・・・だからといってキャラがエロいことしてるうっすい本まで高い金出して買うかね?』
セリフだけなら冷笑のニュアンスが強いが、その人のトーンや表情をみると、ある種の"リスペクト"が入っているのも同時に感じた。
これほどの熱量を持った、凄い人なんだ、と。
―実はその熱狂している人は僕も知っている方なのだが、イメージが大きく変わった。そこまで大きいパワーを秘めていることは、想像だにしていなかったからだ。
話はそこから膨らみ、別の伝説や、似た熱量を持つ人が、ポンポンとその会話で語られていった。しかし、僕はそれを面白く聞きながら、ある別のことを考えていた。
それは、『これこそがカルピスの原液ってやつか』という気づきである。
僕は圧倒的な『熱狂』がその人の分身を作る瞬間を見たのだ。そして同時に、それを心の底から羨ましく感じ、すぐに自分に足りないモノに目が向いた。
ちょっと今日は少しエキサイトしながら、この話をなるべく詳細に論じてみる。
『カルピスの原液』とは、堀江貴文氏著の『多動力』に登場するフレーズである。
カルピスとはご存知の通り、非常に濃い原液を水で薄めて飲む乳酸菌飲料であるが、それとこれがどう繋がるのか?
簡単に言えば、『自分の分身に仕事をしてもらうこと』を例えた表現である。
ネットニュースが炎上するような発言という『濃すぎる原液』を、コメンテーターやリツイートが『拡散』する。
この間、堀江貴文氏は別のことをしている。だが、分身が仕事をしているも同然なので、一日が24時間以上使えている計算になる。
こうして、一人の人間がやっているとは思えない量のことができてしまうのだ。そういう話であった。
―しかし、この原液を作ることは、並大抵の努力や熱量、発信では不可能だ。人が拡散したくなるような何かが無ければ、どんなムーヴメントも引き起こさない。
これを作ることができれば最強だと思ったが、例えばただ過激なことを言うだけでもそれはダメで、炎上商法とは似て非なるモノだとどこでも説かれていた。
正直、炎上させるだけなら簡単だ。おでんをつついたり、コンビニのアイスケースにもぐったり、寿司屋の醤油を鼻に突っ込んだりすればいい。
しかしそこに、非難する人と同等、或いはそれ以上の賛同者を生まねばならないとなれば話は別だろう。
例えば、こうして曲がりなりにも何かを発信している僕だが、白状すれば集めたアクセス数はかなり少ない。もうすぐ300記事なのに、だ。
自分には何が足りないのか?何が原因で自分の声は埋没してしまうのか?
目立ちたがり屋では別にないのだが、そう悶々としていた頃に出会ったのが、上記のケースなのである。
僕は善悪の区別すらない、圧倒的な熱量と発信が足りていない。
改めて自分の記事を読み返すと、これがまぁ、無難なのだ。
職業柄無難な長文ばかり読んでいることが遠因だろうが、敵も味方も集めない文章が、このブログには大量に並んでいる。
もちろんこれからも他者を攻撃するようなことは書くつもりが無いが、自分がおかしいと思っていることを発信するのもアリだよな、と。
今こうしている間に、誰かが誰かを叩き、誰かが誰かに叩かれているのだろうが、とりあえず僕は気付くことなく生きている。
それはつまり他から見ても同じことで、仮に僕が電脳世界でフルボッコにされても、それでは僕は死なないのだろうな、って。
最後は完全にボヤキだが、圧倒的な『熱狂』がその人の分身を作る瞬間を見た手前、僕も僕自身の『好き』と『違和感』には正直になろうと強く思わされた。
―先の人には、勿論反対派も存在するだろう。あのキャラをエロい目に遭わすなんて許さない!的な。
だが確実に、賛同者も存在するだろう。あれだけ強烈なメッセージを発せられたら、同意するものは確実に現れる。
僕に足りないのは覚悟なのかもしれない。でも、ずっと大人に否定され、社会から追い出され、それでもなんか生きている僕は、思っている以上に強い気もしている。
熱量。熱狂。
泥臭いけど大切なテーマ、向き合ってみると奥が深そうである。
では今日はこの辺で。