白ワイン飲み過ぎて体調が悪い中元です。尿酸値を下げとかないと病院で強めに怒られるため、今日からマジで酒止めます(*^-^*)
はい。今日はちょっと自己啓発チックなお話しをしようかなと。
【根性論は全てじゃない!】という考え方も、最近の世の中では市民権を得てきているという印象があるんですが、まだまだそれが多数派かと言われれば微妙です。
例えば、【勝つまで続ければ、絶対に負けない】って言葉があるじゃないですか。あれについて、皆さんどう思われますか?
そのまま文字通り、どんな困難があろうとも初志貫徹、手段も心意気も曲げずに頑張れば、絶対にどんな夢も叶うって意味だと思われます?
はっきり言うと、僕は「んなわけない」と思ってます。冗談抜きで、それ漫画の世界の話でしょ?と考えてます。すなわち、あまり好きな言葉ではありません。
実はこの言葉の中には、ある大事な前提が示されてないんですよ。
だから今日は、この言葉を真に受けて頑張って、心潰してしまいそうな同じネガティブの仲間に向かって、僕が思うことを喋ってみます。
「で、何がしたいん?」
諦めることなく続ければ、どんな夢でも叶うっていうのは、実はその解釈を間違えたら
本当に泥沼です。
例えば、あなたの目の前に岩でできた壁があるとしましょう。そしてあなたの目的は、その壁の向こうに行くことだと考えてみます。
そしてあなたはその目的を達成するために、その壁を【ぶっ壊す】という選択をとるとしましょう。しかし、周りには使える道具が何もありません。ではどうするか?
もちろん、何百発とその壁を殴り続ければ、いつか壁が壊れて向こうに行けるという考え方もできますよね。
しかし僕は、これを真に受けてずっと岩の壁を殴り続ける人がいたら、僕は気の毒だなあとしか思わないです。色んな事をまず忘れてるからです。
正直、【壊しさえすればいい】んだったら、僕であれば道具を探すとか、仲間を連れてくるとか、まずそっちを考えますね。
そしてそもそも、壁を壊すという選択すらも壁の向こうに行くという目的を達成するためのチャンネルの一つに過ぎないので、他の手が使えるなら、すぐそうします。
壁を登って行けそうならば、命綱を探してくるとか、その登り方のプロの人を探してくるだとか、また別の手が打てますよね?
こんな風に例え話を入れるとわかり易いんですが、「諦めるまで頑張り続ける」というのは、一つの手に固執し続けることでは絶対にないんです。
そうじゃなくて、うまくいくまで手を替え品を替え、新しい選択肢を試し続けるっていうのが、その意味なんですね。
そして場合によっては、自分が最初に思い描いた成功の定義さえも、変えてしまうことことだってあり得るわけですよ。
例えば”いい大学”に行くことを目的として勉強を頑張ります、と。しかしどれだけ頑張っても、東大や京大レベルには届かないとわかったらどうするか?
がむしゃらに頑張って何浪もするという選択こそありますが、”いい大学”ってのもぶっちゃけ意味が分からないですよね。だから、少し立ち止まって考えるべきかなと。
例えばネームバリューが欲しいのなら、自分が住んでいる都道府県の名前が入った大学も、十分強いといえます。
あるいは、自分が学びたいことが学べるってのがいい大学の定義なら、別のところを探せばいいんですよ。
また、そもそも”いい大学”に行きたい理由が、人にチヤホヤされたいとか、資格を取りたいとか、公務員になりたいとかなら、極論どこでもいいですよね?
いろんな選択肢を考えて、夢の定義も時には変えたりしながらゴールに近づいていく方が、考え方としては実は大事なときもあります。
現状を変えるために同じ方法だけ使い続けて、いつか周りが変わることなんて、人見知りでネガティブな皆さんや僕たちは期待するべきではないと思います。
諦めなければ夢は叶うというよりも、夢をかなえるという目的に対し、手を替え品を替え頑張るって捉えておく方がやっぱ健全なんですよね。
だから僕は、「諦めなければ夢は叶うから、絶対に曲げてはいけないんだ!」っていう言葉が嫌いです。
しかしそれが、「ゴールに向かうためにどうすればいいだろうって常に自問自答し続けなさいよ」っていう意味であるなら、途端に好きな言葉になりますね。
ということで、同じ方法を続けてもどうにも苦しいって言うんだったら、そもそもゴールの方を変えられないかも含め、広い視野で考え直せばいいのではと思います。
では今日はこの辺で。