・・・今日の目覚めは本当に最悪だった。多分3週間くらい晩酌しちゃったのを無理やり止めた影響による離脱症状だろうが、一晩中悪夢を見続けてしまったためだ。
具体的には、トラウマになっている親族の葬式を、次々に追体験したという感じ。
祖父の葬儀、叔母の葬儀、そしてまだ死んでないのに、実家にいる老犬の葬儀。次から次へと【死】を連想させる夢が続いて、本当に辛かった。
何なら今日、寝るのが少し怖いくらいだ。一体全体、僕はどうしちまったんだろう。
―この時ふと、気になっていたけどやったことがない、ある『不安』を軽くするテクニックがポンと脳内に閃いた。
それは、『デスライティング』というもの。
簡単に言えば、『自分の死をテーマに日記を書くこと』である。これで、モチベーションや自尊心の向上につながるケースが多いのだという。これは面白そう。
ただし、どっぷりハマると逆に鬱になることもあるそうなので、上限は15分と書かれていた。
だから15分、キッチリ時間を取ってやってみた。以下そのお話。
―いざ自分の『死』を考えると脳裏に浮かぶのは、ネイティブアメリカンのものとされる名言だ。
あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。
そんな人生を送りなさい。
これは死に様、つまりこの世からの去り際として理想ではなかろうか。確かに僕も、最期はクスっと笑い、『まぁ頑張ったよな』と思いながら死ねたら良いとは思う。
―だが、長生きしたいかなと言われたら少し話が変わるかも。アカギではないが、自分が何者かわからなくなるまで"ただ生きる"って段階は嫌だなと。
もちろん医療技術はこれからも進歩し続けるので、僕がお爺さんと呼ばれる歳になる頃には痴呆や認知症も治っているかもしれないが・・・。
はい。早々にネタ切れしそうなので、推薦されたテーマを書いてみよう。
それは、自分の葬式をイメージすることである。僕はこのまま独身で子どももなく死ぬ予定なので、事前に自分で準備しないと、葬式は開けない気がする。
となれば一番のモデルケースは、金子哲雄氏の終活だと思う。
死の間際まで好きなことに没頭し、そして自分の旅立ちを自分でプロデュースし尽くして去る。読んでいて意識が遠のくかのような衝撃を受ける行動だ。
―そして不思議と、『自分の始末をきちんと付けることができれば、友人たちが後世までネタにしてくれるよな』と、ヘンに前向きなことを思える自分がここにいるのだ。
僕は最後の最後まで、誰かに世話を焼くというか、ネタを提供し続けて死にたいらしい。自分の生きた証を残す方法が拗れているのだ。なんか愛しいぜ。
・・であれば葬式から逆算して、自分の余命があと1年だとして話を進めてみよう。そうなればシンプルなことに、残った夢は2つしかない。
オーストラリアへ行くことと、そこでカジキを釣ることだ。
だが仕事も好きなので、辞めたくはないな。つーことで、オンラインで授業ができる環境を引っ張ったまま、旅に出るようお願いするかな。
では旅費は?一か八か、クラウドファンディングで募るしかない。情に訴えるのは少し気が引けるが、死ねば他者評価も穢土に置いていけるのだ。どうでもいい。
―あとは酒も気にせず飲むだろうし、ずっと止めてるタバコも復活させるかもしれない。でもそれ以上に、会える限りに人に会って感謝を直接言いたいな。
ってとこで15分経過。
なるほど、なるほど。先の記事に書いてあった通りだな・・。
今生きていることがもうそれだけでありがたいと、不思議にそういう感謝が込み上げてきた。
わざわざあの世の爺さんや叔母さんが僕の夢にまで出てきてまでこういうメッセージを残したってことは・・。
僕は無意識に、自分の価値を自分で毀損していることに気付けというサインだったのかな?ま、ここまで思考を膨らませればスピリチュアルではなくオカルトだが。
確かに最近、激烈なストレスにさらされたことや、それに伴いまだまだ毎日追われるように仕事をしていることが原因で、疲れてんすよね。
仕事をするために生きているというか。なんかそれを見つめ直せるいい機会でした。今ひっさしぶりに、心は平穏で凪いでおります。
自分に価値が無いような気がしている人に、結構おススメだと感じた15分だった。
※ただし既に鬱症状が強く出ているのであれば、それをより重たくするリスクが大きすぎるので、試さない方が吉。
また、2週間以上連続して行うと、これまたメンタルに悪影響をきたしてしまうので、やり過ぎもNG。
それを踏まえた上で、取り組んでいただきたし。
では今日はこの辺で。