向上心とネガティブを拗らせると、不思議なもので『休日に休むこと』が悪に思えてくる。
例えば「休みの日だろうと、仕事か勉強のどちらかはしろ」という問答が脳内に繰り広げられ、せっかく遊んでてもどこか楽しめない、という具合に。
確かに、休日という"仕事をしなくてもいい時間"をどう使うも自由なので、それを勉強なりなんなり自己投資に充てれば、人間的にはその分成長するだろうな、と。
だが、つまりどんな時間に使おうが自由なので、休日に仕事のことを完全に忘れて遊ぶこともまた、誰であろうと咎められる筋合いはない。
しかし世の中には面倒なことに『成長の強制』がまだまだ存在するし、それを素直に受け取ってしまう『超善人』もまた、非常に多いらしい。
Yahoo知恵袋をちょいと覗くと、『暇が怖い』『休みの日に休んでいていい気がしない』といったダークネスが言語化されまくっていることからもよくわかる。
ってことで今日は、元そっち側である僕が、罪悪感ゼロで休みを満喫できるようになった方法を、実践例を交えて紹介してみようとおもいミャス。
スタートはやはりマインドセット。
全ての始まりは、やはり考え方の転換である。
心をぶっ壊す前は、基本『休むことは悪』と教わり、刷り込まれ、その通りに行動したのだが、結果色々とブレイクした。
だから、復帰後はそういう下っ端根性を矯正しようと数年以上頑張ったが、あと一歩のところでその考え方を捨てきれないという状態がラスト1年は続いてしまったのだ。
徹底して遊びに振り切った一日も、何度か頭に去来する、『今日仕事してねーけど、それでいいのか』という思い。休みの日くらい、徹底して休みてぇんだよこちとら!!
ーと思っていたが、何度か考えを深めていくと、もっと別の思考が分かってきた。
僕は仕事とか関係なく、何も得るものが無い一日がそもそも嫌いなのだ。例えば、寝てたら終わった休日とか、吐き気がするくらい最悪である。
仕事に焦点を合わせすぎたがためにピントがずれていたが、自分を納得させる材料は仕事をした・しないではなかった。
「俺は今日コレを得たぞ!」という満足度というか、安心感だったのだ。必要だったのはそれ。
後はそれを感じられるような考え方や行動に自分を合わせていくだけだ。それからざっくり一年くらい。僕は他の人が働いてようが、今は気にせず休むし遊ぶ。
何度『仕事はしない!』と考えても結果仕事のことに意識が向いてしまうのなら、前提から疑ってかかり、心の内を分析してみるのをおススメする。
ではこっから、これを前提として、僕が取り組んで効果があったことを書いていく。ただ、小難しいことはしてないし、というかそもそもたった3つだけだ。
参考になれば嬉しい。
※試したい施策①
無料診断などから、自分の知らない部分をちょっとでいいから知ってみよう。
1:自分の分身に働いてもらう。
”仮に本体が休んでいようと、自分の分身が仕事をしていれば問題ない。”
ー僕の休日しっかり休めるマインドを一気に整えてくれたのはこの考え方である。もともとは『決断力』に載っていた、『カルピスの原液をつくれ』という話だ。
もちろん理想は、損得勘定なく動いてくれる人を集めてコミュニティを形成した状態なのだが、流石に僕にそこまでの力は無い。だが、近付こうと努力はしている。
一番初歩的なのは、『引継ぎ』を行ったうえで、『損得ありきで人に動いてもらうこと』だろう。
あれをしてほしい、これをしてほしい、こうすると楽だから伝えておきます。みたいな。
この時、その人がどう思っているかはさておき、あなたは休んでいてもあなたの分身が仕事をしている状態に等しい。
つまり、あなたの力で何かしらの産物はできているのだ。この状態で休むことをあじゃうじゃ言ってこられるとしたら、それはその人の想像力の問題である。
ちなみ僕は現在何をしているか?僕の仕事は一介の講師であり、売り物は『説明』と『点数という結果へのコミット』である。
こういう情報を売る仕事で分身を作るのは割と簡単であり、今は毎週末、会社の公式SNSに、その週にあった質問を解説した投稿をアップしている。
それは僕の分身が簡単な授業を不特定多数に行っているも同じだ。まだ起きたことは無いが、もしバズろうもんなら、本体以上に仕事をしているも同然。
まだまだ的に当たる気配は無いが、当てようという意識さえあればいずれ当たるし狙えるようになると説く人もいるので、辛抱強く続ける所存である。
※試したい施策②
自分の分身に仕事をさせられないか、まずは仕事の中身を言語化してみよう。そしてそれを、実際に人やシステムにやってもらおう。大体は可能です。
2:副業をする。
これは就業規則を確認したうえで手を出してもらえればと思うのだが、要は普段メインで給料を貰っている仕事以外でも何かを生み出しましょうということである。
例えばこうしてブログを書いてみてもいいし、絵が好きならそれを描いてPixivとかにシェアしてもいい。何かをゼロから生むことを仕事にすると、だいぶ罪悪感は消える。
―たまに『空いた時間を使い、飲食店でバイトするのはどうか』とか言われるけど、これは自分の時間を低めのレートで換金してるだけだと思うので、僕はやりたくない。
少し脱線したが、何かを生んでいるという感覚は非常に健全であり、同時に思わぬ教えや実践的なヒントが閃くこともある。本業とウィンウィンということだ。
てなわけで、そのやりとりで金が生まれるかどうかは一旦完全に無視して、得意なことで何かを生むというのを新しい趣味にしてはどうでしょう。
※試したい施策③
SNSかブログといったプラットフォームに、自分の生んだ何かをアップしよう。
3:ちょこっとだけ働く。
ここまで書いといてアレだが、仕事を完全にゼロとすると逆にめっちゃストレスになるなら、いっそ少しだけやればいいとも思う。
僕も会社のSNSを持っている関係で、休みとか関係なく仕事がぽこぽこ発生することがあり、ぶっちゃけそれらを全て回避するのは無理ゲーである。
ってことで、休みの日でも25分だけと言った風にシビアに時間を区切り、その時間だけは仕事モードに入ることがある。
とはいえ職場に行くことはまず無く、家でもできる仕事に限定している。もし家でできなければ、『定休日なのでお待ちください』である。
ちょっとワーカホリックな話だが、一応提案として書いておく。
※試したい施策④
どうにも落ち着かないなら、短時間だけ仕事しちゃおう。
終わりに。
ということでもう一回言っちゃうが、『休日も働くことは尊い』なんてのは使用する側の話であり、ぶっちゃけ従う理由は無い。
しかしどこか(特に義務教育)で洗脳めいた教えを素直に吸収しちゃうと、なかなかその価値観を矯正するのは難しい。
気付けばサービス労働をするようになり、悪化すればそれを強制するようになる。そうはならないで欲しいと願いを込めて、書き残しておこう。
では今日はこの辺で。